易の超入門編と言えなくもないもの。易の成り立ちとかそういうもの。


易とはなんでしょう。
時代劇などで竹の棒をジャラジャラさせているアレですよ。

それは命、卜、相という占いのジャンルの中では「卜」です。
卜は今の時代であればタロットが分かりやすいかな。オラクルカードもそうですね。サイコロ占いとかもありますし、エンジェルナンバーもそう。
とにかく「今この瞬間に卦を立て占ってみますね!」というのが卜であり易です。

で、ちょっと難しい話になりますが、この易というものに軽めに触れていきたいと思います。
ちなみに易での方位に関してはざっくりと割愛していますのでご了承ください。

易は中国の古代から伝わる書物のひとつ、易経というものに記載されています。占いというか哲学に近いです。易経から長い歴史をかけ、多く賢者が易を研究し、現代に至ります。そのあいだ、易に関する書物がいくつか出されて残っています。

基本的に占いというのは哲学めいたところが往々にしてあり、軽く占うならその哲学的な部分には触れないことがほとんど。けれどその原点を深く追求すると一気に哲学めいたものに変化していきます。西洋占星術もすべてを知ろうとすると理知的ですし、タロットも思想に入り込みます。アプローチの仕方は千差万別だと思いますが、こういうアプローチ法もありますよ、ってことですね。

それで、易の細かな話をするスペースではないので割愛しますけれど、易の本質は「自然界の事象を社会に当てはめて考える」という一点です。

自然界の事象を占いにするのは多くの地域で発展してきました。占星術も星の動きです。でも星は抽象的ですし計算が必要です。そうではなくて、パッと今の時点で具体的に、手に取るように細やかに分かる方法がないかな、というところが易の面白いところだと思います。

古来、本当は筮竹という、あのジャラジャラした竹を分けて「ふん!」みたいに気合を込めて筮竹を二分して数えたりするのです。で、その作法が結構むずかしい。というか面倒くさい。
簡略化してコインで占う方法もありますが、その他でもなんでもいいです。落ちている葉っぱを拾って占うことだって可能です。

占いをするとき、タロット占術はタロットカードが、占星術では星の動きが、姓名判断では名前が必要です。でも易はそうではない。そのあたりに落ちている葉っぱを拾って手のひらで振って、一枚ずつ出して表裏を確かめれば、もう占えます。

さて、易の内容ですが、それも自然界や生活に密着している事柄で示されます。

たとえば卦には64もの事象があります。なぜ64かというと、8通りの自然界の事象が基になっています。
「当たるも八卦、当たらぬも八卦」というのは、この8通りの事象なのです。

これが何かと言うと

乾(かん)=天
兌(だ)=沢
離(り)=火
震(しん)=雷
巽(そん)=風
坎(かん)=水
艮(ごん)=山
坤(こん)=地

です。この8つの卦をふたつ使うので、64の卦となるのです。
つまり簡略化された易占いでコインを6枚振るのは、8つの卦は3本の線で表されるからです。
そしてその3本の線は「陽」か「陰」か、それだけが必要となります。
つまりコインは表と裏がありますね。ですからコインが3枚あれば、八卦のうちのひとつが出ます。
今の状態が八卦のうちのどれか。もし三枚が全て表であれば乾であり、天の事象です。もしも三枚が全て裏であるならば、それは坤となり、地となります。

ここまでをまとめると「3枚のコインを振って、一枚ずつ出して表か裏を確かめることで八卦が出る」ということになります。
順番はとても大切です。順番が狂うと八卦が乱れ、でたらめなものになるからです。きちんと一枚ずつ引いて、下から並べて卦を立てましょう。
この陰陽は「爻(こう)」というものです。
爻が3つ集まれば八卦となります。

やり方はいろいろあります。道具がコインだとすると、
3枚あるのですから、一枚ずつ引き出して八卦を出す方法。
3枚いっぺんに出して、表が多いなら陽、裏が多いなら陰、という方法。
6枚のコインを振って一枚ずつ出す方法。
その陰陽の結果を下から書き出していくわけです。

さて、たとえばコイン6枚で易を立てるとなると、一枚ずつ爻を出した場合、八卦のうちの2つを出せることになります。
3枚から一枚ずつ引き出して陰陽ならびに八卦を書いておき、もう一回振って同様に引き出すと、2つの八卦が出ます。
3枚いっぺんに出しても、2回振ってふたつの八卦を出す。
これが64卦です。この64卦が易占いの根本的なところです。

さて、ちょっと話を戻しますね。この八卦、どうお思いになりますか?
天、沢、火、雷、風、水、山、地。
すべて自然界のものですよね。風景に溶け込むこれらの事象を組み合わせて易という占いは成り立っています。その卦によって解釈は難しいものもあるのですが、基本的にはこの自然界の組み合わせで占います。
八卦の面白いところは、地と山が区別されていたり、水でも沢が違うこと。このあたりは西洋占星術の活動宮、不動宮、柔軟宮の区分と同じようなものだと思います。内容は違いますけれど。

つまり易の考え方だと、陰陽で世界が作られていて、その陰陽の組み合わせで目の前に具体的なものとして現れる、ということになります。なんという分かりやすさでしょう。そのぶん細分化されるのでやや複雑ですけれど、基本的な概念は「すべて世界は陰陽で作られる」のです。

さて、たとえば上卦が艮、下卦が坎であったとしましょう。
艮は山であり、坎は水。つまり山の下に水がある状態なのです。これはどう解釈すれば良いでしょう。

山は動かないものですね。どんと構えて、そこにある。山には神聖なものと言う意味もあるほか、高みから見下ろすとか、何かを止めているなどの状態を指しています。山のイメージがつきますよね。

さて水。水はあらゆるものを潤し、生命を育みます。しかしこの水が大きすぎたらどうでしょう。大河を思い浮かべてみてください。あまりにも大きな大河は人の歩みを止めてしまいます。つまり水が邪魔をして向こう側に行けません。

さて、これでだいぶイメージがつかめたと思います。
大きな山があって、その下に何やら水があるらしい。この状態が「山水蒙」です。
ちなみにこの「蒙」は、これからとか若いとかいう意味があるので、この水は若々しいものというイメージです。つまりどんどん湧き出ていて勢いのある水ということです。上流の川を思い出すと分かりやすいと思います。山のふもとに細い川があって、その川にはきれいな水がどんどん流れていく状況を「山水蒙」は表しているのですね。

このようにして、八卦を組み合わせて64卦を編み出し、解釈するのが易占いです。
64卦にはすべて言葉があります。その卦の本質ともいうべきものですが、これが「卦辞」です。

さらに言うと、の64卦の事象を考えるにあたり、どこが強調されているのかを読み取る方法があります。これは6本の陰陽のうちのどこかに強い部分というか見出すべきものがあるという考え方で「爻変」と言います。これを当てはめて具体的に読み解きます。つまり64卦それぞれに6パターンの爻変があるので、64×6で、じつに384通りの結果が出てきます。
これを使うと64卦の吉凶がひっくり返ったりします。ひっくり返るというか、64卦の内容を爻変によって解釈を詳細にする、といった方が正解に近いですね。占いの結果として具体的に言うべきものはここにある。これは「爻辞」ともいいます。ひとつの卦の中に吉凶が潜んでいるので、それを露わにするのが爻辞。ハッキリと出してくれます。

ただし変爻の出し方は、どうやって易を立てたかという方法によって違います。ここでは割愛しますけれど、3枚のコインを同時に投げた方が爻は出しやすいかな。あ、6枚のコインを使ってもいいですね。そのうちの1枚のコインになんらかの印を付けたり、いろいろな方法があります。

爻辞があった方が読みやすいです。ただ覚えないといけませんけれど、爻辞はハッキリと出してきます。やや曖昧なんですよ、64卦は。良いんだか悪いんだか判断がつきかねることがあるのです。だいたい良いか悪いか分かるけれど、こういう状態であることも分かるんだけど、もっとこうダイレクトに答えてほしい。そういう要望にはハッキリと爻辞が答えてくれます。

もっと細かくするなら、たとえば爻の陰陽を違えて読むという手法もあります。でもそれは応用編。最初は卦を立てて、その卦と向き合う方が有意義です。とにかく卦を立ててじっくりと解釈しましょう。これは占星術で、とにかく自分のネイタルを読み込みましょうという意味にも通じます。

以上のことをまとめると、「爻」は八卦のひとつの要素で基本的な陰陽です。爻が3つ集まれば八卦になります。八卦にはそれぞれ意味がありますが、これを2つ重ねたものが64卦。64卦にも意味と言葉があり、この言葉が「卦辞」。64卦の中で強い爻があるなら、それを「爻変」と呼び、爻変によって卦辞に具体的なシチュエーションを与える。ということになります。

もっと応用を利かせると、梅花心易(神易)という占術になります。こちらの方が現代的かもしれませんが、その応用を利かせるにしても易の基本がなってないと話にならないと私は思っています。もちろん梅花心易から易の方に入ってもらってもまったく問題ありませんので、ご興味があるなら調べてみても良いかもしれません。


さて、先ほど、とあるところのサイトで卦を立ててみました。この原稿を書くにあたり、どんなもんかなと思いまして。
そうしたら、さっき例に出した「山水蒙」が出まして、その5爻でした。「山水蒙・5爻」です。

これは、山の下に水が流れているというものでした。
「蒙」という卦として知られていますが、この「蒙」には若いとか、まだまだこれからとか、始めたばかりとか、そういうものを示します。あとはハッキリしないような感じのやつ。

蒙の卦について原文は、こうです。

「蒙。亨。匪我求童蒙。童蒙蒙我。初筮告。再三瀆。瀆則不告。利貞。」

さてこれを現代文に直しますと

「蒙。亨る。私が童を求めるのではない。童が来たりて私に求める。初筮は告げる。再三すれば瀆る。瀆ってしまえば告げない。貞しいものに利がある。」

つまり「蒙」の卦辞は

「叶います。向こうから誰かがやってきて、あなたに聞こうとするでしょう。最初の筮(易占い)はきちんと答えてくれるけれど、繰り返せば穢れます。穢れてしまえばもう筮(易占い)は答えてくれません。正しい者であれば良いのです。」

ということになります。

この「再三すれば瀆る。瀆ってしまえば告げない。」というのはタロット占いにも通じるものがありまして、「同じ質問を続けてカードに問うてはいけない」というものです。試しにタロットカードで同じ質問を繰り返し占うと、もう最終的には塔や死神や悪魔や月など、見るからに「これはいかん」というカードばかりを引くようになります。これが「穢れ」であり「瀆」です。カードが穢れてしまうのです。質問をするあなたにとっても良くありません。したがって、どんな場合でも一回で答えを出そうとする姿勢が大切となります。

易もそうで、このことを「蒙」で言っています。
蒙は若い者や始めたばかりの者、という意味がありました。初心者さんほど良いカードを引こうとして、同じ質問を繰り返し同時刻に行うことが多いです。そんなはずはないと答えを出し直そうとするのですね。解釈が分からない、という意味も含まれていますが、これをしてはいけませんよ、ということを易経でも言っているわけです。

この蒙の主体はどこにあるのでしょう。もし易の神様であるなら、これは私に向かって言っていることになります。私がまだまだ易の世界では若輩者で、これから易の神様である我に問い続けよ、ということになります。
もしこの主体が私であるなら、易を学びたい方々がたくさんいらっしゃる、ということになります。

ただ、私は「この原稿を書いてもいいものなの?」という問いかけをして卦を立てました。ということはどういうことになるのか。
そこで「5爻」の項を読み解くのです。

「山水蒙、5爻」には、こうあります。
「童蒙。吉。」

これは良さそうだな、という感触がありますね。

他の古代の解説書に「山水蒙・5爻」はこうあります。
「童蒙之吉。順以巽也。」

分からなくとも学べば良い。謙虚であれば良い。

つまりここでは、私が易に対して謙虚に取り組めば吉。ということがハッキリと分かります。そしてそのものに関する事柄を学ぶこと。まだ足りないから踏み込むといいですよ、ということですね。どんどんやりなさいと易の神様が仰っているようなイメージだということが分かります。そして易に関しては問題ない。さらに、どうも私の易に対する取り組み方は間違っていないようだ、ということもわかります。
山が神であり、私が流れる水のようにどんどん出していくということが大切だということです。水に関しては解説書によると泉であり、泉はこんこんと湧き出て、いずれは大きな川となるものです。つまり山水蒙の中の水は源流だということです。私が泉になればいいんですね。山にいる、あるいは神である山が泉を作り出すので。

ということを踏まえまして、易に関しては続けることが許されているようなので、この原稿を書き始めたということです。

余談になりますが、書くと言う行為はアウトプットなので、今までの知識を徹底的に洗い出すこととなります。他の原稿もそうですが、私の場合アウトプットとは、どんどん自分の中に枯れない泉のようなものがあって、そこから水を汲んできて、パソコンの前で言葉にしている感じです。水が枯れることもありますが、山水蒙の卦でいうと、山のふもとで寝そべって水が流れ出すのを待つ感じ。なぜ水が再び出てくるかというと、そのうち天から雨が降ってくるからなのですが、土砂降りか通り雨なのかはともかくとして、とにかく雨が降るのを待つ感じ。そうすればまた山を通った水が泉として流れ出してきます。

山水蒙が出て、なんとなくこの原稿を書きながらそう思いました。再三立てると穢れるので、私はもう易に対して「私と易との関係性」について卦は立てないし聞きません。少なくとも易に関して迷いが出ても易には聞かないです。それでよい、吉である、ということなので。

どうか易を面白いと思える方々が増えますように。
ちょっとでも親しみを感じてもらえたらいいな、と私は思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?