包まれた海の石をもらう
近所のファミマにいくと、ちょうどバイトおわりの友人がでてきてお土産をくれた。
「馬島土産」と手書き文字と馬のイラストが描かれた茶無地の紙袋。ベロはファミマのレジテープで留められていて、中から観光土産風にしつらえられた透明opp袋のに入った、勾玉のような変な形の石ころが一つ。口は青い画用紙でホチキス留めされており、そこにも「うまじまの石」と手書き文字。
北九州の海岸での滞在制作中に拾った石を、お土産っぽくDIYしてくれたとのこと。
これは、昨日の18時くらいの出来事。
不意の贈り物に触発されたおれは、部屋に戻り、約束していた東京と神戸でそれぞれお世話になっている人へ送る冊子の梱包を始める。やっているうちに熱が入り、封筒にドローイングを描き、なかの冊子もトレーシングペーパーで包み、紙紐で結び、簡単な手紙をそえ、といったことをしていった。
包みおえたタイミングで、新潟・妙高高原からの来訪者があり、一緒に飲んでるうちにたのしくなって寝た。
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今朝。目が覚めアトリエに行くと、作業机の上に、開けられた「牛島土産」と、包まれた「冊子いり封筒」が並んでおり、それが妙にいい感じで、しばらく眺める
ふと思い出し、数ヶ月前に購入していた「新・包結図説」という本を取り出し、ペラペラめくると、神話学者の石倉敏明さんの寄稿の書き出しに、
とあった。
海岸の石ころを近所の友人に渡すのに、わざわざ二重の包みを施した友人について考える。
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石ころには綺麗な穴が空いており、友人は、こんな感じの石がたくさん落ちていた、という。
ネットで調べてみると、形状的にカモメガイという貝が開けた穴のよう。
驚いたことに、ヤスリのような貝殻を振動させたり回転させたりしながら石を掘り、その穴に包まれて暮らす貝らしい。
贈り物としての「うまじまの石」は見方を変えると、紙袋、opp袋、石、の3重に包まれた、カモメガイが生きた「海の時間」だったのである。
雨降りで薄暗い6畳のアトリエから、すうっと遠くへ、気分が伸びる。
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本を読み進めると、なんの偶然か貝の話も出てきた。
こんにちの、結婚式などの機会に添えられる「熨斗包(のしづつ)み」は、中世以降花開いた武家の作法である特別な贈り物に「熨斗鮑(のしあわび)」という鮑を細くして乾かしたものを添える伝統に由来している、とのこと。
海の産物(海から贈与)を陽光にさらし乾かし、「聖なる贈り物」に変成させたものらしい。
とある。なるほど。
また、贈り物について
とのこと。
贈り物と貝。包みと海底。
イメージは膨らむ。
「眼に見えない」力と、それを生活に取り入れようとする感性が、ふとした贈り物を通してつながっていく日になった。
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追伸1
牛島を調べてみると、北九州市と下関市の間くらいにある小さな島で、
北九州市に属する。北九州という土地は、1700年前からの大陸との交易地であった。
八幡製鉄所があり、製鉄もまた海のかなたからもたらされた技術である。最近買った本に、
渡来人、製鉄技術、鬼(製鉄の作業で顔が赤くなる)、反体制の漂泊者(まつろわぬ民)、芸能、との関連が書かれていた。それも近いうちにまとめてみたい。
追伸2
浦島太郎を題材した友人の発表をみた。
海に囲まれた島の慰霊の物語として「浦島太郎」を読み直す試みである。京丹後の大宝地震と風土記のリサーチから着想し、能楽師とコラボする形で上演していた。東北で出会うアーカイブ団体のもつ詩性を連想させるところが多く興味深かった。「海をめぐる人間の物語」について、自分にも引きつけながら考えてみたい。
追伸3
昨日のテキストで、二項対立について触れたが、今日読んだ「新・包結図説」にも関連する記述があった。
このイメージは、近頃、練習している反復横跳びの動きに近い気がする。
反復横跳びは疲れてからが本番、息を切らしながら待つ。
追伸4
今住んでいるところは、海も山も5分くらいでいける位置にある。
つい先日、探検部時代からの友人が、海からわかめを大量にとってきて、それをご近所メンバーで集まってしゃぶしゃぶにした。たけのこご飯もよくもらう。近いうちによもぎ天ぷらと、ジャスミン茶をつくる計画も立てた。たのしみ。
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