2023.01.16

薄暗い廊下を抜けて西校舎を出るとやはり氷雨で、いったいこのあとどこに向かえばいいんだろうと軒下でぼうっと立ち尽くしてしまった。ぼくはわかりやすく天邪鬼なので、どうにかして冬の冷たい雨の日を好きになる理由を探してみたが、そんなものはどう頑張っても見つからなくて、全身が外に出ることを拒んでいた。帰るのも違う。図書館は暗い。スタバには人がいる。街を拒むとき、ぼくは街からも拒まれている。

fuzkueに行くことにした。先月は西荻窪だったので、今日は初台にする。ふらふらと山手線に乗り新宿駅で乗り換えようとして、京王線と京王新線で迷ってその違いを初めて知った。初台というのは京王新線の駅らしい。駅前は商店街で、どこかに看板が出ているはずだという思い込みで、建物の2階を目で追いながら商店街をうろうろするけれどまったくどこかわからず、iPhoneの画面と商店街をよく見比べて、地図のピンが刺している建物におそるおそる入った。果たして2階がfuzkueだった。

ハーブティーにチーズケーキを合わせる。ようやく『日常的実践のポイエティーク』を開いて読みすすめるが、翻訳調の硬派な文章がすっと入ってくるわけもなく、どうせそんなことだろうと思って持ってきた『カラダで感じる源氏物語』と行ったり来たりした。国文にいるくせにまともに源氏を読んだことがない。あの家系図、というか相関図はすみだ水族館のペンギン相関図なみにわけがわからなくて、ちゃんと読めばわかるんだろうけど、読む前にだいたいの人物像を卑近なイメージで知っておきたかった。どちらにせよ居心地が良すぎて舟を漕いだ。

眠気覚ましに本棚を調べると、保坂和志の『考える練習』が目に留まる。保坂和志へのインタビューをまとめたもので、本棚の前にしゃがんで「まえがき」を流し読みしただけで家の本棚に迎えることが決まった、「まえがき」で心を掴まれるとどうしようもない、早くおしまいまで読んだあとにいつでも読める状態にしておきたくなってしまう。ここを出たら買いに行こうと思う。

保坂さんは、一挙一動がカネの流通に貢献していて、経済にカウントされるんじゃない時間を送れなくなっていると表現し、それをさせている相手のことを「やつら」と呼ぶ。やつらは特定の相手ではないが、人をあるベクトルの行動や考え方に誘導しつづける力だ。そこから抜け出すには、まずそこに枠があることに気づかなくてはならない。なんとなく流れていく日々の中で「させられている」ことに気づき、その状態にうんざりして、そこから抜け出す動き方をする。不規則な動きをする。
保坂和志『考える練習』より「まえがき」(三浦岳) p.5

「不規則な動きをする」というのが、まさに『ポイエティーク』に呼応する。保坂和志は、大きな流れを疑ってかかったときにそれに対するカウンターを選び取るのではなく、そのどちらにも固定されないで流動的に考え続けることをひたすらに説く。それは千葉雅也が『現代思想入門』で言うところのドゥルーズの「仮固定」のようでもある。と、こうやって本を要約したりひとことで表したりする、というのは「やつら」側の考え方で、くだくだとものを読んだり書いたり忘れたりすることこそがよい、と言葉を尽くして言われると、今まさにやっていることに意味なんかなさそうでもそれでいいんだという自信になって嬉しい。そういえば千葉雅也に『意味のない無意味』というのもあった。

日々、自分が抱く考えの大本をそのつど見つめる。自分は何かに流されただけではないか。その何かはどこから来ているのか。そもそも自分がよしとすることとは何なのか。理想を実現するにはどう動くのがいいのか。答えに行きあたらなくても、地道に考え、考えを深めていくこと自体に意味があると自信を持つ。そして延々と考え続ける。深く考えたことを芸術含めさまざまな形で表現する人が増えると、世の中の思考の流れが変わる。これはそのための本だ。
同 p.6

そういえば昨日、恋人が「しんどい業務だけどやりたいことができる企業か、仕事とそれ以外のバランスは取れるけど、やりたいことには遠回りな企業のどちらを選ぼうか迷っている」みたいなことを言っていて、彼女は就活をしているけれどぼくはしていなくて、いやそんなことは関係なくひとりの人間どうしなので、それは迷っちゃうねえ、としか言えない。迷っちゃうねえ、と言った上で、傲慢で勝手な意見を承知のうえで恋人にはできればしんどい思いをしてほしくないし、でもやりたいことに対してがしがし突き進んでゆくのがかっこいいとも思うなあ、と言った。なにかを選ぶということに対して彼女はとても慎重で、ぼくは身体が反応する方をすぱっと選んでしまうことが多いのでメリットやデメリットをああだこうだ並べることはあまりない。でも、彼女がわかりやすい言説や肩書きに簡単に転がされてしまうのを想像すると怖いし、これも傲慢でしかないけれど、もし転ぶことがあるならそれはぼくの言葉であってほしいなとも思う。

いま読んでいた本を買いに行く。新宿か吉祥寺か丸の内か迷って、なんとなく新宿にして、もう雨は止んで相変わらず映画館の横の広場には人が集まっていてなにか撮影をやっていたかもしれない、ちらっちらっと目をやりながらやはりこの街にも拒まれているんだなと思った。猥雑な路地とアングラな雰囲気は嫌いじゃないし、興味もあるのだが、向こうからお呼びじゃないんだろう。

山手線をふたたび半周して三田に戻って、前のめりになって続きを読んで、帰りの電車ではもっと前のめりになってあとちょっとで読み終わりそうなところで最寄り駅だ。ジムに寄る。今日で通い始めて1か月になる。腕と胸のところがちょっと大きくなった気がするけれど、気のせいかもしれない。でも筋肉がありそうなところに力を加えると「ちゃんと使われてますよ!」という反応が軽くあるのできっと少しずつ内側から大きくなっているはずだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?