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鬼滅の刃に見るメンタルモデル 〜下弦の伍:累(るい)〜

こんにちは!向敦史(むかいあつし)です。

最近、20巻が発売された漫画といえば、そうです。鬼滅の刃。20巻の発売日には、行列ができたとか。

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(引用元:twitter

今回は、漫画「鬼滅の刃(きめつのやいば)」の魅力をちょっと違った角度から紹介したいと思います!

鬼滅の刃を語る際に、多くの人が語るのが「鬼の死に際のストーリー、内面の描写が泣ける!」ということ。20巻もまた熱かった。

個人的には、那田蜘蛛山(なたぐもやま)編に登場する、「累(るい)」の話には泣かされました。

「一体、なぜ、ここまで胸に響くのか。」

その裏には、緻密で繊細なキャラクターごとの設定と内面の描写があります。

今回は鬼滅の刃のキャラクターを「メンタルモデル」という思考の枠組みを使って解説してみたいと思います。

「あるある!」「あーーーー、痛い、痛い、わかる。。。」という感覚と共に、「メンタルモデル」に関する「なるほど!」感をお届けできればと思います。!

メンタルモデルとは?

この記事では、「メンタルモデル」とは何かを深くは扱いません。気になる方は、以下のサイトから詳細をご覧ください。めちゃくちゃ面白いです。

とはいえ、鬼滅の刃を分析して楽しむために、以下に、「メンタルモデル」の概略だけを置いておきます。「ザ・メンタルモデル」というサイトからの抜粋です。

<参考サイト>

メンタルモデルとは?

この本で定義する「メンタルモデル」、とは、誰もが無自覚に持っている「自分は/世界はこういうものだ」という人生全般の行動の起点になっている信念・思い込みです。

私たちは幼いころに「この世界にあるはずだ」と思っている大切なものが、期待していた形では「ここには”ない”」 という何らかの欠損の"痛み" を体験します。

その際に、「自分が/世界は ◯◯なんだ、(だから仕方ない)」と思考を使って理由づけし、この痛みの感覚を切り離そうとする、という働きが無意識で起こるようです。

この時に形成される「自分は◯◯だ(だからこの痛みが起きたんだ)」という自分やこの世界に対する"判決" のような完全無自覚な信念・思い込みをメンタルモデルと呼びます。

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個人的に、ポイントとなるのは、「完全無自覚な」という一言。メンタルモデルに関する本を読んで、自分で解き明かそうとしてみましたが、「完全無自覚な」信念・思い込みであるため、歯が立ちませんでした。

このメンタルモデルを紐解くと、本物の痛みと願いに触れて、自然と涙がこぼれたります。

詳細を知りたい方は、以下の記事、または書籍からどうぞ。

<メンタルモデルの詳細についての参考記事>

<メンタルモデルの詳細についての参考図書>

鬼滅の刃に見るメンタルモデル〜下弦の伍:累(るい)〜

では、早速、この「メンタルモデル」を使って、少し遊んでみようと思います。

まず。
鬼滅の刃を見たこと/読んだことがない人は、見てください、読んでください。(暴論)

また、見た/読んだという人は、鬼滅の刃のアニメ21話をもう1度みてください。


・・・


見ましたよね?

いや〜〜〜、ものすごく刺さる。。。

僕が特に胸にぐぅっときたのは、累が死にゆく瞬間に、自分の本当の「願い」に気がついたシーンでした。

抜粋してみます。

累「思い出した、はっきりと。」
累「僕は謝りたかった。ごめんなさい。全部、全部僕が悪かったんだ。どうか許して欲しい。」
累「でも、山ほど人を殺した僕は、地獄に行くよね。父さんと母さんと同じところにはいけないよね。」

・・・

父「そんなことはない、一緒に行くよ」
累「父さん。母さん。」
母「るい。どこまでも一緒よ。」
累「ああああー。全部、全部、僕が悪かったよ。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。。。」

(鬼滅の刃:アニメ21話より)

るいいいいいいい…。(まじでアニメ見てください。)

そして、このシーンを最後に、累は成仏していきます。
このシーンにグッとこないわけない。。。

ではここから、「一体どうして、このシーンにグッときてしまうのか?」についてメンタルモデルの考え方を使って考察していきたいと思います。

累のメンタルモデル

人間は過去に受けた「痛み」という体験を回避するための生存適合OSというものを作り上げています。

累の場合には、こんな回想がありました。

昔、素晴らしい話を聞いた。
川で溺れた我が子を助けるために死んだ親がいたそうだ。

俺は感動した。
なんという親の愛。そして、絆。

川で死んだその親は、見事に親の役目を果たしたのだ。

それなのに、なぜか俺の親は。
俺の親は、俺を、殺そうとした。母はなくばかりで、殺されそうな俺を庇ってもくれない。

偽物だったのだろう。

俺たちの絆は本物ではなかった。

(鬼滅の刃:アニメ21話より)

このシーンから、累の心の奥底にある痛みは、親と子の間に「ある」はずの本物の絆が「ない」ことだとわかります。

痛み:あるはずの本物の絆がない

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このシーンの後、累は自らの手で、自分を殺そうとした父と、それを黙認した母を殺してしまいます。

しかしその後、母親は死に際にこんな一言を残します。

母「丈夫な体に産んであげられなくて、ごめんね。」

(鬼滅の刃:アニメ21話より)

この言葉を最後に母親は息を引き取りました。

ここからさらに、累は自分を殺そうとした父親のセリフを思い出します。

父「大丈夫だ、累。一緒に死んでやるから。」

(鬼滅の刃:アニメ21話より)

累は、その瞬間には自分が殺されそうになった怒りでこの言葉の意味を理解できませんでした。しかし、両親を殺したその刹那、「父は、自分が人を殺した罪を一緒に背負って、共に死のうとしてくれていたのだ」と、唐突に理解します。

累は、本当はあった家族の本物の絆を、自分自身の手で断ち切ってしまいました。

あったはずの本物の絆がなくなってしまった。それも自分のせいで。

累にとってはこの事実が、本当に、どこまでも痛くてたまらない。
本当は自分のことを愛してくれていた父親と母親を自ら殺してしまった事実が痛くてたまらない。

この時、累は本当は気がつきました。自分が愛されていたことを。親の愛を受け取っていなかったのは、自分だったのだと。

この瞬間、湧き上がってきた感情は、後悔、悲しみ、嘆き、苦しみ、寂しさ、恋しさ、喪失感といったもの。取り返しのつかない気持ちです。

不快な感情:後悔、悲しみ、嘆き、苦しみ、寂しさ、恋しさ、喪失感

メンタルモデル.002

今すぐにでも、父親と母親に抱きつきたい。暖かさを感じたい。

しかし、そんな両親を、たった今、自らの手で亡き者としてしまった。
決して、消すことのできない痛みが累の心の中に芽生えました。
そして、その痛みは、直視できるような痛みではありませんでした。

ここから、累は、「愛なんてない」というメンタルモデルを形成します。

愛があったなんて思ってしまうと、なくなってしまった痛みが大きすぎて、生きていられない。こうして、「愛のない世界」に累は生き始めます。

メンタルモデル:愛なし(自分の求めている愛はない)

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累は「愛なんてない」というメンタルモデルを持ち始めましたが、消しようのない寂しさ、悲しさはどうしようもありません。この気持ちを埋め合わせるために、累は他の鬼と「家族ごっこ」を始めます。

家族ごっこをする際に、自分の血を分け与え、能力を与え、役割を与え、家族として成り立つように様々な努力をします。擬似的な家族を作ることで、なんとか、寂しさや悲しさを克服しようとします。

回避行動:克服

メンタルモデル.004

こうして、累には『家族』ができました。

しかし、累の住んでいる世界は、「愛のない世界」。「所詮、『家族』は、自分のことを愛してくれていない。」そんな世界です。

所詮、愛はないから、つながりを信じることができない。絆を感じることができない。不安でいっぱいです。

そこで累は、家族の役割を演じさせるために、暴力という恐怖のエネルギーで支配します。

暴力を受けている側が、累に対して愛を持つことはありません。その結果として、以下のような不本意な現実が次々と現れてきます。

「母親の役割なのに、自分のことを理解してくれない。」
「姉なのに、家族ごっこから逃げ出そうとする。」
「父親なのに、自分を守ってくれない。」
不本意な現実:家族が家族の役割を果たしてくれない。愛がない。

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こうした不本意な現実に直面するたびに、累は、やっぱり「愛なんてない」という「愛のない世界」を強化していきます。

以上をまとめます。

累の生存適合OS

不本意な現実:家族が家族の役割を果たしてくれない。愛がない。

回避行動:克服

メンタルモデル:愛なし(自分の求めている愛はない)

不快な感情:後悔、悲しみ、嘆き、苦しみ、寂しさ、恋しさ、喪失感

痛み:あるはずの愛がない(あるはずの本物の絆がない)

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累は、この世界にずっと生き続けてきました。苦しみ、もがき、たくさんの人を殺し、家族ごっこを繰り返してきましたが、ついに満たされることはありませんでした。

この満たされなさ、累が苦しみもがく姿が、なんとも言えない辛さに溢れています。。。くおおおおおおおおおおおおおおおお、累いいいいいいいいいいい。

この苦しみを背負ったまま死んでいこうとする累に対して、炭治郎が涙を流しながら手を差し伸べ、語るシーンがあります。

炭治郎「小さな体から、抱えきれないほど大きな悲しみの匂いがする」

(鬼滅の刃:アニメ21話より)

その炭治郎の手の暖かさを感じた時に、累は自分の本当の願いに立ち返ります。

痛みの裏側にある「愛がある世界」こそが本当に自分の体験したかったものだ。そして、それは本当はずっとあったのだと気が付きます。それが、冒頭に引用したシーン。

累「思い出した、はっきりと。」
累「僕は謝りたかった。ごめんなさい。全部、全部僕が悪かったんだ。どうか許して欲しい。」
累「でも、山ほど人を殺した僕は、地獄に行くよね。父さんと母さんと同じところにはいけないよね。」

・・・

父「そんなことはない、一緒に行くよ」
累「父さん。母さん。」
母「るい。どこまでも一緒よ。」
累「ああああー。全部、全部、僕が悪かったよ。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。。。」

(鬼滅の刃:アニメ21話より)

こうして、累は自分の本当の願いにつながって、成仏していきました。ああああああああああああああああ。泣けるううううううう。

鬼滅の刃は、この、願いにつながったシーンが、本当に美しい。累に関しては、苦悩を抱えていきてきた累が許されて、自分がずっと欲しかったものがずっとあったんだということに気がついて成仏していくシーンは、やはりグッときてしまいます。

ということで、今回は、累のメンタルモデルを分析してみました。

鬼滅の刃では、表面的には、鬼は、人を殺す悪い存在として描かれています。しかし、メンタルモデルの考え方のレンズからは少し違う見え方になります。

鬼は永遠の命を持っています。これは、いわば、終わりのない苦行。ずっと、痛みを抱えた世界の中でもがき続けています。

この那田蜘蛛山編で、これまた泣けるのが、炭治郎が鬼たちに対しての思いを語るシーンです。

累が死んだ後、鬼に情けをかける炭治郎に、富岡義勇がこのような言葉をかけました。

富岡義勇
「人を喰った鬼に、情けをかけるな。何十年といきている、醜い化け物だ。」

(鬼滅の刃:アニメ21話より)

それに対する炭治郎の返答が、まさに、メンタルモデルの世界観を象徴しています。

炭治郎
「殺された人の無念を晴らすため、これ以上被害を出さないため、もちろん俺は、容赦無く鬼の首に刃を振るいます。」

「だけど、鬼であることに苦しみ、自らの行いを悔いているものを踏みつけにはしない。鬼は人間だったんだから。俺と同じ、人間だったんだから。足をどけてください。」

炭治郎「醜い化け物なんかじゃない。鬼は虚しい生き物だ。悲しい生き物だ。くっっ。」

(鬼滅の刃:アニメ21話より)

炭治郎は、自らの命を奪おうとする鬼に対して、その人生の虚しさ、悲しさを共感的に味わっています。そして、鬼を尊重しようというのです。

炭治郎おおおおおおおおお…。。。

鬼滅の刃の作者は、「鬼」というメタファーを使って、生存適合OSで生きる人間の姿を描いているとみることもできます。永遠の命を持つ鬼が、痛みを味わいながら、それを回避するために必死にもがいている。そして、その鬼が成仏する際に、願いにつながり、成仏していく。

そんな瞬間を描くことによって、痛みとの葛藤の果てにある美しい世界を描いているのではないでしょうか。

今回は、累くんをみてみましたが、鬼滅の刃はどのキャラクターも、このメンタルモデルが浮かび上がってくるほどに、キャラクターが描きこまれています。一人ひとりのメンタルモデルを読み解きながら読んでみるのも面白いかもしれません。

鬼滅の刃のキャラクターのメンタルモデル分析をいろんな人と一緒にやってみるのも面白そうです。

おしまい。

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