あかねが淵から(第六章後段)

筆頭巫女の示す黒い願文を前にまたもや、神官たちの間に激しい論争が起こった。慎重な学者はだの神官は丹念にその黒い願文をいじくり、首を傾げた

「いつの時代に出されたものか?この紙の出所も判らず、この願文が過去のものか、あるいは未来に出されたものであるのか、時の設定すらもさだかにできない。その上に、たとえわれらの記憶にない遠い世のことであっても、そのような大惨事が起こった後では、必ず、すさぶる神のみ心を鎮め、復興の祈りをささげた願文があるはずなのに、それが見当たらないことが不思議じゃ。
「まあ、これはあくまで推論じゃが、」年取った神官はつけくわえた。
今、現在、こうしてあかねが淵はもとより、他の五山にも変わらぬ平和な世界が保たれておることから、その願文による大惨事が起こる前に、なんらかの力が働いて悲劇を未然に阻止したのではないか?ということも、考えられないこともないが、、」
続いて、攻撃的な神官が
「おそれながら、この黒い願文に書かれた字が筆頭巫女さまの字そっくりである。わしは、この願文そのものが、自説を曲げぬ筆頭巫女のでっちあげではないかと疑う」といいたてた。あまりに無礼な物言いに、その場に控えていた我が一族のものが、その神官になぐりかかり、一座は騒然としたが、、。
ともあれ、今、ここにあるこの平和なあかねが淵の姿こそ、まったき神の力が行き届いている確かな証明だという説で一致した。

そこから、全き神の力に疑いを抱くなどという、冒涜をおこした筆頭巫女とそのいざこざに加担した「智にさとき者たち」一族を、あかねが淵から追放することにしたのじゃ。
 あかねが淵の神にその旨がはかられた、神はしばしの沈黙のうちにそれを了承した。「追放」は神の意志となった。

筆頭巫女はあかねが淵からの追放をむしろ進んでうけとめた。巫女は、追放が決まった夜、我ら一族の前で、誇らしげに自分の胸にある思いを語ったのじゃ。
「神が私の追放をみとめられたのは、私がとんでもない間違いをおかしているということでだ。たしかに、他の神官たちのいうように、過去にそのような大惨事があったということは、信じられないかもしれない。ただ、我らがあかねが淵では、百年やそこいらの誤差は常にあることだ。この惨事はすぐ近くの未来のことであるやもしれない。
私の懸念は間違ってないと今でも思っている。しかも願文の存在は、お前たちも知ってのとおりだ。
私の想像するに、荒々しい水の暴走からおこる惨事を未然に食い止めたのは、あかねが淵の外の世界の人間や、精霊の力によるものではないかと思うのだ。私は幸いにも、追放されたので、このあかねが淵を出ていき、、いかにして、神の力に対抗して、そのようなことが出来たのかを、その謎をつきとめたいのだ。」と。

追放にあたって、あかねが淵の水の神に、巫女は三つの願いをした。
一つはあかねが淵の赤い絶壁の東西南北にある四本の滝の一つ、「時の軸の滝」をくぐることで、外つ世の選ばれた人間の姿に成り代わることを願った。このあかねが淵で持っているすべての力を忘れることを条件としてじゃ。
二つ目は赤い絶壁の外に立つ「姉妹の塔」、この塔の祭祀を筆頭巫女に託すということ。
古来、この塔は水の神と外の世界の人間が、百年に一度、狼月の望月の日、月光と暁の陽光とが交わる早朝、水の命をたたえて、寿ぎの舞をまうという儀式のためにたてられた塔なのだ。
「おそばを追放されても、確かめたい謎にうごかされての異世界への旅です。どのような運命が私を待ち受けているやもしれませんが、自分の使命をつつがなく果たしたうえでの、私の願文を奏上する社殿として、この塔を私にお任せください」
二つ目の巫女の願いも受け入れられた。
三つ目の願いには神は沈黙で応えた。
(第六章後段終わる)

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