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わたぼうしのとぶころに 八章

八章 苛立ちのコタエ

 家具屋をやっていく中で人との関係性が親密になっていき出会った人が、手作り作家を応援するNPOにいた山下さんだった。彼は小学校の先生でありアーティストでもありクリスチャンでもあった。目の前の子供のためにしたいと思うことが明確で、すごく良い授業をしていた。山下さんの学校へ行き木工教室をしたり、音楽やライブもしていたのでCDジャケットを作らせてもらったりしていくうちにどんどん距離は縮まっていった。そんなある日、日曜の集会に教会へ来ないかと誘われて行くことにした。何度かそこへ足を運ぶうちに子供の頃から感じていたようなことが腑に落ちる瞬間があり、そこで聖書をゆずってもらい聖書を読むようになった。そんなことをしているうちにまわりにはクリスチャンの人たちが増え始めた。
 山下さんはクリスチャンだけど宗教を否定していて神様は信じているし聖書に書いていることも信じている。しかし教会というお寺みたいな組織や日曜の礼拝、規制や義務に上下関係のようなこと、そして奉仕活動のようなことをすべて否定していた。聖書にはそのようなことは書かれていないと。そういったことも最初は理解できなかった。クリスチャンと言うと、キリスト教、カトリック、プロテスタントといったようなことが思い浮かぶが、どれも違うといっている。キリスト教の中で行われる儀式やシキタリ、そして神学みたいなことは聖書に書かれていなくて、これだけを読まないといけないと言っていた。そしてそう言われて、聖書を読んでいた。
 家具屋をしていたある時、山下さんとも付き合いのあるクリスチャンの友達から家具の注文を受けた。それは聖書にまつわる家具を作ってくださいという内容のものだった。モノとしてはなんでもいいですということだったのだが、なんでもいいと言われても、聖書には家具なんて出てこないし、どのようなものがいいのかなと考えながら聖書の中からキーワードを探し、いろいろと答えを探しているうちに、聖書をさらに読むようになっていった。


九章へつづく


※このお話は少しだけフィクションです!お聞きしたお話に基づいての物語ですが、客観性はないかもなので事実かどうかはわかりません。登場人物は仮名です。

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