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自伐型林業と阡年講

「阡年講」の構想を実現していこうと思います。
千年先を思いながら今を生きて繋いでいく。

千を阡としたのは、道という意味、そして墓所へ続く道があり、未来への期待と過去への畏敬を併せ持つことができるという感覚からです。

居合わせた今の時代、何ができるのか、何を求められてここにいるのかを改めて考えています。

自分のなかで、大きく時節が変わったのを感じるここ数日。精神性を組み上げなおして、この先進んでいこうと思い至りました。

いまから、『10歳』の時の好奇心やルールに対する几帳面さ、達成欲を「興味」の根源として、まだ知りえぬ『90歳』の先のない、今までの価値を最大限に生かした、したたかで、遠慮や躊躇のない表現の力強さを「行動」の根源として、前後千年を生み出した王かのような尊厳と自由と叡智と慈愛に満ちた「姿勢」や「態度」をもって、進んでいこうと決めました。これらがいまのところのあるべき姿として、自分でとらえている精神性です。

あんまり変わらないかもしれませんが、今後ともよろしくお願い致します。

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話は戻って、自伐型林業です。

7,8年前に少しだけ兵庫県の里山大学に同行させて頂く機会があり、その一、二年間で、全国の林業の状態や、自然林の状態を生態系などの学術的観点から学ばせて頂きました。

今回、拝聴したフォーラムは、同じ事象ですがその反対側の経済的な観点でも多くが語られていて、新鮮でした。

皆伐と輪伐(あるいは多間伐)の違いを知っていたので、どちらが長期的に見て良いかは知っておりましたが、数字の面で明確にされていたことが嬉しいところでした。

お話では、30年~70年かけないと林業としては、採算が合わない多間伐林業ですが、自ら森に入る自伐型林業として、他の業種業態と兼業してかけ合わせられることは、価値が非常に高いと感じています。

100年先、1000年先を考えると気が遠くなりそうですが、今のところの予測だと、エネルギーや住環境、食料分野では、再生可能エネルギー(食では持続可能農業)と化石燃料(食では慣行農法)の利用比率が変わり、あとはレアメタルや卑金属などの設備需要との競り合い、そして新技術と普及技術のパラダイムシフトへの加速と減速が同時に起こりながら、少しずつ文明レベルが上がるのではないかと思ってます。ここ200年くらいは。

今のところは宇宙開発など外に目を向けるところも多いですが、生活レベルでの文明というか存在効率が高くなければ、高度技術への資源や技術投入のリスクや負荷が相対的に高いままになってしまいます。ここの分水嶺を突破すれば、宇宙に出る技術も手元に感じるようになっているのではないでしょうか。

あと、まだ資源的な採集場所として、地中深くや海底、海そのものへのアプローチも全然進んでいないと思ってます。そのためには科学的な基礎理論の強化とともに、触媒や微生物利用(特に古細菌群)の活用が進んでいく気がしています。

科学的に進歩しても、それは人類がもつ記号に過ぎないので、それを理解、実践できる人たちを増やすことも重要です。そのためにも、自然のものを活用する方法や、そこからの科学的、技術的アプローチをしっかりと認識する人を多く作りながら楽しめる社会にしておく必要があります。

昨今のAI技術による絵画や文章などは、人間の食料調達が、自然採取から農耕に変わったときのように、文化の農耕が始まったととらえていて、最終的に採取(環境)も農耕もどちらも大事にされていくのだろうなと思います。

得てして、生命体であれ、物質であれ、明確な意識を持っている人間がそれらを大事にしないと、意識的に大事にできる存在が他にいないため、人間が自身やその他(他人や生き物やモノ)を大事に思うということが結論的には最も重要なことなんだろうなと、いまのところは考えています。

ということで難しく書きましたが、自伐型林業進めてきます。能勢で。


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