鶴と名付けたこと

 雨が降っていても散歩をする。
ことに近頃は「熊が出没する」という情報が出回っているので、「必ず鈴を持ってくださいね」などと心構えも支度もひと手間いる。
(雨の日なら、傘を持ってない熊は出て来ないだろう。アザーズも濡れた地面を這うのは楽しくないだろう)
 今日も赤い傘をさして、散歩に出かけた。紫陽花はそれぞれの形も蒼の変化も多彩でたっぷりと雨露を含んで美しい。木槿は早く暮れてゆく雨空に反応して、落花で、もう足元を白く染めている。
今年は新顔の山百合が数本、細い優美な蕾をふくらませている。今日はオレンジ色の萱草百合が早々と咲きだしていた。
 雨でも出かけるには、必ず散歩で出会う友がいるからでもある。
もう、三年も前になろうか?冬木立の淋しい池で、一羽の鶴に出会った。「それは鶴ではなくて、鷺でしょう」と親切に教えてくれようとした人が居たが、私のむっとした顏を見て、
「せっかく、鶴と思っていらっしゃるのなら、鶴にしておきましょう」と言うことになった。
その鶴は不思議と必ず、池の風倒木のあたりにいて、私が近づくと、池の面すれすれに、品よく凛とした飛翔の姿を見せて、東の空に向けて飛んでいく。(鶴であることに誇りを持っているその姿)
 たとえ、その日の私が厄介な鬱屈を抱えていたとしても、黙契のように、東の空に飛んでいく鶴を見送り、早くも上ってきた三日月の淡い影を見ると、すでにこの風景のなかの一員となっている自分を感じる。

盛り過ぎし水の明暗の冷たさよ天空しづかに虹のかかりたる
あれはたしか文月三日に生まれし風ぬるみて少し鳥の匂ひがしてゐた
破れ蓮のねむらざる耳鋭くて月光より降りくる音を溜めゐる

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