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梅雨 担当:羽尾万里子(はおまりこ)

しりとり手帖、第5回担当の羽尾万里子(はおまりこ)です。
第2回担当のかわかみさんと『BeːinG』というZINEを現在制作中です。
グラフィックデザイナーをしつつ、最近怪談を語ったりしています。
さて、しりとり→リカバリ→竜宮城→ウスターソース→すいみつに続くのは「梅雨」。
私自身の梅雨の思い出です。



今でも、梅雨の時期、雨の降る駅前を通る度に思い出す事がある。

あれは私がまだ高校生だった梅雨のこと。
夕刻、自宅の最寄り駅である目黒に帰り着いて駅ビルを通り抜けると、そこはざあざあ降りの大雨だった。
高校は制服の規定が厳しく、年間を通して短めのソックスにローファーが基本。
これじゃ家に帰るまでにどうせローファーの中がびちゃびちゃになっちゃうなぁ。
溜め息をついて、折り畳み傘を広げて、意を決して雨の中に一歩踏み出した。

駅から出てすぐの横断歩道を渡ろうとして小走りになったその瞬間、目の中でごろっとした違和感と微かな「パチン」という音がした。
はっと目を押さえた時にはすでに遅く、視界が左半分だけぼやけていた。
コンタクトレンズを落としてしまったのだ。

私の眼は悪い。
強い乱視と遠視で、裸眼では世の中全てがぼやけて見える。
当時乱視用の1dayコンタクトなんてなくて、ソフトコンタクトは雑菌が繁殖しやすく頻繁に目が痛くなりがちで、ハードコンタクトをつける他選択肢がなかった。
清潔感や酸素透過性では文句なしのハードコンタクトの唯一にして最大の欠点は、とにもかくにも失くしやすい事だった。
瞳が急に動いた時に目の縁にぶつかるとその瞬間弾け飛び、目が乾いていると瞬きするだけでぽろりと零れ落ちる。
だが、両目で数万円する上に、紛失では保障対象にならず、割れたレンズを持っていかないと新しいものが貰えない。
仕方がなく、落とす度に徹底捜索をして、なんとか毎回見つけていたのだ。

だが。
あーあ、これは、見つからないだろうな。
諦めに似た感情を覚えながらも、緩慢な動きでしゃがみ込む。そうは言っても探さないわけにはいかないのだ。数歩先の側溝に向けて勢い良く流れ込む雨水に映る信号機の青が、半分ぼやけた視界に飛び込んでくる。

乱視の視界というのは意外にも美しい。光るもの全てがまるで花びらのように放射状に広がってそこから斜めに光の筋が伸びて、それが瞬きのたびにチラチラと揺れる。
実を言うと、雨の日の夜なんて格別で、街のさまざまな灯りや信号とそれが地面に映り込んだ光、全てがないまぜになって光り輝く。
私にとっては当たり前のぼやけた視界だが、乱視の人間でないとこの風景は見えないのだとふと思ってから、時々それを楽しめるようになっていた。
だが今は、空気を読まずにやけにキラついているこの視界が恨めしい。

傘を差しながら、肩に通学鞄を背負って、濡れた地面につかないようにスカートを腿の下に挟み込む。もうほぼ身動きが取れない状態で、半分ぼやけた視界で地面を斜めから見る。
晴れの日なら運が良ければ、キラリと反射する光が見つかるのだが、雨に濡れた路面はそこかしこが光って、全く判別がつかない。
女子高生が駅前の人通りの多い横断歩道前でうずくまって地面を見ている状況は傍目からみてかなり奇妙だったろうと思う。だが傘で周りも見えず、雨で音も聞こえないせいか、さほど周りのことが気にならず、地面の検分に熱中していると、
「どうしたんですか?」
と後ろから声がした。
振り返ると、若い青年が不思議そうな顔でこちらを覗き込んでいる。

正直を言うと、恥ずかしいから放っておいてほしかった。それにどうせ、コンタクトレンズを探してるなんて言ってもこんな雨の中無理だろと思われるだけだ。ならいっそもう説明してしまうか。
「ええと、コンタクトレンズを落としてしまって…あ、でもほんと、大丈夫なので…」
たぶん、引き攣った笑顔だったと思う。
さあ諦めて横断歩道を渡ってくれ。あなただって皆と同じく帰りを急いでいるんだろう。

だが、青年は「え!コンタクトレンズ!!!」と叫ぶとしゃがみ込んで周囲の地面を探し始めた。ぎょっとしたのはこちらだった。
そして、
「この子、コンタクトレンズを落としたみたいなので、この辺踏まないで下さい!」
と通行人に向かって叫んだ。
「あ、でも!!!雨なので多分見つからないと思うので!!!1人で探すので大丈夫ですよ!!」
赤面して声をかけると、横断歩道を渡ろうとしていた人がそれを聞きつけて、
「どうしたの?コンタクトなくなったの?!」
「水の流れがこうだからこっちに流れてきてるかも」
とみるみるうちに5、6人による大捜索が始まった。
こんなほぼ可能性のない捜索に、それぞれの用事を控えて忙しいであろう駅前の通行人の方々を付き合わせてしまって、もう、申し訳ないやら、有難いやらでオロオロしていると、数分後に、
「あれ!これじゃない?!」
と少し離れた所から声が上がった。
信じられない思いで駆け寄ると、女性の指に確かに、青みがかった私のコンタクトレンズが摘まれていた。
「これです!ありがとうございます!!」
わぁっ!と集まった人たちが歓声を上げて、拍手が沸き起こる。
まだ学生でお礼の仕方もわからなかった私は、「本当に有難うございました」と頭を下げ続ける事しかできなかった。それに颯爽と手を振りながら駅へ街へと消えていく彼や彼女の背中は心底格好良かった。
細かな人相は覚えていないがとにかく全員が優しく晴々とした笑顔をしていたのを覚えている。

本当にささやかな、でも私にとってはとても大切な奇跡についての思い出である。

私は、あんな大人になれているだろうか。
梅雨の時期に濡れた路面に映る信号の青を見る度に思い出す。


「つ」
色々考えたのですが、変わったワードにしてしまうと考えすぎて筆が進まず、シンプルすぎるワードだとつまらない…
色々考えた結果、ちゃんと書き残しておきたかった梅雨の思い出にしました。

これでしりとり手帖も一巡り!
次は「ゆ」で寺橋さんにお渡しします♪
よろしくお願いします!!

※「しりとり手帖」の説明はコチラから

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