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天気の子 感想と解説

2年前(2019.9.21)に違うところに書いていた天気の子の感想をこっちに持ってきました。
久々に読んでみたら、この文章は二度と書けないなと思っちゃいました。
コロナもあったし、歳も重ねたし、天気の子を観た記憶を全部消して観なおしても同じ感想は書けないなあ。画像以外は昔書いたままです、では以下どうぞ。
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天気の子観てきました!

感想と私の解釈を自由気ままに書いていくので、まだ観てない方は読むのを御遠慮ください!本当は読んで欲しいけど!観てからお願いします!


書きますよ!いいですか!


天気の子みなさんどうでした?
私の超個人的な感想は「何も持たない人は迷いがないから強いなー」です。


主人公の帆高くんは島から東京にでてきた家出少年でした。
彼のすごいところは、何にも依存してないとこです。

どんなに辛い時も帰りたくないって気持ちが一貫しています。
家族のことをほぼ思い出してない。
いや、思い出してるのかもしれないですが、未練や強い思いが全く感じられない。


冒頭で怪我もしてたし暴力を受けてたのかな?と勝手に想像するのですが、結局最後までわからない。
もしかしたら暴力を受けていたかもしれないけれど、帆高は周囲の人間を過度に怖がらないし、信頼もしない。


お金もないし住む家もないし、とにかく何も持ってないんです。
スマホは持ってるけど(その金誰が払っ・・・)


重要なのは彼が何も持ってないことです。

こんな人はなかなかいません。
物だけじゃないです。
人への思いが全くない。

彼に兄弟がいたのかもわからない。
感じられないんですよね、家族への思いとか友達への思いが。プラスもマイナスも。

一方、ヒロインの陽菜ちゃんは晴れ女の力があります。大事な家族もいる。
お金もないし不安定ですが、誰から見ても彼女にとって弟の凪くんがとても大切なことがわかります。
弟の凪くんにとっても陽菜ちゃんはとても大切です。
2人は別々のシーンで「早く大人になりたい」と言います。
子供は不自由です。自分たちで何も決められない。
それは個人の強さや意思の問題ではなく、社会に守られた存在ゆえの不自由さです。
未成年2人で生きていくことは日本では許されていません。
彼女たちがどんなに2人での生活を望んでいても、彼女たちの意思では決められない。

だから2人は早く大人になって大切な家族を大切にする暮らしがしたい。


陽菜ちゃんが帆高くんに家族もいるんだし帰ったらと言うシーンがあります。
それは、陽菜ちゃんにとって家族が大切だから当然です。
ただ、何も持たない帆高くんにはわかりません。
目の前の陽菜ちゃんが何よりも優先すべき人なのに、なぜ今家族なんかの話を?と。
陽菜ちゃんは凪をよろしくね、と言います。大切な家族だから。
どんなに目の前に信頼する男の子がいても最後に伝えるのは凪をよろしくね、です。
きっと目の前の男の子も大好きなのに。


その後、帆高くんは初めて出来た大切な人を守るため、犯罪も平気で犯します。
そりゃそうです。
彼には犯罪を犯して迷惑をかけて、申し訳なく思う人は1人もいない。
命の恩人の須賀さんにも見捨てられてますからね。...見捨てられてなくても迷わなかった気もしますが。


あ、情けない大人代表みたいな須賀さんですが、それは違うと思っています。
彼は沢山大切なものを持っている大人代表です。
むしろ理想の大人です。
大好きな人との子供、自分で作り上げてきた仕事、亡くなっても大切な奥さん。
彼は迷ったときに指輪をなぞります。
たぶん、この映画で帆高くんの最も遠い存在でありながら、1番帆高くんを理解していました。
わざわざ「亡くなった奥さんとは大恋愛だった!」と監督が表現したのは、須田さんの願いが結婚でも子供でもなかったことを描きたかったんだと思います。

ずっと一緒にいたかった。

そう思っていても、どんなに大切にしても、どんなに愛していても、奥さんとは長い間一緒にいられませんでした。
きっと何度も思い返したと思います。
どこでどうしていれば、奥さんを失わずにもっと長い時間一緒に過ごせたか。
世界には、本当にどうしようもないことがある。


この救済が「君の名は」だったと私は思っています。
運命的な出会いで、両想いで、大好きで、それでも叶わない恋(1つの世界では女の子は死んでいます)


どうしても叶わない恋。
どうにもできなかったこと。


でも、もしかしたら違う時空の僕達は救われて、結ばれて、長い間一緒に幸せに過ごしているかも。

そんな世界の、どうにもできなかった恋の、救いの物語だった。と私は思っています。


そしてこの後の「天気の子」なわけです。
須賀さんは知っています。
どうにもならないことなら、失わずに済むものは持っていた方がいいと。

しかし、必死な帆高くんをみて、大切な人のためなら何でもする、という気持ちを汲みます。
須賀さんも思ったはずです、奥さんともう少し長い時間いられる可能性があったなら何でもした、と。

で、あんなことやこんなことがあり、東京では雨が降り続きます。


「君の名は」は救済の物語でした。
「天気の子」は希望の物語です。


なにが希望かっていうと、どうにもこうにも叶わなかったはずの恋が叶うんです。

無理をして。


一緒にいられなかったはずの陽菜。
それを大勢の人の幸せを一切無視して無理やり手に入れたんです、帆高くんは。


何も持っていないから、さほど迷わず。(いや多少悩んでたとは思うけど大人からみたらねえ)


今の世の中の正解は、世界を救うことを最優先にすることです。
個を犠牲にしてでも大勢の幸を願うこと。
でもこの映画では、帆高くんの世界が幸せならそれでいいじゃんって言ってます。
東京が雨に濡れて誰かが不幸になろうとも、自分が大好きな人に大丈夫といって手を取れるなら、それでいいじゃんって。

結局、自分の世界の中心は自分なんです。


自分の世界を最優先にして、自分の大切な人と一緒にいられるなら、他なんてどうでもいい。
実際、雨が降り続いてもそれなりにみんな幸せで、帆高くんは大切な人である陽菜ちゃんといられる。


この映画は、世界を敵に回しても人を愛する身勝手さを肯定しています。
誰かがとてつもなく身勝手でも、世界はなんとかなるし、その誰かの世界が美しかったらそれでいいと。
どうしようもないことばかりのこの世界で、もし滅茶苦茶な無理をすれば叶う恋があるならば、滅茶苦茶やっちゃえ!っていう映画でした。
あと、叶わなかった恋の大半、つまり優先されなくて寂しかった恋の多くが、ただ沢山大切なものを持っていただけだということ。
もし帆高くんに大切な家族がいたら結末は違っていたかもしれません。


この映画を見た人の中に、滅茶苦茶なことをしても愛を優先するバカがいて、そして2人が幸せに暮らす物語が生まれてしまったら。
私は羨ましくて羨ましくて泣いてしまうなあ。
どうか知らないところで幸せになってくださいね。

最後に、小説「天気の子」のあとがきから、新海監督の言葉を載せておきます。
あ、一応もう一度聞きますが、映画みましたよね?知りませんよ、楽しみが減っても。


「例えば人に知られたら眉をひそめられてしまうような密やかな願いを──語るべきだと、僕は今さらにあらためて思ったのだ。」
小説 天気の子 あとがき p.296


実は小説をまだ読み終わっていないので解釈が変わったら書き直すかもしれません。(2019.7.21)



お読みいただき、ありがとうございました!