見出し画像

わたしが原始人だったら

わたしがぁ~
げんしじん だぁ~あ たら~


原始人だったら
筋肉あったんだろうな。
現代人だから、
歩く機会がないから、
筋肉量が低下する一方だ。

良いことと悪いことは
いつだってセットだ。
表だけのコインが無いように
すべてが
陰と陽、
プラスとマイナス、
昼と夜、
正と負、
のように相反するものとセット。
それが、この世界の法則。


原始人だったら筋肉はあったかもしれないけど、
今みたいに車で遠くに行けなかったし、
味がついたおいしいごはんを
食べることも無かった。
いろいろ比較して考えても
現代人の方が何倍も楽しい。

さらに現代には
お金という便利なアイテムがある。
基本、お金というアイテムは
日常に必要なものと交換するときに使っている。
非常に便利なアイテム。


だけどアイテムは
ただ持っていても意味をなさない。
お金は道具。
楽しい気分、良い気分を味わうための道具。
道具は集めても使わなければ、ごみ屋敷とおなじ。
おもしろいのは、
お金というアイテムがなかったとしても
やりたいことやほしいものを
手に入れるルートはたくさんあるということ。
お金がないとできないという思い込み。
どうして世の中は
こんなにお金という紙切れ金属の塊に
力をあけ渡してしまっているのだろう。


原始人だったら
なにもなくても
そこからいろんな楽しみを
生み出せていたんだろうな。


そうかんがえると
わたしも原始人寄りなのかな
人のお金に全く興味がない。
だんなさんの給料やボーナスも知らないし
だんなさんからは一円もいただいていない。
だんなさんは
家のローンと光熱費を払っているから
わたしは食費と雑費を担当している。
それでうまくいっている。

無くなるという恐れ。
貯めておかなければという恐れ。
未来に対する恐れ。
わたしはべつに貧乏になっても
楽しく生活する術を知っているから
お金がなくなる恐れがない。
なんとかなるし、
無くなっても大丈夫だから。
見栄やプライド的なものもない。
そのままの状態で完璧。

原始人寄り。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?