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野生。

いつも眠そうな目。
空気を読むことなど知らぬ発言力。
やつがまた、この島に生まれてしまった。

デデンデンデデン♪
みたいな...
いや、しょうもない前置きはどうでもいい。

今日は、つい「ふふふ☺️」と言いたくなるようなできごとがあった。

私は気づいたときには草の前にしゃがんでいた。

私がしゃがんだ前にはやぎがいる。
実際には、そこに一人女性もいた。

前提としてこのやぎさんたちは、学校の敷地の草を刈る使命を持ちながらここにいる。
そこにいた女性は、やぎの飼い主さんであった。

「触っても大丈夫だよー。」
正直その言葉をまってました!笑

私は1匹のこやぎに触れる。
こやぎは思っている以上に単純だ。
一度おぶってしまえば、自分から乗ってくるようになる。
小さい足をバタバタと一生懸命に動かして前脚を私の腿に置く。
その振る舞いに対して私は、ついおばさんのように、「かわいい、あぁ元気やねぇ〜☺️」と言っていた。笑

そしてこやぎは大きなやぎ達に混ざり草を食べ、最年少として居るべき場所にちょこん、と座った。

え、待て待て、ちょっと待て。
このやぎまだ生まれて2週間やよな?

ここでやっと私は思い出した。
こやぎはまだ赤さんなのだ。
まだ生まれてわずか2週間で地を足で蹴り、
ときに大きなやぎ達の角に突かれながら、上下関係の中を生きている。

強い、強いぞやぎさん。
私はそう思った。けれど、よく考えてみればこれはやぎ界にとって当たり前のことである。

無意識に自分の中の"当たり前"というものを過信している私たちにとって、これは意外にすごく、不思議なことなのではないだろうかと私は思う。

やぎ界にとって当たり前は共通してるように思える。
そしてその理由は、やぎにとっての当たり前が本能と近いからではないだろうか。

私たち人間は本能以外に余計なものが入りすぎているように感じる。

媚を売るとか、便利を追求するとか...

もちろん悪いことでもないし、とやかく言う私もその大きな波に流されてしまっている。

ただ、たまには本能というものを意識してみることもありだと思う。

つまりもっと、もっとシンプルでもいいと思う。
理由をつけることもたまには休んで、「ただそうだからそうなんだ。」という感覚で動くのもありだと感じた。

ものすごい話がすりわっちゃったんだけど、
ともかく、こやぎはかわいかった。

だっこしておんぶしたので明日も会いに行こうと思う。





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