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よその○○療法にわざわざ口を出す地雷

世の中には、わざわざ踏まなくてもいい地雷がありますが、セラピスト界隈でそれにあたるものは、よその何とか療法について口出しする行為がそれにあたります。
もちろん思うのは自由ですし、それを表明するのも自由です。
ただし、自由には責任がついて回ります。

セラピスト≒根拠

怒る人がいるかもしれませんが、基本的にセラピストが行う施術は根拠に乏しいです。
医学的根拠に基づいたことをしてるって怒る人もいるかもしれませんが、明確に優位なものがあれば、通常第一選択としてそれが出てきますよね。
癌における標準治療のように。
中には一定根拠が有る的な論文を前面に出してる人もいますけど、サンプルが数十とか数百っていうくらいだと、ちょっと覇権をとれるものかはわからないです。
ではすべての施術が無益、又は害悪かというとそういう事ではないですよね。
ただ、正当性とかそういうのを強弁しだすのには相性が悪い、そのくらいの理解でいいのではないかと思います。
あ、そのためのエコーか

なので、大体の施術にはそれぞれの短所であったりツッコミどころを内包していることが多く、ツッコミどころを無くそうと思ったらよくわからない表現に終始するしかありませんが、それやりだしたら広告として破綻しますよね。
さらにセラピストのいいところは多様化だと思いますが、それゆえに自分が門外漢になる施術はいくらでもあると思います。
それを理解してすみわけが出来れば本来は良いのですが…
しかし実際には問題が起きています。

よその○○法に殴りかかる現象

こういう時に特定の名称を出すようなお下品な真似はしませんが、散見されますよね、何とか法とかなんとかかんとかに殴りかかったり、○○とちがって××みたいな宣伝のための踏み台にしたりするのを。
これがダメとかそういう青臭いことを書く気は実はなくて、この際に卑劣なことをした人たちが投げてしまったブーメラン、地雷についてが本日のテーマです。

思うのは自由、言うのは自由。だがそれは卑怯だ

人が何を思うかは自由です。
いうのも自由です。
ただし、何かを否定、批判して自社製品や自分の手法に誘導するのであれば、卑怯な手段を用いるのは得策ではありません。
具体的には、
1,Aを批判、否定
2,Bに誘導
の流れは義務を果たさないやり口であって、
1、Aを批判、否定
2,根拠の提示
3,その問題を解決する対案を提示
4,それが可能なBへの誘導
までを本来セットでする必要があります。

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このマガジンを購読すると、セラピスト界隈で話題になっている事柄に対して、根拠があるのかないのか、実際に省庁がどう回答しているのかがわかります。 また、それをもとに考えることによって、感情的になることが回避できたり、逐一誰かの投稿で右往左往することが減少すると思われます。

思い込みだったり、調べるのが面倒だったり、人のポジトークが理解できない人のために、セラピスト界隈の法制度や話題になっていること、質問された…

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