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昭和の恋

告白

高一のクラスで特に仲が良くて気になる男子が二人いた。

一人は、背が高くて笑顔が可愛い。明るくて楽しい男の子。からかったりからかわれたり。いつもなんやかんや言い合いしているのがとても楽しかった。休み時間が終わるギリギリまでトランプしたり、お互いの部活の練習風景を見ては感想を言い合ったりするのが楽しくて、毎日嬉々として通学していた。幼い頃から、こういうタイプの男子に恋心を抱いたものだ。いつまでたっても友達以上恋人未満から抜け出せない、そんな関係。

もう一人は、中肉中背、古畑任三郎風の襟足。先生のモノマネが上手で芸達者なイメージ。それでいて政治の話や「右」とか「左」の話をしたりもする。なんとなく上から目線のような彼の態度が最初は苦手だったけれど、教室の隅っこで聴く彼の話は、同い年とは思えないくらいオトナっぽい。いろんな顔を持つ彼のこと、磁石で引き寄せられるように好きになった。

その年のバレンタインデー。散々悩んだ末に、オトナっぽい彼に、手作りチョコを渡すことに決めた。湯煎で溶かしたチョコレートにコーンフレークを入れて、小分けにして固めたものにアラザンをトッピングするという簡単なもの。初めてのお菓子作りは骨が折れた。
同じく初めて書いたラブレター。文豪さながらに、書いては丸め、丸めては捨て、気づけば窓の外は明るくなっていた。

バレンタインデー当日の放課後。
「渡したいものがある。部活終わったら急いで行くから本町公園で待っていてほしい」
アタシは早口で告げる。もうこれ自体が告白のようなものだ。彼は何も言わず頷く。

部活を終え、アタシは自転車をかっ飛ばし、待ち合わせの本町公園へ向かう。彼の姿が見えない。場所を間違えたのか。それとも無視されたのか。どうしよう。明日からどんな顔して学校行けばいいのだ。30分ほど本町公園のベンチでうな垂れる。悪いイメージしか浮かばない。

背後でアタシを呼ぶ声がする。振り返ると見慣れない私服姿の彼が立っている。アタシは反射的に立ち上がる。彼はアタシとは反対側で待っていてくれたらしい。お互い背中合わせで待ちぼうけ。心を痛めていたことがわかり、胸が熱くなる。

アタシは、ハプニングの勢いを借りて赤いリボンのついた小さな袋を差し出す。
彼は両手で丁寧に受け取り、ベンチに座った。

「キミはアイツのこと好きやと思ってた。けど、嬉しい。」
「手紙、書いたから……。」
アタシも隣に座る。それ以上の言葉が出てこない。頬が火照るのがわかる。

すっかり陽が落ち、あたりは真っ暗だ。
彼は意を決したように立ち上がる。

「一緒に帰ろか」
「うん」

自転車を押して2人で歩く道すがら、彼は、いつにも増して饒舌だ。アタシはまだ言葉が見つからない。彼の言葉に相槌を打つのが精一杯だ。

俺らの家まで


いつもの教室の隅っこで彼は囁く。
「明日、僕の家においで」
「う、うん」

制服のスカートがめくれてもなんのその。バレーボールで鍛えあげられた脚力で自転車を力いっぱい漕ぐ。1秒でも早く彼の家に着きたい。風で髪の毛が乱れるのが気にかかる。紀の川にかかる北島橋を渡るときには、一際強く風が吹いていた。信号待ちで止むを得ず足を止める。急ぎすぎて汗をかいてしまった。
(8×4持ってきたら良かった)
私は空を見上げ、雲を睨んだ。信号が青に変わる。気持ちゆっくりと自転車を漕ぎ出す。

彼の家は市営住宅の4階だ。一歩一歩階段を登るたびに心臓が張り裂けそうになる。
あまり綺麗ではない白い壁に、ところどころ錆の見える肌色の鉄のドア。ふぅっと大きく息を吐き胸の高鳴りを抑える。右側にあるチャイムを鳴らした。もしかしたら、お母さんが出てくるかもしれない。また胸が高鳴る。できる限りにこやかな笑顔を作って待つ。開いたドアからのぞく彼の顔を見て胸を撫で下ろした。

「今日、誰もおれへんから」
「そうなんや」

一目散に彼の部屋へ通された。フローリングの床の真ん中にコタツ。コタツ布団は紺色の無地。コタツの上には英語の教科書とノートとシャーペンが置かれていた。窓際には、私の家にあるような学習机ではない、木目調のオトナっぽい机がある。香水だろうか、いい匂いがする。今まで嗅いだことのないタイプの匂い。入口から見て部屋の左隅にはフォークギターが一本立て掛けられていた。左側の壁に沿って黒い革のソファがある。

座るよう促されてソファに腰を下ろす。彼はギターをとり私の隣に腰掛ける。慣れた手つきで相棒をかき鳴らし、歌い始めた。

『チョ・コ・レェト、食べてもらえましたか?』

冒頭の歌詞を聴いて驚いた。アタシがバレンタインデーにチョコレートと一緒に渡した手紙がそのまま歌になっていたのだ。

彼はいたって真面目だ。ビブラートをきかせながら、ラブレターをそのまま歌い上げる。アタシは、脇の下をくすぐられているような感覚に襲われ落ち着かない。

彼は左足でリズムをとる。リズムに合わせて身体が左右に揺れる。それに合わせて彼の長めの前髪が揺れる。声を裏返してサビの部分を歌われたとき、アタシは身の置き場がないような気がした。彼の弾き語り姿をまるごと受け入れるには、アタシは圧倒的に経験不足だ。気持ちの持っていきようがわからない。長渕剛とつき合っていた頃の石野真子だったら、こんなときどうしていたのだろうか。どんな顔して聴いていたのだろう。

やっと一番が終わった。間奏を弾きながら、誇らしげにチラリとこちらを見やる彼の目線。アタシは魔法をかけられて石にされた旅人のように、ソファに座ったまま動けない。

自作自演のカセットテープを手渡され、初めてのデートは幕を閉じた。


母の呪縛


自作自演のギター弾き語りカセットテープをプレゼントされた日から、アタシは急に長渕剛のファンと化す。

それまでマッチだ聖子だ、明菜だキョンキョンだ……などと騒いでいたアタシが、である。

とにかく一緒に歌いたい。彼にダビングしてもらった長渕剛のカセットテープを擦り切れるほど聴く。伸びて音がおかしくなるぐらい。

彼の部屋で、音楽を聴いたり一緒に歌ったり、テスト勉強したり、勉強を教えてもらったりして過ごすのが常。
学校では、ついついはしゃぎすぎるアタシ。彼の目にはどう映っているのだろう。怖くて聞けない。
オトナっぽい物言いをする彼についていくのに必死だ。

彼の部屋のコタツの同じ面に肩を並べて座り、一緒に勉強する。
彼は開いているアタシの英語の教科書の一部分を指差す。
「ここ、読んで」
アタシは彼の指先を見る。
「え……?」
確認しようと彼の顔を見上げる。真剣な顔をしている彼の手がアタシの両頬を丁寧に包んだ。チョコレートを受け取ったときのように。
アタシは目を閉じた。

(キスって……レモン味でも何でもない。ぬるぬるして気持ち悪い。涙が出そう)

そのまま仰向けに寝かされると、彼はアタシの胸や太もものあいだに触れる。アタシにとって初めての体験。彼は慣れた手つきのように思えた。アタシはどうしていいかわからず目を固く閉じたまま流れに任せる。彼はおそらく、アタシの準備は万端だと思ったのだろう。アタシの中へ入ってこようとした。その瞬間、アタシの脳裏に母の顔が浮かぶ。蔑んだような表情でアタシを睨む。

「やめて。お願い、やめて!」
アタシは叫んだ。
彼はアタシの両腕を強く掴んだ。驚いたような、そして諦めきれないような表情に見える。
「お願い、やめて!」
アタシは、彼の目を見て懇願した。
息を大きく吐いたあと、彼はアタシから離れた。

恋の終わり


彼の部屋でのデートはその後も続いた。一線を越えられないままに。断り続けるのは心が苦しい。でも、あの母の顔が頭から離れない。

彼の要求はエスカレートしてゆく。
「なら、一晩パンツ交換してくれる?」
「え?」
アタシは仰天するものの、この要求を受け入れるしかない。あぁ、なんで新品のパンツを履いてないんだ。後悔先に立たず、である。
彼のパンツはエンジ色だった。トランクスではない。パンツまでオトナっぽい。
帰りの自転車を漕ぎながら、下腹部のこそばゆさを感じる。少しだけオトナになった気がした。

断るのに慣れてきた頃、彼の部屋で“◯◯ちゃん”という缶バッジが机の上に飾られているのを見つけた。

「◯◯ちゃんって……」
「中学の時、好きやった子」
「ふぅ~ん」

数日後、アタシはフラれた。
「◯◯ちゃんが忘れられない」という理由で。

カラダじゅうから力が抜けた。断り続けたからだ、と思った。

絶対綺麗になってやる


初めての失恋は堪えた。オトナになりきれなかったことをかなり悔やんだ。彼氏のいない修学旅行。心に穴があいたようだ。

用事もないのに彼のクラスへ顔を出す。彼の姿を確認する。恨みがましくじっと見つめる、ということだけはやるまいぞ。
(魅力的な人間になってみせる。そして彼に後悔させてやるんだ)
アタシという人間は落ち込んでばかりいられない性分のようで、すぐさまリベンジ妄想が頭に渦巻く。

失恋からすっかり立ち直った頃、彼から「よりを戻したい」旨の申出があり、素直に受け入れる。

立場はすっかり逆転してしまう。アタシは以前にも増して、最後の一線だけは超えさせなかった。最後の一線を超えたい彼とのせめぎ合いに疲れたアタシは別れを申し出る。

長電話の末、どうしても別れたいのだと最後通告するアタシ。少しの沈黙……。彼が鼻をすする声がする。
「涙で前がみえへん……」
彼のほうから受話器を置いた。
「ぷー、ぷー、ぷー、ぷー、……」
最後まで“こそばゆい”ヤツだ。まったく……。

あきらめの夏


スーパーマーケットで偶然出会った彼は相変わらず襟足が長い。少し明るくなったかな、という印象だ。懐かしい話で盛り上がる。彼の買い物かごには小麦粉、豚肉、卵が入っている。
「今日、ほたるの墓テレビであるやろ。一緒に見よう。お好み焼き作るし」
「う、うん……」
彼の勢いにのせられ、アタシの車で彼の家へと向かう。車中、彼の話題は太平洋戦争。ああ、ほたるの墓の伏線を張っているのかもしれない。相変わらず博識だなぁ。アタシに隙ができた瞬間だったような気がする。

お好み焼きは美味しい。彼は、ほたるの墓よりアタシに興味があるのかもしれない。少しずつ距離を詰められる。

アタシは立ち上がりカバンを抱いて玄関へ急ぐ。
「あ、明日早いんで、そろそろ……」
「あ、そうなんや。明日、仕事やったんや」
「う、うん。そうなんよ……」
アタシは靴を履き終え、振り返ることなく錆びた肌色のドアを開ける。

「一回だけ……」
彼の声を背後に聞きながら気持ち強めにドアを閉め、階段を駆け降りた。

もう、母の顔は浮かばなかった。


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