砂師の娘(第十六章B面時の蛇岩の旅)

さらさらと砂の零れる音がする。聞こえるはずのない時の零れる音だ。しんさまは絶え間なく零れる砂に似た音を聞きながら思った。さらさらと零れていく砂の音には切れ目がない。繋がっているようで、繋がらない幻の糸のような時の流れ。
 岩ばばの指し示す古びた白い岩の裂け目に飛び込んだはずだった。先に飛び込んだつぐみの背中を見た記憶がある。後に続いたゆうの小さな手が、私の手を捕まえようとしたのも覚えている。(私はあの手を振り払った。)
心のどこかでチクリと冷たい思いが胸を刺す。
 でも今は誰も誰の姿も見えない。一人で、たった一人で、砂の零れる音を聞いている。
そうではない。滑っているのだ。白い時の砂でできた壁を下へ下へと滑り落ちているのだ。忘れてはいけない。時の蛇岩に飛び込んだ私は、カルラとカケルの捉えられている銀の森へと急いでいるのだった。
 突然に胸がぎゅっと押しつぶされるように縮んだ。続いて、今度はどこまでも伸びていくように、引っ張られる力を感じた。
岩ばばの慌てふためいた声がした。
「しまった。縮めよ。縮まれ。いや、回れよ、回れよ。いや、静まれよ。鎮まれよ。ええ、この時の蛇岩の扱いの呪文を書いた紙をどこかへ落としてしまったわ。」
突然にものを引き裂くような音が起きた。獣のたてる唸り声、激しい怒りの声、必死になって、逃れようとしてもがき暴れる声。
「やや、ややだ。」
いつの間にもぐりこんでいたのか?ややの暴れ、死に物狂いでものを引き裂く鋭い爪の音。聞くに堪えられないほどの響きとなって、時の蛇岩にこだました。
「黙れ、黙れよ。ここでは音を立てることは禁じられているぞよ」
古びた神さびた声がして、時の砂の流れが止まった。
なんとも有無を言わさない力が働いて、しんさまも、つぐみも、ひばりも、ゆうも、冷たい水のなかに放り出された。

水面に姿を見せたややの怒り狂った目が闇の中に光っていた。
「やれ、厄介な。だれがこの猫を連れてきたのかいな」
岩ばばの弱り切った声が聞こえたが、姿は見えない。
放り出されたときに、思わず呑み込んだ水は冷たかったが、潮気はなかったし、水面は深くはなかったので、すぐに立つことは出来た。
しんさまは頭上に広がる星空を見上げたが、まるっきり、見たこともない星座が広がっていた。
(一体ここはどこだろう?)
しんさまたちを吐きだした、時の蛇岩が古びた断層を見せながら、暗い湖の底へ沈みこんでいくのを、ため息をつきながら、見送った。
一行はひどくくたびれていた。
白い裂け目に飛び込んでから、すぐに吐き出されたような感じだったが、ここは見たこともない星座が広がる、夜の湖の中だった。
「頼む、頼みます。早う誰か、早うこの猫をわての頭から、のけておくれよ、、」
弱り切った岩ばばの声がした。
岩ばばの頭にややが乗っていた。白い前足を曲げて、しがみついていた。
慌てて、手を伸ばしたしんさまにも、ゆうの手にも移ろうとしないで、いかにも落ち着き払った感じで、岩ばばの頭の上に座っている。
笑うべきときではないと思ったが、その姿を見て、ゆうが笑い出した。しんさまもそれにつられて笑いだした。
笑い声には不思議な力がある。思いがけない成り行きになったが、一行は笑い出した。しまいには,ややを頭に乗せた岩ばばまで笑いだした。
「やれ、まあ、誰も怪我もなしにここまでこられましたんや。この猫のおかげで、ひどく見当違いのところまで、飛ばずにすんだ、、。なにしろ、わては、とめるための呪文を思いだせなかったからの。、、」
 しんさまはふと息を呑んだ。
暗い湖の向こうから、歌声が聞こえてきたのだ。
(あの声は、、)
「ああ、しんさま。あれはだれかの声に似ている、、しんさま、あれはしんさまの歌声だ、、」
ゆうがつぶやいた。
(第十六話B面終わる)

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