浅瀬に漁る
子どもたちを連れて、ふらっと川へ。
夏の浅瀬には思ったよりも多くの小魚が群れている。
浅瀬に石を積んで、魚を追い込むための防壁を作り、
底を掘って網の通り道を作る。
こんな作業をしている最中にも、小指の爪ほどのシマドジョウが、
新しく掘り返された川底に興味津々で寄ってくる。
極めつけとして集魚用ペレットを、手すさびレベルで作った漁場の中央に投げ込んで、
子どもたちに遠巻きに魚を追わせていく。
日曜日将軍たる父の指示に子どもらはよく応え、
手にした網には小さなウグイやオイカワ、シマドジョウが。
特にどうしようという意図もなく、捕らえては放す。
何の営為なのだろう? 魚をいじめているようにも見える。
子どもたちは歓声を挙げるが、魚もやられっ放しでもない。
網を交わしながら巧みにペレットを貪っていく。
「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」
レヴィ・ストロースの『悲しき熱帯』の一節がふと浮かんだ。
私たちの営為は、魚にとって、川にとって、自然にとって、さしたる意味を持たない。
人間なんか世界から見たら全く孤独で無意味だ。
でも、晴れた空の下、こんなに楽しい。
お金儲けなんかしているより数倍も。
吉本ばななは『キッチン』にこう書いた。
「幸福とは、自分が実はひとりだということを、なるべく感じなくていい人生だ」
まさに文句なく幸福な、夏の一日。