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せいいっぱい


       
息を吐くことが、まるで大切なものを失うみたいに怖い。息を吸っても、喉仏の少し下の窪みあたりまでしか酸素が届かない感じだ。やがて聞こえる喘鳴。
       
喘息発作は、両親の喧嘩をやめさせるにはうってつけの方法だと思う。とりわけ母はすぐに飛んできてくれる。パジャマの胸のボタンを急いで外し、ヴィックスヴェポラップを塗ってくれるのだ。はじめは冷たくて、息苦しいにもかかわらず飛び上がりそうになる。母の掌のぬくもりに癒されたのか、薬の効果なのかはわからない。やがて少しずつ呼吸が楽になっていく。
       
喧嘩の原因は父にあると薄々感じていた。詳しいことはわからなくても、お金がらみの喧嘩だということは子どもにも何となくわかるものなのだ。まるで、テレビドラマに出てくるチンピラのように大声で怒鳴り散らす父が、怖くて仕方なかった。
       
小学三年生の夏休み。母は私たち子ども四人を引き連れて夜逃げを決行した。父がいない時間を見計らっての夜逃げ。赤いランドセルだけを持っての夜逃げ。ランドセルに何を入れたのか、まったく覚えていない。只事ではないということは、誰に言われなくとも理解していたつもりだ。
母と中学一年生の姉、赤いランドセルを背負った女児二人と四歳児が、九州行きの夜行列車に乗っている。それはもう、一大事以外の何物でもないと言ってよいだろう。
初めて乗る夜行列車。どこを見ても刺激的だ。私は、停車駅全てを見ようと興奮していた。ほとんど眠らず朝を迎えた。
       
たどり着いた母の実家は、星が五つ以上つくほどのド田舎だった。
お風呂は五右衛門風呂。薪を取りに行かされる。ろうそくの灯りで宿題を片づける。おやつは出汁用の煮干し。道を歩いていて、普通に牛とすれ違う。トイレはもちろん“ボットン便所”。離れにあるため、夜の排泄はいつも肝試しだ。学校は山のてっぺんにあり、心臓破りの坂を毎日上る。喘息持ちには酷である。全校生徒は小、中合わせて百名程度。病院がない。片道二時間バスに揺られて通院しなければならない。
       
田舎の空気が功を奏して喘息が治るということはなかった。生計を立てるために母は一日中働いていた。私は軽い喘息発作を起こしつつも、点滴を打ってもらうため一人で通院していた。
やがて母は、バス代を出し渋るようになった。バスに揺られての道のりは、私の憩いのひと時であったが、母の姿を見て「強くならなければ。お母さんに迷惑をかけてはいけない」と一念発起した。
       
皆が寝静まる夜明け前に布団を抜け出しランニング。山道を走り、途中で腹筋、そしてまた走って帰ってくる。何事もなかったように再度布団に入り、何事もなかったように皆と同じ時間帯に起きる。そんな鍛錬を始めた。
走り始めると呼吸が荒くなり喘鳴にも似た呼吸音が聞こえる。このまま喘息発作が始まるのではないかと思うこともあった。それでもいいという覚悟があった。山はいつも私を応援してくれていると感じた。鍛錬の甲斐あって、私は遂に喘息を克服した。
       
田舎暮らしに馴染み始めたころ、父が夜中にやってきた。父の実家も同じ町だったのだ。連れ戻されるのではないか。大声で怒鳴られるのではないか。殴られるのではないか。私は布団の中に潜り込み、目を閉じて、なるべく小さく丸まっていた。
父が近づいてくる気配がする。身体中に力が入る。めくられないようにギュッと布団を握りしめる。やがて父の気配は遠退いていった。
       
中学にあがる頃、私はバレーボールの魅力にとり憑かれた。寝ても覚めてもバレーボールのことばかり考えていた。
県大会への出場権を手にいれ、次期キャプテンとして乗りに乗っていた中学二年生の夏。こそこそ電話している母の姿を目にするようになった。心なしか浮かれているようにも見えた。
「お父さんとやり直す。和歌山へ行く」
「嫌だ!嫌だ!絶対嫌だ!アタシは残る!みんなで勝手に行けばよか!」
反旗を翻し抵抗したものの、母が望むなら仕方ないと我慢するしかなかった。人生、思い通りにはいかないことを思い知らされる。母が浮かれている様子に、煮えたぎる何かが口から噴き出しそうになるのを力づくで押し込めた。
       
後日、父が引越費用を送金してくれるというので一家総出で待った。待てど暮らせど送金されてこない。まさか。不穏な空気が広がる。送金予定額を大幅に下回る金額のみを受け取り、あからさまに落胆する母の姿を見て胃が重くなった。和歌山へ行っても絶対幸せになんかなれない。母は何故そんな簡単なこともわからないのだろう。
       
いよいよ和歌山へ旅立つ日。友達が見送りに来てくれた。追いかけてきてくれる友達の姿。私の目からとめどなく涙があふれた。初めて新幹線に乗ったというのに、まったく気分が上がらない。
新大阪駅到着。父が車で迎えに来てくれた。タバコ臭い車内。窓を開けると排気ガスでいまにも喘息発作が起きそうだ。顔も見ない。目も合わさない。口もきかない。はじめは下手に出ていた父も、私の態度に気分を害しているように見えた。
       
父が母を苦しめているとしか思えなかった。それなのになぜ、布団を並べて眠ることができるのだろう。なぜ、足を絡めたり肌を触れ合わせたりできるのか。呼吸が荒くなる。そうだ、息苦しくなればいいのだ。発作さえ起きれば。
       
父は働きもせず、毎日缶ビールの空き缶の山に囲まれて、ステテコ姿でプロ野球のナイターを観ている。いっぽう母は、早朝、昼間、そして夜間とパートを掛け持ちして一日中働いている。錆び付いた自転車で勤務地を行き来する日々だった。
       
高校受験を迎えた。体育教師から強豪女子バレー部のある私立高校を勧められ、一瞬だけ胸が躍る。しかし、経済的にあり得ない選択だったので、即、お断りした。そんないきさつを知らないであろう父は、空き缶に囲まれていた。
「すべり止めに私立受けろって!」
「受かっても絶対行けへんから必要ない!お金もったいないだけや!」
結局、試験慣れのつもりで受けたほうがいいという担任のアドバイスに従い、私立高校を受験。合格したものの、公立高校を受験する前に入学金の一部を支払わなければならない。父は、それが親の務めだと言わんばかりに当たり前に、支払うつもりでいる。私は、洗い物をしている母の背中を見た。
「絶対に私立に通うつもりなんかないから払わんでいい!」
「公立落ちたらどないすんねん!」
親として普通の、当たり前の言葉だと思う。父が普通に働きさえしてくれているのなら。
私立なんて行けるわけがない。親っぽいことを言っているが、払おうとしているのは父の稼いだお金ではないのだ。
       
公立高校へ進学してからも父は相変わらずだった。私はバレーボールを続けるために、遠征費用やジャージ代金を、胸が締めつけられる思いで母から受け取っていた。父は一体どんな態度で母からお金を受け取っていたのだろう。
母はようやく、このままではいけないと思ったのだろうか。箪笥の引出しから封筒を取り出すと、私に一枚の紙を見せた。
「なかなか書いてくれへんのよなぁ」いつものようにガックリと肩を落とし眉間にしわを寄せた。緑色の線に囲まれたその用紙には、母の名前だけが書かれてあった。印鑑も母の分だけ。タイトルは「離婚届」とあった。
           
夏も終わりに近づく九月下旬。名残惜しいのか、まだ冬服にはさせまいという気概を感じさせる蒸し暑さだ。部活を終えて帰宅する。空き缶をそのままにしているせいか、ビールの饐えた臭いがする。一瞬にして身体が熱くなる。胃から溶岩でも噴き出すかのように、私は躊躇なく大声を出した。
「ビールばっか飲んでやんと働きに行けよ!」
「は?お前、親に向かってなんちゅうこと言うねん!誰に食わしてもうてると思てんねん!」
「お前に食わしてもうてるわけちゃう!アタシらはお母さんに食わしてもうてんねん!働かんのやったら出て行け!!!」
       
幼い頃あれだけ怖かった父に、食ってかかった。想像通りにチンピラの物言いで返される。殴られるかもしれない。声は上ずり、心は張り裂けんばかりだ。もう、どうにも止まらない。父に向かって空き缶を投げつけ家を飛び出した。とにかく走った。呼吸が荒くなる。喘鳴が聞こえそうな気がした。発作は起こらなかった。
       
恐る恐る玄関のドアを開ける。父は居なかった。さっきよりも散らばっている空き缶。吐き気を催すほどの饐えた臭い。ナイター中継は終わっているようだ。
       
(やった!やっと出て行ってくれた!家族みんなのためにはこれしかなかったんや!お母さんがよう言わんからアタシが言うたったんや!)
       
キキキキキーッ!自転車のブレーキ音が聞こえる。しかめっ面でガックリ肩を落としている母の姿が目に浮かぶ。
母を楽にしてあげたい。笑う顔が見たい。褒められたい。
         
母は、箪笥の引出しから一枚の紙を取り出した。
「ハンコ押してくれてるわ……。」
母の背中が、さらに小さくなったように見えた。

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