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からあげクンとお寿司とたこ焼きと。

ローソンのレジ前にあるホットスナック売り場に「からあげクン」が売っている。
もう30年以上前から変わらずにある、一口サイズのから揚げが5、6個入った人気商品だ。
僕はコレを見るたび思い出す人物が居る。
それはかつて、小中学校で一緒だったS君だ。

彼とは小学校高学年になって入った塾が一緒だった。
人気者の彼とは学校ではあまり行動をともにしなかったけども、家が近かった事もあり、塾の日だけは行き帰りで一緒になる事があった。
そんな日は、帰り道でコンビニに寄り道をしていた。
彼は親が飲食の自営業ということもあり、夜もコンビニで晩御飯を買って食べるような少年だった。
小学校の頃の僕にしたら、当時の時代背景もあり、それはとてもとても大人びた行為に見えた。

塾の帰りは、塾と自宅を繋ぐ道の途中にあるコンビニへ良く向かった。
僕はお小遣いが少なかったため、あまりお金を持っていなかったのだけれど、彼は違った。
沢山のお小遣いの他にも、毎日の晩ご飯代も貰っているのだ。
そしてやたらと気前が良かった。
一方、僕はいわゆる普通の中流家庭に育った。
食べるものや着るもの、進学の際に学費を心配することは無かった。
しかし親の教育方針でお小遣いがとても少なかった。
そのためハングリー精神は乏しいくせに、いつも貧乏な感じの少年であった。
それがいいのか悪いのかは、今となっては良くわからないのだけれど、当時は奢ってくれる友人に対して、絶対に勝てないという敗北感を抱く子供であった。
その「奢ってもらう」行為自体は勿論とてもありがたかったし、普通に奢ってもらっていた。
でも何でウチはお小遣いが少ないのだろう?みたいに良く考えていた。
ただウチはエンゲル係数が高く、時おり家族で高級な食事に行くような家庭だったので、プラスマイナスゼロなのかなぁなんてことも思っていた。
そこは両親の食に対する考え方みたいな、教育の一環みたいなものだったように思う。
テーブルマナーに早いうちから慣れておくべき、みたいなヤツだ。
だから子供の頃から生意気にも味にうるさかったように思うし、手作りの料理が好きだった。
味が濃くて、着色料と化学調味料まみれのあまりにもジャンクな食べ物は苦手だった。

とある日、僕は先週におばあちゃんの家に行っていて、多少のお小遣いを貰っていた。
自分も奢ることのできる立場になりたくて、彼と塾帰りにコンビニに寄り、「からあげクン」を買った。
それは、当時の小学生にしては少しばかり高い買い物だった。

二人で外の階段に座りながら食べていると、S君はずっと渋い顔をしていた。
僕は味が濃いなぁと思いながら食べていたので、そうなのかと思った。
「コレ、全然味がしないな」
彼は僕と同じものを食べていたにも関わらず、全く反対の味覚を持っていたのだ。

もしかすると、コンビニご飯を食べ過ぎて濃い味付けしか受け入れられなくなっていたのかもしれない。
それにしても、全く味がしないとは程遠いくらい強めの塩味だったのだ。
彼の実家はお寿司屋さんで、彼も大人になったらそこを継ぐと思っていた。
彼の味覚で、そういった繊細な味を求める仕事につけるのだろうか?とそんな事を思っていた。

そして話しをする中で、彼は寿司ネタの中でも光り物が全く食べられず、基本的に生ものが苦手だということが分かった。
「じゃあ寿司屋なんて無理じゃない?」
親の期待に対する彼の苦悩も知らず、少年だった僕は残酷にも突っ込んでしまった。
「でも、タコは一応OK」
「いや、タコは茹でてるし生じゃないじゃん」
そんな彼は暫くして塾を辞め、小学校から中学校へと上がるにつれ疎遠になっていった。
いつしか高校大学と進学し、学校もバラバラになり、思い出すことすら全く無くなっていた。

大学生の頃、母親から彼のことを聞いた。
高校を卒業した彼はお寿司屋さんを継がず、たこ焼き屋さんで働いていたのだった。
「コレ、全然味がしないな」
「でも、タコは一応OK」
そう言っていた彼は、あの頃の味覚のまま大人になっていた。
寿司ネタの中でも一応食べられる「タコ」を選び、かつ「濃ゆい味」を求めた結果がたこ焼きやさんだったのだろうかは分からない。
しかし僕にはその決断がとても腑に落ちた。
たこ焼き屋さんの雰囲気と彼の雰囲気が妙にマッチしたのだ。

そして今では彼が何をしているのか分からない。
でもきっと彼は結婚して子供が居て、それなりに楽しく暮らしているのだろうと思う。
気前が良くて明るい彼は、きっとどこでも仲間に囲まれながら楽しくやっていける人だったから。

十数年前、実家から離れ就職して一人暮らしをする頃のこと。
引越しの準備のため、昼間から外を歩いていた時。
彼の両親が営んでいたお寿司屋さんの隣にある、大きなスーパーマーケットが無くなっていた。
大学に通って実家の周りの生活を気にしていなかったから、数年ぶりの急な変化に戸惑いがあった。
スーパーマーケットが潰れるなんて、当時はそんな事が信じられなかった。
そしてあの頃の世界の全てだった、果てしなく巨大だと思っていた僕を取り巻く街がとてもとても小さく見えたものだ。
そしてそこには、ご両親がやっているお寿司屋さんだけが小さく残っていた。

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