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真夏日、コロナ禍の加害者

 夏の暑さも少しずつ和らぎ、秋の雰囲気を肌に感じるようになった。それでもいまだに、コロナ禍の真夏日という特殊な環境にいたということは忘れられない。コロナと過ごす日々が長くなり、かつ真夏日でマスクをつけることは危ないのでは?という風潮があったのは言うまでもない。私も人の少ない屋外で、暑くて暑くて仕方がない日はマスクを外して歩いていた。そんな特殊な真夏日に、私は誰よりも加害者だった。
 少し前の真夏日、私は家から最寄り駅までの道中にいた。人通りの多い駅周辺に着くまでは、マスクを外している。そんな人通りのない道で、対向する形でおば様が歩いてきた。日よけ用の帽子をかぶり、マスクを外している。おば様を認識した私は、内心(こんな暑い日にマスクして外歩いていられないですよね~。)という仲間意識のような気持ちである。そんなおば様と私が、二メートルほどの間隔をあけてすれ違う瞬間、本当は現役アスリートなのでは?と思わされる俊敏さでおば様がある行動をとった。びたっ!という擬音が聞こえてきそうな勢いで歩を止め、対向する私に対して完全に背を向けたのである。何が起こったのかわからない私は、戸惑いつつも歩を進める。そして私がおば様と完全にすれ違いきるまでの約十秒、おば様は私に対して背を向け続けていた。頭いっぱいに?を浮かべながら、私はその行動の真意を想像したがわからないまま駅に到着し、目当ての電車を待っていた。目当ての電車に乗り込み、オーバーヒート寸前の頭と体を車内の冷房で冷ましていると、ある仮説を思いついた。(あぁ、あの場ではおば様が被害者で、私が加害者だっただけか。)
 コロナにかかりたい人なんていない、そんな中で前からノーマスクの人間(私)が歩いてきたから、どうにかしてその人間(私)から放たれる呼気を回避したかったのであろう。なぜならその人間(私)はコロナにかかっている可能性があり、おば様は絶対にコロナにかかっていないからである(おば様視点)。ある意味理にかなっているし、当たり前の行動だったのかもしれない。コロナにかかりたくない、広めたくないという意識は素晴らしいと思う。ただ、その自己防衛の意識が、私に謎の加害者意識を植え付けただけの話なのだ。私はコロナに感染することも、人に感染させてしまったことも罪ではないと考えていたが、あの日、あの瞬間、私は誰よりも加害者だった。

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