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リストカット少女が幸せを取り戻すまで 〜中学生時代 ④〜

別居生活がはじまってからしばらくは
両親の怒鳴り声もなく、
落ち着いた生活をしていました。

私は当時
父が許してあげればいいだけなのにと
母の事が心配な気持ちや
好きな気持ちが強かったので
祖父母の家より母のもとに
行くことが多かったです。

母は毎日泣いていましたし、
父の浮気の証拠などを探しては
私に見せてきていました。

少ししてから
お互い離婚で話が進みはじめ
(母は納得していなかったようですが)
それに対しての話し合いが
何度も行われていました。

母はいつも取り乱すので
話し合いと呼べるかは微妙でした。

私達、兄弟をどうするかの話し合いは
いつも激化しました。

3人兄弟のうち私を含めた2人は母に
1人は父についていきたいと言ったのが
子供達の意見でした。

父は3人一緒のほうがいいと言い母に3人とも、
母は育てていける自信がないのか、
いらないのかずっとそれを拒絶していました。

喧嘩中に
『あんた子供が邪魔なんやろ!!』
「お前も邪魔なんやろ!!」
という声が聞こえてくることもありました。

(私はいらないんだ。。邪魔な存在なんだなぁ。)
と。

両親が親権で揉めるたびに
自分の存在価値はいったいなんだろう。

学校でも目立つ事をすればいじめられ、
いじめられないように目立たないようにと
すれば自分が空気のように思えてきました。

家では兄弟や家族に心配かけちゃだめだと
元気に振る舞っていましたが
いろんな自分を演じすぎて
本当の自分が見えなくなっていました。

その存在を確認するように
見えない所へのリストカットを続けていました。
痛みが自分の存在確認になるし
胸のモヤモヤも痛みでごまかせる。

コンパスの針からハサミに傷は
より深くと変わっていきました。

そしてうまく説明できませんが
他人の目を気にして演じ続けてる自分は偽物で
体を傷つける自分は
本当の自分とまで思っていました。

そして中学生の夏休み
父が運転する車の助手席から
母は飛び降りて自殺未遂をしました。

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