砂師の娘(第十六章C面 選んだ袋)

カケルはきらきらと輝く空気に包まれていた。
「ああ あゝ 」
声を出そうとするたびに、喉がナイフに刺されるように痛んだ。声ではなく、乾いた風の音がした。身体が一本の砂の棒のように思えた。わずかでも音を出すと、そこからこわれていく砂の柱。
(砂に、砂になっていくのか?)
カケルはもう、目を開けて見ることも忘れていた。
「まだだ。まだだカケル、お前は砂にはならん。」
力強く囁く声がした。カルラの声だ。
「ああ、ああ、、」
妙にざらつく胸から喉元へ、熱いけむりのような息がひとすじ出た。
「行こう、ついてこい」
カルラがいつもの調子でカケルに言った。
「行こう」とカルラが言えば、「行こう」とすぐにこたえるカケルだった。
(待って、カルラ、おれ、動けない)
カケルのそんな様子を、まった気にもしないふうに、カルラが黙って背中を向けた。
「おぶってやるよ。カケル。」
カケルの身体には、なんの感覚もなかった。身体を曲げることも出来ないのだった。だが、カケルはカルラの言葉には何時だって従うのだ。たとえ、石のライオンになったとしても。どうやって、カルラの背中につかまったのか覚えていなかった。
カルラは何故か空を飛んでいるようだった。きらきらと眩しい空の下を飛んでいた。
「さあ、さあ、袋一杯に詰め込まれたお楽しみだよ。よりどりみどり、お好きなものを選んでおくれよ」
ガラガラした声、懐かしい声がした。カケルはぐらぐらとする頭を少し持ち上げようとした。
「カケル、なにか欲しいものがあるのか?」
声にならないカケルの動きを感じて、カルラが振り向いた。
「さあさあ、そこのぼっちゃんたち、あんたさんたちは、まことに運のよい人たちだ。これは売れ残りの一袋だが、だれも買いたがらなかったこの袋こそ、ぼっちゃんや、これはあんたの命袋だよ」
頭がぐらぐらするほどの大声が耳のすぐ近くでした。
(ああ、この声は岩ばばじゃあないか?)
冷たい湿っぽい草の匂いのする小さな袋が、カケルのほとんど感覚のない指先に触った。
「おっと待った、待った。ぼっちゃんたち、ただではお分けで
きませんぜ。わてはだてにこの商売をしてるわけじゃない。さあ、この袋のお代を払っておくれ。」
カケルは感覚を失った指先から、小さな袋がもぎとられるのが判った。その小さな袋が欲しかった。
「ああ、ああ、」
「さあ、お代を払ってもらおうじゃないか。お前さんたちは見かけん顏の新入りだが、この夢の市は物と物との交換市だよ。持っていく者は納める者だ。」
カケルは必死になって、重いまぶたを押し上げた。見慣れた岩ばばの真赤な顔がカケルを睨んでいた。
「ああ、ああ」
カケルの声にならない思いを察したように、岩ばばがにやりと笑った。
「おお、ぼっちゃんは、このばばにお前さんの心臓と交換に、この袋を持っていくと言いなさるんですかね。まあ、ようござんしょう。あんたは、この袋の中のものが、それだけの値打ちのあるものと思ったのだね、、ひっひっひ。まあ、それはこの袋を開けてのお楽しみですわいの。」
「なにをするんだ。カケル、騙されるな。」
カルラの身体から、不意にカケルが離された。上向きに倒されたカケルの身体に岩ばばが飛び乗った。
「ほっほほっほ。弱りかけているとはいえ、この若い心臓はわてのお宝様よ。さあさあ、持ってお行きよ。お前さんは早速、この袋を開けるとよいわ。。」
「カケル」カルラの叫ぶ声がした。
カケルの身体から、身体の重さも痛さもすべて消えていた。
岩ばばの渡してくれた小さな布袋はひどく軽くて、中には何も入ってないようだった。
自分の心臓と引き換えにするほどのものが。入っているとは思えなかった。カケルは力なくその袋を振った。ひもがするすると解けた。
小さな草色の袋の中から、丸められた草の葉がのぞいた。
二人の見守るなかに、一匹の白い蜘蛛が現れた。蜘蛛は震えながら折りたためられた脚をゆっくりと伸ばしていった。
透明な蜘蛛の脚ははじめは掴んでいた葉の緑に染まっていたが、袋から出ると、まわりのきらきらと光る白をまとって、どんどんと大きくなっていった。
(蜘蛛じゃないか、、。ああ、カルラ、ただの蜘蛛だよ。)
カケルは次第に遠くなってゆく意識のなかで、がっかりとして呟いた。もう、一滴の水もないと思われた目から涙がこぼれた。
カケルの泪を受けた蜘蛛が、優美に会釈をしたように思えた。 
「ああ、カケル。これはどうしたことだ?」カルラが叫んだ。
カケルの泪を吸った蜘蛛が、無数の絹の糸を空に放り投げ、その空間を散りばめて、勢いよく蜘蛛の巣を張り始めた。
(第十六章C面終わる)

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