タロット。6.恋人

生命の樹ではビナーからテファレトのパス

ビナーは形作るセファレトである。
異界から導かれてきた愚者が旅をしながら観る光景も、ついに恋人のパスまでに達した。もう愚者には具体的な事柄に対応する土壌ができ、あとはどんどん進むばかりである。

このカードは今までの絵柄と様相が違う。いってみればひとつの世界の完結を予感させる。ちょっとした次なる段階への予兆だ。
今まで愚者は「与えられる側」であった。魔術師からこの世界の着地を教えられ、女教皇からは魂の在り方を与えられ、女帝からは肉体を、皇帝からは環境を、法王からは精神を与えられてきた。
しかし一転し、ここでは絵柄が変化する。絵の人物と自分といった、一人と一人という対峙した関係ではない、どこかの他者との明確な区別がここで行われる。

三位一体という考え方からすると、天使と男女の関係はまさにその通りである。天との会話をしながら愚者はこの世界に降りていく。ここで一体となっていた愚者が男女という性の区分に相対するといってもいいし、神と人間の区別化ということで話しても間違いではないだろう。
つまりここで、愚者は自分とは異なるが、だいたい同じような存在を認識するのである。愚者の魂に性差が出てくると言っても言い過ぎではないだろう。

恋人のカードはエデンの園のアダムとイブと言われる向きもある。パメラが描いたその情景は、そのエデンの楽園を模して描いていると思われる。というのも聖書に出てくるエデンそのものがカードに広がっているからである。

愚者が与えられるばかりではないと前述したが、もちろんエデンであれば神の加護のもとに存在しているわけである。のちに追放されることとなるが、神の存在はそこにあるので、愚者が一方的に発する側に回ったわけではない。しかし発するという一端は見え隠れする。つまり自我を持つのである。

6という数字は3の二倍であり、上向きの三角と下向きの三角で表される。いわゆる六芒星、ヘキサグラムは呼吸する図形であり、様々なものに反応し、呼応する。上向きの三角は男性原理、下向きの三角は女性原理といわれ、日本でも強力な護符として知られている。
その六芒星の働きを大まかに説明したカードが、この恋人のカートだ。

恋人のカードは「運命の出逢い」と読まれることがある。これはまさに天からの思し召しであり、女教皇の予言であり、女帝の祝福でもある。そのため実際の占いの場合でも、抗えない何らかの運命の糸で結ばれた関係であるとか、劇的な結びつき、と思われることだろう。実際その通り、なんだか分からないが不思議なほどに惹かれる事柄あるいは人物に、この恋人のカードは現れる。ここでは人智を越えた何かがあからさまな形となって目の前に出てくるのである。

ビナーは形を作るセフィラであるから、よくわからないものを理屈づけて説明したり、形となって示すことになる。しかしダートの向こうのセフィラなので、人の意識としては無意識の世界に該当するため、あまりハッキリとしたものではない。しかしビナーのエネルギーがテファレトに接触すると、その智恵が恐ろしいほどに明確になる。テファレトに接触するパスは、そのすべてがあまりにもセフィラの性質を体現すると言っていいほどストレートなので、恋人のカードもビナーの性質を大いに反映している。

さて、ビナーを私は天王星に対応させている。天王星は独立の星で、土星という型にはまった世界を打破し、一歩先を行く星だ。常識を駆逐してしまうので、異端であると言われることになる。恋人のカードのパスは天王星と太陽のアスペクトであり、このアスペクトの持ち主は独立心が旺盛だ。人に染まらないところがあるので、どこか変人のような雰囲気があることがある。しかもハッキリと、どこか何かが違う人というイメージだ。海王星のパスと違うのは、海王星はゆったりとたゆたうような感じなのに対し、この天王星はエキセントリックで鋭く素早い。どこか尖っている雰囲気さえある。なぜかというと、天王星は明らかに次の次、さらにはまたその先が見えているからだ。今が見えるのは土星なのだが、天王星はさらにその先を読んでいる。ただしダートの向こう側であるので、あまりそれは説明できる類のものではないかもしれない。

一方で6の数字には男性原理と女性原理の融合という意味があり、西洋占星術では乙女座に該当する。乙女座は外界と内面の調整を行うサインで、いろんなバランスを取るのがうまい。しかし内面と外面との調整は多くの取捨選択を伴うことが多く、いやがおうにも批判的となることが多い。他者の欠点をズバッと見抜き、意識化させるのだ。そのため頭が切れるとか、抜け目がない人物として評価されることになるだろう。乙女座のルーラーは水星であるから言語化するのがうまいので、言葉や絵などで表現し、論理的な展開をみせる。ここでも外界と内面の調整の言語化ということがメインだ。しかしそれを現実的に表現できるかどうかは水星に役割を担ってもらわねばならない。

恋人のカードも同様に、外界と内面とのすり合わせ、男性原理と女性原理などの、二極にあるものを調整、あるいは融合させようとする。恋愛や結婚は相手を選ぶことになるので、この出逢いをきっかけにし、自分自身の相対的な存在と融合するという意味では非常に恋人のカードに近い。そこには純粋な出逢いがあり、他者と自己との調整が行われていく。これがもし環境そのものが相手であるならば、自ら呼び寄せ、あるいは呼び寄せられたところで生きていくということになるだろう。そしてそれが運命と呼ばれるものの正体であることが多いのだ。

ビナーは説明できない直感である。そのため何かしらの思い付きが急にあるなら、それはビナーからのメッセージなのかもしれないし、恋人のカードが働いたということになるかもしれない。

以上、恋人のカードでした。
6という数字は魔術的な側面があるといわれますが、数字そのものがすべて魔術的なので、私は6が特別な数字とは認識していません。ただし恋愛とか仕事とか、運命的な何かが働くということは往々にしてあり、恋人のカードはその一端を表していると思います。
やはり基本的には、避けられないような何か特別な物というか、無意識のうちに進んでしまう何かがあるときに恋人のカードが出ますね。神の意志とか、そういうニュアンスとして認識するような出来事が起こりやすいです。でも、もしそれが息苦しいと感じる状況かどうかは、同時に展開している他のカードで読み解いていった方が良いでしょう。がちがちに固めるダートの向こう側から来るものなので、なんだかちょっと予定外の調和、みたいな感じで出るんです。望んでいる結果であれば良いのですが、そうでない場合でも喜ぶべき結果で良いことが多いですね。今の段階ではもしかしたら気に入らない結果かもしれないけれど、時間が経って相談者の考えが変わると、結果的に良いものになることが多いです。良いものというのは、この場合においては、相談者さんの思い通りという意味ですよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?