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親ガチャ(7/9)【小説】

『勇樹さんのことよろしくな』
 家に入る前に来たのが、武からのLINEでため息がでる。友晴は既読だけつけて、スマホをポケットに戻した。
 ドアを開けると、玄関にはいつもより靴が多い。友晴はもう一度ため息をつく。リビングのほうから、女の声とクラシックのような音楽が聴こえる。
 友晴は廊下を進み、一応リビングを覗く。やはりずっと流れているクラシックはリビングからのものだった。こんなことは初めてだ。バイオリンらしき音が轟いている。
 入口に一番近い場所の床に勇樹が座っていた。
 勇樹がこちらに気が付き、「あ、おかえり。どっか行ってたんだ」と優しく声をかけてくれた。友晴はその言葉に会釈で返した。
「何でまた、音楽なんか……」
 友晴は気になって聞いてみた。
「早いうちから音楽に馴染んだ方がいいって、急に恵が言い出して。最近はずっとかけっぱなしなんだよ。それもクラシックばかり」
 勇樹が逆方向に目線を向けたので、友晴もその先を見てみる。
 姉の恵と母親の佳子はリビングの奥にある赤ちゃん用の柵のあるベッドの周りから離れようとしない。友晴が帰ってきたことにも気が付いていない。
「2人とも陽菜に夢中だよ。かわいくて仕方がないみたい」
 勇樹と恵の子は陽菜と名付けられていた。友晴にはもちろん知らされることはなく、佳子と恵が電話している会話から聞こえてきただけだ。その名の決定に勇樹の意志がどれだけ入っているかは分からない。
 佳子も恵も陽菜のことを何やらあやしているようだが、クラシックのせいで何を話しているのかが聞こえない。
 友晴は勇樹の肩を軽く叩き、こちらを向いた勇樹に手招きをした。勇樹は不思議そうに立ち上がり、大人しくついてきた。
「母親から来るって聞いてなかったので、びっくりしましたよ」
 玄関の所で勇樹の方へ向き直る。暖房がここまでは届いてないから、少し寒い。
「本当は恵……、友晴君のお姉さんだけが行く予定だったんだけど、俺もたまには挨拶しないとなあって思って」
 気を遣ってかわざわざ「お姉さん」なんて言わなくてもいいのに。どんな時でも相手に配慮する感じは相変わらずだ。
「はぶられてましたね」と冗談口調っぽく笑って言ってみる。軽口を言える関係性ではないはずだが、言いたくなってしまった。
「そう見えた? まあ、仕方ないよ。恵たちは、ちゃんと育てるんだって力が入ってるみたいだし」
 勇樹は笑っている。でも、心からの笑いではない。勇樹の頭上の『0』が悲しく揺れている。
「今日、武に会ってきました。勝村武です。知り合いなんですよね」
 勇樹の眉が上がる。少し驚いたようだが、すぐにいつもの柔らかい表情に戻る。
「うん。でも、びっくりしたよ。まさか勝村君と友晴君が友達だったなんて」
 『友達』という言葉にむず痒くなると同時に、「勝村君」という距離感がある関係性に安心してしまう。
「学生のころの同級生でしょ? 今も会うなんて、仲いいんだね」
 勇樹は淡々と話す。リビングからはクラシックが流れ続けている。
「社会人になってもたまにこうやって会うの?」
「2人で会うのは学生以来です」
 勇樹は「そっか」と言って、次の言葉を繋げた。
「俺のこと、勝村君何か話してた?」
 勇樹の目は表面的には柔らかいままだが、奥に鋭さが増した気がする。
「何かって言うほどではないですけど、勇樹さんが悩んでいるみたいなことは聞きました」
 嘘を言えない雰囲気がある。『0』相手に手玉に取られているようで、嫌になる。
「具体的にどんなこと言ってたかな?」
 勇樹は優しい口調のまま尋ねる。穏やかなのに凄みがある。
「姉が夜中に何かしてるんですよね?」
 そう言うと、勇樹はため息をついた。精一杯、見ている人が不快にならないような、軽い雰囲気を心がけたため息だ。
「口止めしていたわけでもないもんな。友晴君は良い友達をもったよ」
 諦めたような口調で勇樹は言う。皮肉のはずなのに、嫌味っぽく聞こえないのは勇樹が持っている才能かもしれない。
 勇樹は決心したようにこちらに向きなおる。
「どこまで聞いたか分からないけど、夜な夜な陽菜の寝ている横でスマホを触ってるんだよねえ。もちろん夜泣きとかもあるから、その流れでそのままベッドにいたのかと思ってたんだけど……」
 勇樹の眉が下がっている。男だけど、中性的な薄い眉だ。
「近寄れないオーラがあるんだよね。暗い中、スマホの光に照らされているのも相まってそれこそ……、鬼みたいなんだよ」
 勇樹は『鬼』という言葉だけ声を落とした。
「怒られますよ」と茶化しても勇樹は笑わない。
 勇樹の頭上の『0』が揺らいでいる。
「しかも時折電話をしてるんだよ。口調的には多分、友晴君のお母さんなんだけど……」
 確かに、最近夜中にコンビニに行こうとすると、佳子の話声が聞こえた気がする。あれは、恵と電話していたのだ。
「このことを勝村君にも話したら、勝村君の奥さんも子どもが産まれたばかりの頃、夜中に話しかけられないオーラでスマホを触っていることがあったって聞いたんだ。共感してくれる人がいて、嬉しかったけど……」
 歯切れが悪い。勇樹は共感してくれるだけでは、納得できないのだろう。
 解決したい、という思いを察した武が、恵の様子を伺うように友晴に頼んだというわけだ。『0』である者同士の思いやりに涙が出そうになる。こうやって助け合わないと、生きていけない悲しき『0』たる所以の行動だ。
「何か隠している気がするんだよね」
「隠してる? 何をです?」
 友晴は思わず聞き返した。
「分からないけど、1回そう思っちゃうと、隠しているとしか思えなくなってる。最低だよね。子育てが大変な時期に変な疑いを持つのは……」
 勇樹は罪悪感からか早口で話す。ゆったり話すことが多いから、意外な姿だった。友晴は不倫でもしてるんじゃないですか、と言いたくなったのをぐっとこらえる。
「それに、これも勝村君と話したことだけど、恵の子どもの才能に関する言動が増えた気がするんだ」
 武の頭上に浮いていた『0』が勇樹の『0』と重なる。
「『この子の才能は私が決める』とか『この子は才能あふれる子にするから、安心してね』とか、ふとした時に言うんだよ。特に最近は『この子は天才よ。本当に楽しみだわ』って言い出して、急にクラシックを流し出したんだよ。まるですでに音楽家の天才であるようにね。まさか実家でも流しているなんて思わなかった……」
 勇樹は理解できないという様な表情だ。
「お義母さんも恵の言うことに賛成みたいだし。元気に陽菜自身が楽しいと思える人生なら、それだけで俺は幸せだけどなあ……」
 勇樹も武と同じように寂しそうだ。でも、この寂しさは本当に子どものことを思ってのことなのかは疑問が残る。こいつらは子育てに参加できていない感が気に入らないだけじゃないか。そもそも才能が大切ということだけは、癪に障るが恵に同意する。勇樹も武も才能がないくせに、環境が良いだけでそれなりの人生を歩んでいるのだ。
 友晴は確信する。親が悪いから、親ガチャに失敗したから、才能あふれている自分がこんな酷い人生を歩まなければならなくなったのだ。
 玄関の鏡を友晴は横目で見る。いつものように『100』が輝いている。才能はある。しかし、それを活かせる環境にいなかった。それもこれも親ガチャに失敗したせいだ。
「才能も環境も必要ってことですね」
 友晴はぼそりと口に出す。
 「え?」と勇樹は聞き返したが、友晴は「何でもないです」と言った。
 ドアから冷気が漏れているから、リビングで暖房していても玄関はヒンヤリする。でも、何故か居心地が悪くない。
「今日、お姉さんと陽菜は泊まっていくみたいだよ」
「そうなんですか」
 面倒だな、と思う。陽菜が産まれたおかげでこれまで以上にこの家に居場所がなくなった。
「でも、俺は明日仕事があるから帰らないといけないんだ……」
 勇樹は何か言いたげにこちらを見ている。察してほしいような表情だ。
「姉の様子、観察した方が良い感じですか?」
 友晴は仕方なく聞いてあげた。
「ありがとう。今度何か奢るよ」
 勇樹は爽やかな表情に戻る。未だ承諾していないのに、断りにくい雰囲気を作られる。これは勇樹が仕事で培った営業テクニックなのかもしれない。小細工をしないと物事を優位に動かすこともできない。『0』だから。才能度数が高い人で親ガチャに成功した人は小細工なんかしなくても、充実した人生を勝手に歩んでいける。好きな事だけをしていれば大成できるのだ。
 でもどうだ。親も姉もその旦那も同級生も才能がないくせに充実した顔をしている。それは全て親ガチャに成功して、才能がなくともそれなりの人生を送れる環境を手に入れたのだ。
「勇樹さんは親ガチャって言葉をどう思いますか」
 友晴はポツリと口から出た言葉を噛みしめる。聞いてみたくなってしまったのだ。期待はしていない。『0』の人間の言い分を確かめたいだけだ。
「最近よく聞く言葉だね。」
 勇樹は柔らかい表情で、ゆったりした物腰だ。突拍子のないことを聞いたときに困惑した表情を浮かべない人間はできた人間だと思う。才能がないくせに、できた人間であるような振る舞いをしないでほしい。
「親ガチャが全くないとは言わないけど、努力しない言い訳に使っている人は多いなって印象かな。でも……」
 リビングから流れるクラシックが途切れた。家の中に静けさが戻ってきた。
「親ガチャ失敗だと思われないように、頑張らないとなって思ってしまう自分には気が付いたかな」
 また別のクラシックを微かに耳が捕え始める。
 勇樹は柔らかい表情は決して崩さない。本当は、親ガチャなんて甘えだと強い言葉を使いたいに違いない。実際勇樹は一般的には勝ち組の部類だ。大きな企業に就職して、公私ともに充実している人間は努力だけでここまで来たと驕っている。
 勇樹は「戻ろうか」と言って、友晴から背を向けた。
 友晴は鏡を見た。相変わらず、活かしきれていない『100』が浮かんでいる。才能あふれる人間の末路がこれなのか。
 微かに耳に入ってくるクラシックの音楽は、何の曲が分からない。ただ、むなしくこの家を包んでいる。

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