心の穴

誰かと会って話すと普通に笑えるし、ご飯だって美味しいと感じる。

週末、仕事をしなくていい日は気持ちも少しは軽くなる。

外を散歩して野良猫を見つけると嬉しくなるし、鳩が日の光の下で暖を取っている姿を見ると「平和だなあ」なんて思って気分が良くなる。

寒さもいつの間にかラストスパートで、少しずつだけど春の気配をどことなく感じる。

そんな風に日常の中から幸せを見つけることだってできている。

それなのに、ふと、どうしようもなく不安になる。
自分のやりたいことが分からなくて、これからどう生きていけばいいか分からなくて。どんなに小さな幸せを日常の中から見つけたって、圧倒的にまだ何かが足りていない。

心にぽっかり開いた穴から冷たい空気が容赦なく自分の中に入ってきて、体はあっという間に冷え切ってしまう。せっかく見つけた小さな幸せたちはその風に吹かれてどこかへ飛んで行ってしまう。

「あぁ、早く穴を塞がなくては」

そう思って、自分なりに修復方法を調べてみたりはする。
色んな方法があるけど、いつも「裁縫や工事なんて自分には出来ないし、下手にやって穴がもっと広がってしまったらどうしよう」とか「誰かに頼むとしても、こんな見た目の悪い心をバカにされたらどうしよう」とかそういった気持ちばかりが浮かんできて、結局そのまま放置してしまう。

でも、やっぱり穴が空いていると息がしづらい。
息を吐くことはできても、吸うことがうまくできない。だから苦しい。
「苦しい」と思い続けていると、穴は知らず知らずのうちにもっと広がっていく。

塞ごうとしてもうまくいかなくて、どうしようもなくただ傍観している。

「傷付きたくない」

結局のところ、この恐怖が自分の中でいつもストッパーになっている。

名詞にできるやりたいことは無いのだけれど、「自分の創意工夫で人の役に立てたらいいな」くらいのぼんやりした理想はある。

でもその理想を実現させるための具体的な方法が分からない。
それに、人の役に立ちたいということは必ず人と関わらなければいけない。自分の無知さをさらけ出し、恥をかくことだってあるだろう。それでもその掲げた理想のために走り続けないといけない。

でも、穴が空いた状態の心ではそんなことは到底できそうにない。
呼吸がうまくできない状態でマラソンをすると、「ひゅーひゅー」という変な音が体の中から聞こえてくる、そんな状態。

そんな痙攣した心をぶら下げながら、外気に触れないようタオルでぐるぐるに巻き付けてひたすらに守っている。

なんだかこんなことを言っていると、「自分がいかに傷付いているか」を聞いて欲しいだけの子どもみたいだけど、私は言い訳したいだけなんです。
今のこの状態を、なんだか抽象的に言ってみたかっただけなんです。

こうやって言い訳を繰り返して、何もしないで1日が終わる。
1週間が終わる。
1ヵ月が終わる。
1年が終わる。
…あれ、このままでいいのか?

でもさっき気付いたことがひとつある。

「穴が空いた心では耐えられない」

それなら、少しのストレスで簡単にやられないように、まずは穴を修復することに全力を注ぐべきなのか。
抽象的な言い方をしてしまっているが、要は鬱状態を脱却することに全身全霊をかけなければいけない、そういうことでしょうか。
それからなのでしょうか、未来のことを考えるのは。

とりあえず、風呂に入って寝ます。


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