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私が1番ほしいもの

槇原敬之の曲に
【僕がいちばん欲しかったもの】という曲がある


歌詞としては
自分が見つけたちょっと良いものを
欲しがっている人がいて
惜しいなという気持ちはあるものの
その人にあげる。
するとその人が笑顔で感謝してくれる。
そういうことを何度も繰り返していたら、
僕が1番欲しかったものは
この笑顔だったと気づく。
というもの。


わたしは昔、
お金が欲しいと思っていた。
ただのアホである。
何が欲しいのかわからなかったし
欲しいものもなかったんだろうと思う。
とりあえずお金という
とくに何に使うわけでもないのに
ただ世間の集合意識に洗脳されていた。


人の目を気にする性格だったため、
世間に合わせるための物品を
買わなければならないと思っていた。
友達と食事に行ったり旅行に行ったりすることがやりたいことだと思っていた。
そこためにはお金が必要だという
とても安直な思考だった。


しかし、
わたしはモノがない
すっきりとした空間が好きだ。
ほんとうに好きなものだけが置かれた
見ていて良い気分になる景色を見ていたい。
床が広い空間にとてつもない魅力を感じる。
物なんて最低限がいい。

そして、
ひとりで静かに瞑想するのが好きだ。
癒される。
人がいると疲れてしまう。
たまにならいいけど、
基本は1人の時間を大事にしたい。

たまに旦那さんか
ほんとうに気が合う友達と
気ままに旅行に行きたい。
どこにいくかではない。
誰といくかが何より大事だ。
穏やかでソフトボイスで
ゆったりしたテンポで話す人が好きだ。
会話のキャッチボールができる人。

そう考えると、
わたしが1番欲しいものは
物質でないことは確かだ。
気持ちの良い空間と
リラックスできる1人の時間と
気を許せる仲間とのコミュニケーション。
癒し。
リラックス。
ボルテックス。
つまり、ソースとの一致。

いろんなことが起きるけど、
何が起きたって
自分がソースと繋がることができたら、
それが1番ほしいもの。
良いことばかりなんて起こるはずもなく、
嫌なこともムカつくことも起こるのが地球。
でもどんなときもソースの自分に戻れれば、
そのときのその瞬間の最善解がでるから
心配いらない。
無闇に心配したり、怖がる必要はない。
悪い未来を考えて嫌な気分になるのは、
間違いなくエゴキンマンの仕業。

無闇に人の意見を採用しない。
誰かに何かを言われても
それを採用するかどうかは私が決める。
happy理論に出会って、
わたしが1番欲しいものが
すでに私の中にあることに気づいた。
どこか遠くに、
努力の末に手に入れるものとかではなく
すでにわたしにあったんだ。

わたしが1番欲しいものは
もうすでに持っている。
ソースとの一致。
最高に良い気分。
自分が自分であれること。
自分が自分であれて、
それでいて繋がってくれている仲間がいること。
気持ちよく心が繋がれること。
今この瞬間最高。

このフェーズまで来れたことが
ほんとうに嬉しい。
わずかなエネルギー、周波数の変化にも
気づけるようになった自分に感謝。






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