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東尋坊と"死"

東尋坊で自殺した人はなにを思ったのか。
なぜ東尋坊で自殺しようと思ったのか。


少し前に東尋坊へ行ってきた。

東尋坊は、福井県にある海を見下ろす断崖絶壁のことで、それを構成する岸壁は地質的にも貴重でまた美しく、国の天然記念物にも指定されている。

そしてこの東尋坊は、その断崖絶壁故に飛び降り自殺の名所として有名で、多くの人はそのイメージとしての ”東尋坊" を聞いたことがあるのではないか。

大体、東尋坊へ行く予定はなかった。
少し前に知り合った人に魚突きと昆虫採集の趣味を教わるため、福井県の沖へ行こうという話だった。
しかし折角なら色々予定を詰めようということで、自分の希望で心霊スポットに行くことになった。
それがたまたま "東尋坊" だった。

本来の出発は土曜日の予定だったが、土曜は雨が降るらしく、海が濁り魚突きに適していないため、急遽金曜日の夜から福井県へ向かうことになった。
その連絡が来たのはその当日、金曜の夕方である。

夜、待ち合わせていた駅で合流し、彼を車に乗せ、交代交代で運転することを取り決め、どこへ向かうか詳細な場所は決めないまま車を走らせた。

高速に乗り、山道を走り、トンネルを抜け "福井県" に入る。

その日はきれいな満月だった。


これは自分にとって印象に残った出来事なので書き置く。

山道で車を走らせている途中、フロントガラスに10円玉くらいの大きさの虫がぶつかった。
ぶつかる音もなかったのだが、それはフロントガラスの真ん中に黄色い体液の輪郭だけを残していた。
二人ともその虫がぶつかる瞬間を目で捉えていた。
自分は虫がぶつかったなあくらいにしか思っていなくて、そのまま暗い夜道をなんともなしに運転していた。
しかし昆虫採集が趣味の彼は「○○という蛾がぶつかって死んだんだな」と言った。

福井県の敦賀市に入ってからは道の駅で休憩を取り、どこへ向かうかを相談した。
とりあえず、到着に一番時間のかかる心霊スポットの東尋坊を目指しそこでまた予定を決めよう、ということになった。

東尋坊までは道の駅から大体一時間くらいだった気がする。
Google Mapでは深夜二時に "東尋坊" へ到着することになっていた。

その間、仕事で疲れている彼には助手席でしっかり睡眠をとってもらい、自分が東尋坊までの運転を任されることになった。

それまでは彼と話していたが、彼が寝たことで急に静寂が車内を包んだ。

車のヘッドライトと月の灯りに照らされた視界だけが頼りだった。

海沿いの道を走るのはこの一台だけで、真夜中の静謐と穏やかな海は綺麗だった。
内陸育ちで、夜の海をあまり見たことがない自分には、この世界が異世界のように思えた。

左手に海を臨みながら、自分はもうすぐ目にする "東尋坊" や、それに関する色々に頭を巡らせることになった。


数日前、『希死念慮とは何か』というスペースを聞いていた。

「"死"は体験不可能なものなのに、なぜ「死にたい」と言うことができるのか。"死"とはなにか」

ある人がそう発言した。

自分は何度か「死にたい」と思ったことがある。
しかし、考えてみると"死"とはなにか、その本質はよくわかっていない。
でも本当に死にたいと心の底から願う気持ちはあるし、死んでしまいたい、自殺したい。死のうとした。
その時の”死”に向かう気持ちは紛れもなく本気だった。

とはいえ、発言を聞いて"死"とはなにか、確かによくわからない。
自分は"死"を経験したことが無いのに死のうとしていた。「死にたい」と言っていた。
"死"とはなんなのか。

ーーー運転している最中、そのことが思い出された。

少なくとも自分は"死"を知らないが、「人が死んだ」という事象は知っている。
"東尋坊"は飛び降り自殺の名所だ。自ら"死"を願い、そこで命を絶った人たちがいる。

東尋坊で自殺した人はなにを思ったのか。
なぜ東尋坊で自殺しようと思ったのか。

実際に"東尋坊"に行って、彼ら彼女らと同じ景色を見ることで、"死"に対して、なにか少しでもわかる気がした。

そう考えている内に、
大きな字で「歓 東尋坊 迎」と書かれたゲートが目の前に現れた。
電飾が全く燈っておらず、その簡素な見た目は、廃墟で目にするものの様だった。

ゲートを抜け、凸型の大きな建物がある手前の駐車場に車を停める。
観光案内所だろうか。

無数にある駐車場には自分たちの載っている車が一台だけで、前に見える二台の自販機の押しボタンのライトだけがチラチラと光っている。

助手席の彼を起こし、外へ出る。

現在は深夜二時。
風は一つも吹いていない。何の音も聞こえない。不気味なほど閑散だった。
月は木々に隠れて見えず、周りにはどこまでも暗夜が広がっていた。
目の前にある大きな建物が妙な威圧感を放っている。

しじまな空間にあるのは、無数の駐車スペースにぽつんと二人、エンジンを切った車、二台の無機質に光る自販機……。

そのとき、東尋坊の恐ろしさを実感し、二人して車の中に逃げ込んでしまった。

一旦心を落ち着かせ、そこから離れた少し明るい駐車場に車を停めた。
覚悟を決め、改めて東尋坊の、飛び降り自殺がされる崖を目指すことにした。

道中の道は両手に営業時間の終了した商店が広がっており、街路灯がいくつか明っていた。
ぽつぽつと灯りの燈っている店舗もあり、昼間は賑わっているとわかるような面影を残していて、あまり物寂しさは感じなかった。

街道を抜けると、眼前には照明一つとしてない真っ暗な空間が広がっている。
近くを見ると下るための階段があって、どうやらそれが崖に続いているらしい。

ときおり前方から岩礁に穏やかな波のぶつかる音が聞こえる。

おそらくこの真っ暗な空間には崖と海が広がっているのだろう。

スマホのライトを照らし足元に気を付けながら階段を下りていく。

そこからはコンクリートの緩やかな下り坂が続いており、しばらく歩くとゴツゴツとした石の感触が伝わる広い足場についた。

当該の崖上である。

月の明かりがはっきりと世界を灯していた。


知り合いは眼下に海を確認すると、何故か興奮して崖を下り、海の方へ降りて行った。

断崖絶壁と言えども、しっかり海に降りる道はあるらしく、彼の安全を見遣ってから、自分は飛び降り自殺に最適なポイントを探すことにした。

飛び降りるのに相応しい場所、確実に死ぬことができる場所。

実際に自分が"そこ"に立ってみることで、彼ら彼女らと繋がれる気がする。

最後に何を見ていたのか、最後に何を思ったのか。

深夜二時という時間帯がますます自分を感傷的にさせた。

崖の端を歩いていると、ついに人一人が立てるような崖縁を見つけた。

そこだけは唯一、石の足場ではなく、砂の更地になっており、まるで誰か一人を引き立たせるための舞台のようだった。

崖下は海ではなく岩場になっている。ここから飛び降りると確実に死ねるだろう。

自分はどうしてもそこに立たなければいけないような必要性に駆られた。

足を踏み外さないように気を付けながら、おそるおそるそこに立ち、目に映る光景を眺めた。




「なんて美しいんだろう……」


気付くと自分はその自然の美しさに感動し、ただただ茫然としていた。

自然の雄大さ、言葉にいい表すことのできない圧倒に打ちひしがれ、感動すること以外できなかった。

この世界はクソだ。死んでしまいたいのもわかる。でもそんな世界もまだ捨てたもんじゃないなって。こんな美しいものがまだあるとするならそれに触れてみたい。

そう湧出した瞬間、自分は"死"について考えることを放棄していた。
自然の訴えかける迫力が"死"を考える暇を与えなかった。

そして、それに感動した自分は生きているんだ、生きたいんだという実感が湧いてきた。

ついに自分は彼ら彼女らを理解することができなかった。
この場所で"死"に固執する気持ちが全くわからなかった。

そうして感慨に耽っていると、
海に降りていた知り合いの、嬉々としてこっちに向かって叫んでいる声が聞こえてきた。

「ここエントリーポイント!エントリーポイント!!ちょっと来てみ!!」

さっきまで巡らせていた思考は一気にぶち壊され、
その声のする方へ足早に向かっていった。

急いで崖を降り、ライトを照らして海面を見つめている彼を見つけた。

彼も自分の姿を認めたらしく

「ここ見てみ!」

と急かされ、彼の方へ走って、自分も一緒にその海面を嘱目した。

「透明で綺麗だ……」

東尋坊の海は深夜にも関わらず、月の光だけで底が見えるほど水色に澄んでいた。

静かな海にはでかでかと肥えた魚たちの優雅に泳ぐ姿があった。
漁場として人の手が加わっていないことのわかる、自然な生態系の営みである。
自分は水面に映る魚たちの活き活きと泳ぐ姿を、目で追いかけては見つめていた。

「『心霊スポット』って言うことで釣りの穴場っていうのを隠してるのかもしれんな。そういうのがあるらしいし。いや、こんなに魚がいるなら潜りたいな。潜ろかな。絶好のエントリーポイントやし」

あんなに二人して東尋坊に怯えていたのに、彼にとっては心霊スポットが、もはやエントリーポイントになってしまったらしい。

「エントリーポイント」というのは、魚突き界隈いわく<魚が近くに多くいて入水するのに適している場所>ということを表すそうだ。
潮目や、潜りやすさ、海からの出やすさがあるということだが、初学者の自分にはよくわからない。

彼の目の輝きと声の抑揚から、怯えではなくわくわくとした興奮が伝わってくる。
彼はもう東尋坊を漁場としてしか捉えていないのだ。

自分も彼の影響をもろに受けてしまい、肩の荷が降り、東尋坊の怖さがすっかり抜け落ちてしまった。
東尋坊イコールエントリーポイントという見方になってしまった。
どうやら東尋坊は絶好の漁場なのだ。

「こんなに魚いっぱいいるんやったらダイビングとかもよさそうやな!」

飛び降り自殺の名所で「ダイビング」という言葉を発するおかしさに、自分は声を荒げて笑ってしまった。

そんな彼を諫めつつ、まだ夜も更けていて暗いので、東尋坊は次回潜ろうということになった。

深夜の厳かな東尋坊に似合わず、その場にはほんわかした空気が満ちていた。

車に戻ろうとその場から離れようとした時、崖上で懐中電灯の光がゆっくり動いているのが見えた。
心霊スポットとしての東尋坊を求めに来た三人組だった。

帰りに崖上ですれ違った際、彼らと軽く挨拶を交わした。
その姿からは緊張している様子が見えた。

街路灯の下で東尋坊で見た魚について談笑している時、遠くからさっきの彼らが「だるまさんがころんだ」をしている声が聞こえた。

車内に戻り、彼と次に行く場所を相談したところ、
東尋坊から来た道を少し戻り、シャワーのある海水浴場で仮眠をしてから魚付きをしよう、という提案があったので、自分はそれを快く了承した。

再び自分が車を運転し、彼には助手席でゆっくり睡眠を摂って魚突き用の体力を回復してもらった。


目的地の海水浴場には朝の四時ごろに到着した。

遠方に淡いピンクが霞がかり、紺色の空が引くころだった。
砂浜に浅い波の打ち付ける音がする。


そういえば天気予報によると、今日は雨が降るのだっけか。
そんなことを思いながら自分は彼を揺すり起こした。

そして、起床して目を開けた彼が第一声に放ったのは

「マズメもう始まってるやん!!」

であった。

「マズメ」というのは<日の出前に寝ていた魚がちょうど起きだす頃合いのこと>である。
この時間帯は魚もまだ寝惚けており、魚を捕らえるには絶好の機会なのだ。

彼は慌てて車から外に降り、潜るための準備をし始めた。

海のことがあまりわかっていない自分は潜ったところで彼の足手まといになるため、しばらくは仮眠を摂り、このマズメの間は彼に魚を獲ってきてもらうことにした。
マズメが終わってから海を案内してもらおう、と。

そう決まると、彼はさっそく後部座席から重々しい荷物を運び出し、ウェットスーツへの着替えを始めた。

ダイビングなどでよく見る足ヒレを実際に目にするのはその時が初めてだった。
それは想像よりもデカく、ギターと同じくらいのサイズがあった。

細長い1mほどの黒い袋からは数本の棒が出てきて、3mほどにもなる魚突き用の銛が組み立てられる。
テレビの魚突きでよく見る山型の刃先ではなく、鋭く尖った槍状の刃先になっていた。
なるほど。どうやら山型の刃先をした銛はおもちゃであるようだ。

連なったおもりを取り出し、それを体に巻き付け始める。
身体を海に沈めるためのものらしい。
少し持たせてもらったが、なにかの修行かと思うほどに重かった。

彼は慣れた手つきでそれらの着替えを終え、最後にシュノーケルをはめると、そのまま海に駆り出した。

穏やかな波の迎える海に彼の入水する姿を見送ってから、自分は朝の浜辺を少し散歩し、車でゆったり仮眠を摂ることにした。

潮風はまだ少し冷たかった。



ドッドンッ!

……車の窓を叩く音が聞こえる。


朝の六時に起こされた。二時間の仮眠である。

瞼を開けてフロントガラスを見ると、外はびっくりするほどの快晴だった。

重い体を起こして車から降りると、彼の腰に数匹の魚が付いているのがまず見えた。

彼はウエットスーツの頭の部分を力いっぱい脱ごうとしているところだった。

まだ完全に起ききっていないふらふらな足どりで彼に近づきながら、どうだったか、漠然と尋ねてみた。

「こんな感じ」

と腰から外し、大きなピックにささった魚たちを見せてくれた。
魚突きといえば、網で収納しているイメージだったが、本当の魚突きはでかい安全ピンのようなものに刺して収納するらしかった。

見るとイシダイが二匹に、カサゴ、オコゼ、もう一匹小さい魚がいた。

「早速やけど、海潜ってみる?」

潜りたいのは山々だが、自分は少し腹が減っていた。昨日の夕べから何も食べていない。

「うん。でもその前に魚食べん?獲れたて食べてみたい」

腰についている魚を指さしわがままを言ってみた。

彼はピックからイシダイ一匹を取り外し

「じゃあ食べるかあ」

と言った。

先ほどまで海中で魚と追いかけっこをしていた彼に、早速その魚を捌いてもらうことにした。

包丁はあるがまな板は持ってきていないため、少し移動し、トイレ前のマンホールをまな板代わりに魚を卸してもらった。血を流すための水道もあるので丁度いい。

彼は慣れた手つきでイシダイを三枚におろし始め、そのうちの一枚を自分に手渡してくれた。

車から九州醤油を取り出して、それにつけて口に入れた。

新鮮な魚の身はいつも食べている刺身よりも弾力があり、さっきまでその筋肉でしっかり泳いでいた、力強く生きていた様相を感じさせた。
彼に銛で刺されるその間際まで必死に生きようとしていたのだ。

味は、容易に想像されるような鯛の味だが、少し生ぬるく、キッチンペーパーなどで拭いておらず水っぽかったので、格別に美味しいとは言えなかったが、それは美味しいを超えるほどの妙な満足感があった。

命を頂く、自然に感謝するというのは本来こういうことなのだろう。
"生きる" というのは本来こういうことなのだ。

細かい骨が残っていて少し痛かったが、しっかり身を嚙み締めてイシダイを味わった。

彼も一枚の身を食しており、互いに笑顔で、美味しい、と言い合った。

そして、食べれる部位を全て食べきったあと、突然、彼にその捌ききった魚を渡され

「この"ゴミ"捨ててきて」

と放たれた。


自分はその言葉に衝撃を受け、あっけらかんとしてしまった。

多分2~3秒は固まっていたと思う。

彼もそれを察したのか
「この"ゴミ"海にポイって投げ捨ててきてくれたらいいし」と、わかりやすく説明をしてくれた。
ああ、この捌き終わった骨身を海に投げてくればいいのか、と理解したのだが。

ついさっきまで自分は"死"についてあれこれと考えていた。必死に考えていた。
それは東尋坊に着くまで、彼との虫の死の見方の違いや、スペースでの希死念慮の話を思い返していたこと。
そして着いてから東尋坊で実際に死に近づこうと、理解しようとしていたこと。
さっきまで魚は泳いで生きていた……。

その全てが今思い返され、何度か彼の言葉が脳内で鳴り響いた。

「この"ゴミ"」「この"ゴミ"」「この"ゴミ"」

この"ゴミ"……?

その言葉を反芻しながら、自分は砂浜をボツボツと一人歩いていた。

踏みしめる度、砂がサンダルに乗っかかり足が重かった。
陽光は鋭さを増し暑かった。

海辺に着くと、波がサンダルに付いた砂を全てさらってくれた。

海水に"ゴミ"をささっと浸し、骨に残っている身にかじりつく。

食べれる部分は少なかったが、弾力のあるそれは、ちょうどいい塩味がついて美味しかった。

二、三度しゃぶりついてから可食部のほとんどないそれを海に投げ捨てた。

彼の元へ戻るとき、振り返ると波に返されたそれは浜辺に帰っていた。

手はとても魚臭かった。


東尋坊で泳ぐふくよかなハゼ


↓こちらはその後日談となっている。


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