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バレンタインデーだし恋愛を考える

恋をすることは、苦しいとか楽しいとか、情緒がぐるぐるするのをひたすら楽しむ個人的なレクレーションだと思うが(本質的には種を保存するため、みたいな教科書的な解釈はいらないーだって、別にそのために恋愛しているわけじゃないでしょ、わたしたち)、これはずいぶんしんどいエンターテイメント。相手の一挙手一投足にドキドキしたり、落ち込んだり、かってに怒ったりするのを楽しむわけだから。嫉妬という複雑怪奇な副作用もあるし。そして、日本には告白というよくわからない文化があるから、勇気があることが試されるという不思議なルールがおいかぶさる。
とはいえ、恋。そして、愛。人を好きになることは、ステキよね。人を好きになることが大ごとで、すごいことで、気になることだから、恋愛はドラマの主要な要素で、みんな恋愛ドラマをみるし、マンガを読むし、ときめく。

それと深くからまっている性欲というのもあったりして、さらに色欲とかディープなやつもその延長線上にはあるわけだけど。

とはいえ、恋、愛。この言葉のひびき、ドキドキがかわいらしい。人を好きになるとき、そのきっかけがなんであれ、理由がなんであれ、それにはまっちゃえば、その人がキラキラしてみえちゃって、その人との妄想がひろがって、いろんなことが手につかなくなって…。ちょっと目があったくらいでうれしくなったり、何気ないメッセージに浮かれちゃったり、かわいいね。

だけど、そのたかぶりが「恋愛」として、そしてそれに基づく公な何かに昇華するには、いろんな制度や見えないルートやルールに乗っからなければならない。それが面倒だから、必然的に恋愛苦手なひとも増えるよね。

たとえば、教師と生徒の恋愛はダメで、だけどダメとわかっているから、余計そのシチュエーションはドキドキが増す。そのドキドキを擬似的に体験して気持ちを寄り添わせ、でもダメなんだよね、といって、失恋までを共体験する。
これが、『君に届け』のあやねとピン(荒井先生)だと思う。
たくさん一緒に恋を感じて、最後はピンの正しさと本気で相手を大切にするとはそういうこと、みたいな大人感で、もうひときゅんする。正統派。恋愛の社会制度にきちんと乗っかった道徳?正しさ?が恋愛の援護射撃をしている感じ。

ところが、『ひるなかの流星』。もう何年も私の心に引っかかっている。大問題だ、この後味の悪さ。キャラたちの魅力とかわいさと、落とし所のやるせなさ。強烈すぎてずっと読み直せずにいた。だけど多分そういうことなんだよね。あやねとピンの場合は、社会制度に乗っかっていることがきゅん要素だったが、すずめちゃんと獅子尾先生の場合、その、社会制度を超えたところで心がつながっていたはずだから、社会制度に寄り添った結末に、気持ち悪さが色濃く残ってしまう(私見)。そのまま破滅的な結末になったほうが、気持ち的に寄り添えるなっていう読者は私だけではないんじゃないか。なんというか、「昔やんちゃだったが、今は落ち着いてサラリーマン」感というか。それからの逸脱を少女マンガには期待しちゃう、というか。

もとに話を戻すと、とても個人的な恋愛を、公な何かに乗っけるためには、公的な上下関係での恋愛のタブーとか、ある程度の年齢差までとか、ヘテロセクシュアルとか、宣言して許可を得たら段階的に性的な行為を進められるという、不可思議なボードゲーム的暗黙のルールとか、そんなこんなを察していちいちクリアしていかないといけない(気がする)。そして、いくつかのレベルを勝ち抜いて、ようやく大きなゴール「結婚」というのがあって、そこでけっこうな困難が色々あって(時期とかお金とか親とか式とか……)、その大きなゴールに到達したと思ったら、そ・こ・か・ら、「出産」「子育て」という高次元のレベルに行く、という……

ざっくり書いているだけでしんどくなるんだが、この現実なんなんだろう。こんな厳しいなかで、よく子ども増やせとか言うよね。だって、どうやってそこに到達するの、正統に進めたとして。めちゃめちゃハードルが多いではないの?しかも、「結婚」から「出産」なんて、自然にそうなるなんて結構な奇跡なんじゃないかと思うくらい、いろんな前提を要する。身体的な健康とかタイミングとかお金とか支援とか、精神状態とか……

というか恋愛そのものしんどいよね。もうマンガで疑似体験でいいじゃん。自分よりかわいい子が、非現実的なかわいいひとと恋に落ちていろいろあったりして、それをドキドキすればそれでいいじゃん。現実は、一握りのひとたち以外は、好きになったとてそのひとに振り向いてもらえるわけじゃないし、待っていてもその人は来ないし、思いもよらない妥協のなかで思いもよらない形で恋愛すごろくを進めたりするし、ステキなひとと思っていたひとが根腐れしちゃって「あーあ」ってなったりするし、気づくと「色気づくんじゃねーよ」とか毒づかれる年齢になるし。
いくら多様性と叫ぶひとが増えても、変わらないことは多くて、恋愛に成功するにはジェンダーステレオタイプとか現代社会の見えないルールに合ったかたちに変装するのが近道とか。

だから、ハッピーバレンタイン!恋愛を愛するひとたちにハッピーバレンタイン。恋愛は良いけど、現実はなんなんだよと感じるすべてのひとに。

Joyeuse Saint-Valentin!

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