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ふわふわした頭で今日も形を書いている話

アウトプットしたらその後インプットもしなさい、とはよく聞く事で。その比率はアウトプットが3とか4でインプットが7とか6がいいとか。
詳しい事はよく覚えていなくて、そういえば知人がそんな事を言っていた気がするなというふんわりした頭でいる。

文章が読めず頭に入ってこないことが増えました。
文字として読める。文として読める。けれどもその意図が読み取れない、その意味が伝わってこない、みたいな感じで文字を読もうとしても文章が入ってこない。
さて参った。どうしたらいいと言われたら。休め、としか多分言われないだろうなあって気はしている。
人に勧められてもう完結したドラマを見始めました。天邪鬼なので「これ皆がハマる理由わかるな~」って思いながら見ているし話作りが上手だな~脚本、あああの人ね!ってすごい納得がいきました。

誰かに何かに言われて命じられたわけでもないのに体は頭は手は書きたいと書かずにはいられないと形にしたいと言っている。
なんて野郎だと思いながらも付き合ってくれている頭と体と手はきっと動かなくなる時まで付き合ってくれるんだろうなあ。ごめんな無理させてと思いながらもキーボードを叩いている。

何が私をそうさせるのかは分からない。どうして文章を書き続けるのかキーボードを叩き続けるのかは分からない。
別に誰かが望もうが望まなかろうと。文字を、文を、物語を吐き出すのは「私が読みたいから」でしかない。
同人誌だって別にウェブで掲載しているものがあるから別にお金出して印刷所にお願いして本にする必要はない。ないのだけれども、したかったからやっているのである。
文章を吐かずにいられない。本にしたい。それはきっと「形になるのが嬉しいから」なんだろうなあと思っている。
誰に見られずとも良い。いやできれば誰かに見て欲しい。けれどもそれよりも何よりも自分で作って、自分で書いて、自分で打って、それが確かな形になるのがきっと嬉しいのだろう。

吐き出してばかりの身体は、栄養が足りていないのだから補給をしなくてはならないくせに。その補給を受け付けないとはなんと愚かなことか。
というのもつい先日、と言ってもだいぶ前。でも2~3週間ほど前に。原稿を脱稿して諸々の事が終わっているからもしかしてだけど燃え尽き症候群なんじゃないのとも思っている。それもたぶんありそう。

それでもふわふわした頭で今日も文章を吐きだしては形を作って整えている作業をしている。

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