見出し画像

僕のYouTube

仕事の帰り道は読書の時間なのだが、本を読む元気がないときは、YouTubeとかもみる。息子や娘は、いろんなお兄ちゃんお姉ちゃんYouTuberの動画を見る。ゲラゲラ、ウヒャウヒャと、iPadからバカ笑いが聞こえてくる。それを無表情で見ていて怖い。近所のおにーちゃんに遊んでもらってる感覚なんだろうか?と最近思うようになった。知性が破壊されそうなコンテンツを知性が破壊された表情で、何時間でも観ている。最近のガキは手元でSwitchのFortniteをプレイしつつ、テレビでYouTubeを流し、デュアルディスプレイで効率よく脳味噌をスポンジ化させている。俺が小学生の頃は、1人でボンバーマンしてたのに。AX(アナログトランスフォーメーション)人材の僕的に、子どもたちのDX人材化には一定の懸念がある。しかし息子は急に北海道の地方都市の話とか、東日本大震災発生時の大陸プレートの話を始めたりする。YouTubeで見た、と言う。楽譜が読めないくせに、見様見真似で、ピアノで魔王とか、アイドルとかを弾けるようになっている。R-指定のラップも歌えるようになっている。YouTubeで見た、という。YouTubeとは何者なのか。あの馬鹿笑いとフリー音源の背後に、どんな世界が広がっているんだろう。文庫本とウォークマンとプレステで情緒を形成した僕には、よくわからない。僕もYouTube、みることある。でも、観るものはミュージシャンのPVや、ライブ映像ばかりだ。ワシが大学生のときは、YouTubeってそんなところだった気がする。5分〜10分の、PVとかライブ映像を観る場所。「歌ってみた」系は、主にニコニコ動画に生息し、棲み分けができていた気がする。違うかな。YouTuberなんて、当時は居なかったんじゃないか。調べる。ヒカキンがヒューマンビートボックスで初バズりしたのが、2010年の6月。HikakinTVの開設が2011年7月。はじめしゃちょーの動画投稿は2012年3月からである。日本のYouTuberは2010年くらいから戦国時代、黎明期に突入していくわけだ。ワシは、もう社会人になっておった。2021年、ヒカキンのチャンネル登録者数が1000万人に達した年、僕の息子が初めて自作の動画を投稿した。動画プラットフォームの成長拡大は、まさに指数関数的な訳だが、ワシは大学生のときから、進歩がないから、今でもYouTubeは「音楽を聴くところ」である。ビリージョエルと、ポールマッカートニーと、オアシスと、MR.BIGと、竹原ピストルを観た。いいなァと思った。ワシが聴くのは、主に昔の曲で、しかも、昔から気に入ってる動画に再訪してるのであった。新規開拓をせず、マジで大学生の頃から進歩がない。ヒカキンは今日も新しいコンテンツを産み続けている。息子は分度器のテストで赤点を取り、しばらくYouTube禁止になった。1205文字

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?