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ねこのくに

仕事終わりのある夜

 今日は、とても疲れた。朝っぱらから怒鳴られて、定時を回っても仕事して、遅れそうだった仕事もなんとか間に合わせて、気がつけば終電ギリギリの時間だ。疲労にストレスが重なって、とても帰る気にもなれない。

 だが、幸いな事に今日は金曜日だ。明日の仕事はない。よって、終電を忘れて飲んだくれても、誰も咎める者は居ない。つまり、この身はこの上なく自由だ。クリスマス模様に染まりつつある街を横切って、俺は居酒屋へと向かう。そこで飲んで飲んで飲み漁って、今日あった事なんて忘れるつもりでいた。

 そして今に至るわけだが、実のところ、しばらく間の記憶がない。気がつけば居酒屋の外に出ていて、火照った体に冷たい風が吹き付ける。ああ、実に心地よい。金を払った記憶はないが、財布の中身は減っている。多分、きちんと支払ったのだろうな。偉いな、俺。俺はそれを確かめてから、まだくらくらする体を起こしあげる。この酩酊感がたまらないのだ。

 そんな調子なのだから、今歩いている道も歩道なのか車道なのか、判別出来たものではない。そして今日の俺は、仕事帰りのスーツ姿だ。黒というか紺というかはよくわからないが、どの道夜闇に紛れて、見つけづらいことこの上ないだろう。そんなだから俺は、不幸にも俺の服と同じく黒塗りの車が、アクセルを踏みながら突っ込んできたことにも気づかずに……。

 という夢をみたんだ。とでも言いたげに、俺は目を覚ました。また道路に寝転がっていた。さっきの夢は一体なんなんだ?夢にしちゃ妙にリアルだったし、いまだに車が近づいてくる恐怖心を覚えている。そして事実として、いまだに俺はベロベロに酔ったままだ。ああ、この酩酊感が心地よい。冬の寒気が火照った体を浚っていくのもよい。かといって、こんなところに寝転がったままでは往来の邪魔になるだろう。俺はなんとか体を起こし上げて、帰り道へと歩き出した。

 そんな俺を、じぃっと見つめる猫がいた。三色のぶち模様を顔に湛えたそいつの存在に気がつくのに、俺は数秒の時間を要した。彼は背を猫のように丸めて、目を皿のようにして。俺は、なぜだかその猫の存在がとても気になって、同じように見つめ返してみた。その瞬間、猫はくるりと体を翻して、どこともなく歩き出した。

 なんだ、猫なんて所詮そんなものじゃないか。俺を見つめていたのも、きっと気まぐれな彼奴等の一つの気まぐれに過ぎないのだ。そう思ってまた歩き出そうとすると、俺はまた視線を感じて、猫の居た方を見た。すると、猫は上半身?で良いのか?だけをこちらにぐるりとむけて、俺のことまたじぃっと見つめているのだ。そして、俺が猫を追いかけるように歩き出すと何事もなかったように歩き出すし、あえて離れるように進路を変えると、今度はまた俺の方をじぃっと見ている。

 ははん、さてはこいつ、俺を誘ってるな。猫のくせに生意気な。とは思ったが、実際、この猫が俺にどんな体験をくれてくれるものか。俺はその事に酷く興味を持った。そして猫について行ってしばらくすると、猫をちらりとこちらを見てから、路地裏の方へと入って行った。

ねこのくに

 俺もその後を追いかけて、路地裏に入る。街灯の光も届かない路地裏はとても暗く、そこかしこに猫がいたとしても気づかないだろう。にしても俺は、どうしてこんな薄暗く、汚いところを歩かされているのだろう。夢中になって歩くうちに、やがて明るいところに出た。

 俺はびっくりした。街灯の光も見当たらないのに、まるで真昼のように明るいそこの、そこかしこにいる、猫、猫、猫。猫どもは思い思いに寝そべったり、魚を咥えてかけて行ったり、奥の方から走り来るジェットコースターに乗っている。猫がジェットコースターに乗るなんて初耳なのだが、事実として猫がジェットコースターに乗っているのだから仕方がない。どうやって乗っているのかって?猫でない俺に聞かれても困る。

 そういや、俺をここまで導いたあのミケぶちの猫の姿が見当たらない。よく探して見るとあのミケぶちの猫は、俺の後ろに現れた、公園とかで見るあの背の高い時計の上に鎮座して、俺のことを見下ろしていた。猫のくせに、なんと生意気な。猫は俺と目が合うと、突然ニャオーンと言わんばかりの勢いで、遠吠えをするように鳴いた。いやお前、猫だろ。

 その瞬間、あたりで自由にしていた猫達全員が、一斉にこちらに顔を向けた。猫らしからぬ統率の取れたその動きに、俺はいささかながら畏れを抱いた。お前達、猫にもそんな統率の取れた動きが出来るのな。俺は見直したよ。

 と思ったのも束の間、猫どもは一斉にこちらに目掛けて走って来たのだ。束になった猫どもはひと束に集まり、やがて荒れ狂う高波になって、俺の目の前へと現れる。猫の波を目の当たりにした俺は、恐怖心から逃げ出そうとする。しかし今の俺は、酔っ払いの千鳥足だ。そんな足で逃げようとしても僅か二歩で蹴つまずき、転がるように派手に転けた。そして、猫の荒波に飲まれて、俺はどこかへと流されてしまった。

ねこのもてなし

 荒れ狂うねこの奔流に飲まれること数刻。俺はいつの間にかテーブルの前に座らされていた。テーブルにはご丁寧にも真白なテーブルクロスが掛けられていて、中央には金の燭台に三本の蝋燭が立てられている。なんと瀟洒なことだろう。テレビのリモコンくらいしか置かれていない、うちの食卓とは大違いだ。ねこのくせに。

 手元をみればカトラリーが並べられていて、胸元をみればいつの間にやらエプロンが付けられている。それらからして、俺は随分と場違いなところに連れられて来たように思う。俺は普段からカップラーメンに熱湯を注いで、それに箸を突っ込んで啜り上げるような食生活を送っているような人間だ。テーブルマナーなんぞ、無縁にも等しい。なのに丁寧に並べられたカトラリー達は、自分たちが正しく使われることを期待しているように見える。正直、勘弁被りたかった。

 やがて、シェフ帽を被った、やたらと背の高いねこが現れた。彼は直立二足歩行のまま、前足で器用に料理が入ってると思われるあの、銀のドーム状の蓋のされた皿を持って来ている。あの蓋、テレビ番組ではしょっちゅう見るが、なんという名前のだろう?気にしたこともなかったが、説明しようとした時にハッとなった。俺は、テレビでよく見るあの銀色の、ドーム状の蓋の名前すら知らなかったのだ。

 やがてあのシェフ帽を被った、やたら背の高いねこ-長ったらしいし、シェフねこと呼ぶ事にしよう-は、俺の隣並び立つと、銀のドーム状の蓋のされた皿を俺の前へと差し出し、そして置いた。前足どころか、全身が震えていて、どこか危なっかしい様子だった。そりゃそうだろう。直立二足歩行とは人間に許された独占的な歩行技術であり、骨格的にも、ねこが真似して出来るようなものではない。それにねこの前足は当然、物を掴めるように進化していないのだから。

 シェフねこはドーム状の銀の蓋の取手に手をかけると、それを勢いよく開けた。中からは温野菜にシーチキンのようなものが載せられたサラダが出て来た。量も少なめに出来ていて、これがさしずめ前菜オードブルといったところなのだろう。そしてシェフねこはとうとう力尽きたのか、ドーム状の蓋を手放すと四足歩行にもどり、蓋の取手を咥えて去って行った。

 料理を出された俺を、周りにいるねこたちがじっと見つめてくる。食べろ、ということなのだろうか。まぁ確かに料理を出されて、食べないというのも勿体無いだろう。それに、とても逃げ出せるような雰囲気でもない。ええと、外側から使うんだっけ、内側からだっけ?そもそもシーチキンを食うのに、ナイフなんて要るだろうか?慣れないカトラリーに苦戦しながら、俺は出された料理を頂いた。

 ……薄い。味がこの上なく薄い。そりゃそうか。作っているのがねこであれば、味見しているのもそりゃねこか。人間用の味付けはペットには濃すぎるから与えるな、とはよく言ったものだ。それにこの上に乗っているのかシーチキンのようなもの。多分これ、◯ルカンとか呼ばれてるやつだ。もしかしたらカ◯カンの中でも高いやつを選んであるのかも知れないが、そもそも俺は、◯ルカンを食べたことがないから、よくわからない。美味しいかどうかも判別出来ないまま、俺は無心で食べ続けた。

 残りが最後の一口ほどまでになったころ、俺はねこたちのねっとりとした視線に気がついた。ぎょっとして後ろを振り向くと、異常なほど大きくなったねこたちの顔が、こちらにじりりとにじり寄って来ているのが分かった。危険を感じて席を立つと、ねこたちはテーブルに一口分しか残されていない◯ルカンに向かって飛びついて来た。やがて大量のねこたちが押し寄せて来て、先に見たような大きなねこの荒波となった。俺は荒波にまた飲み込まれ、どこへとなく押し流されてしまった。

ねこにまぎれて

 荒れ狂うねこの奔流に飲まれること数刻。今度はビニールプールのような場所に放り込まれた。ビニールプールといえば大量のカラーボールで満たされていそうなものだが、そこにはカラーボールの代わりにねこで満たされていた。いくらねこ好きなやつだろうと、ここにしばらく居たらねこアレルギーになるんじゃないか?おれはそんなことを思っていた。そして案の定、鼻がムズムズと痒み出して、やがてそのムズムズはくしゃみとなって、外の世界へと追い出された。

 鼻をすすりながらおれは、そこかしこに満たされているねこたちを観察してみた。いや、それ以外に出来ることもほとんどないのだろうが。探索をするにしても、うっかりねこたちの横っ腹をけ飛ばして、ひんしゅくを買うのも面白くない。もしそんな事態になったら、下手を打つとねこ達に逆襲されてしまうかもしれない。ここのねこ達の勢いというものはなかなかすさまじい物で、大の大人一人なんて、簡単に押し流してしまう。その時のおれは、大自然のきょういを目の当たりにして、何もする事が出来ないちっぽけな存在に成り下がる。またあんな目に遭うのはごめんだった。

 そんなおれのきぐとは裏腹に、ねこたちは思い思いに羽根を伸ばしている。横っ腹を地べたにつけて足を伸ばしていたり、腹ばいになって何かを観察していたり、お互いに向かい合って井戸端会議でもしていそうなねこもいた。おれはこんなにも肩身のせまい思いをしているというのに、ねこ達はどうしてこうも自由に振る舞っているのだ。おれはなんだか、腹立たしく思えてきた。

 そんな最中、おれの足元にすり寄って来て、こちらの顔を覗き込むねこがいた。おいばか、やめろ。お前達の気まぐれに、これ以上おれを巻き込んでくれるな。そう思いながら必死に目を背けて見るものの、意識しないことは、脳にとっては意識しないように意識することと同義なわけで。そのねこの存在が、おれの意識から離れてくれるわけではない。やがておれは観念して、そのねこの相手をしてやることにして、おれはそのねこのもとにかがみ込んで近づいてみた。

 近づいてみるまで気付かなかったおれを呪いたい気分ではあるのだが、このねこ、およそねこの風体をしているのだが、顔が明らかにねこではない。まるでメールで打ち込んだような、あるいは掲示板サイトでよく見かけるような、(´・ω・`)というような顔文字がえがかれているのだ。クソ、なんて物を寄こしやがったんだ。こんな変なやつをおれの元に寄こすということは、この後に何かが起きますよと言っているようなもんじゃないか。もうおれはここの騒動に巻き込まれるのはこりごりなんだ。嘆くように頭をかかえるが、ねこは(´・ω・`)の顔でこちらを覗き込むことをやめない。そんな目でこっちを見るんじゃねえ。その・が本当に目なのかどうかは、知る由もないが。

 目を逸らすように視線を泳がせているうちに、奇妙な事に気がついてしまった。よくよく見るとねこ達は、少なくとも二匹で一つのグループになっていて、こりつしているねこはおよそ見つからない。しかし、いまおれの足元で俺のことを見つめるねこは、どのねことも群れていないように見える。そうかお前、他のねこからもねこだと思われてなくて、それが原因でこりつしているのか。だからお前は、自分がねこであると認めてくれる存在を探しているのか。そう考えるとだんだん足元でおれを健気に見つめるねこが哀れに思えてきた。彼はきっと、ここにいるハグレ者同士、おれと仲良くしたいのだ。きっとそうに違いない。

 そう思ったおれはまたかがみこみ、足元にいるねこの喉元に手をやった。ねこは気持ちよさそうにブーン、ブーンと喉を鳴らしているらしい。おまえ、ほんっとうにねこらしくねぇな。けれどなんだか可愛らしく思えてきて、頭から背中から、いろんなところを撫で回していた。周りのねこたちがみな一様にどこかへ逃げて、足元を埋め尽くしていたねこ達が、一匹も居なくなっていた事にも気付くことのないほど、夢中になっていた。やがておれはヘッドライトのまぶしい光を浴びて、思わず目をつむった。なんでこんなところに、いきなり車なんてやってくるのか。そんなことをのろいながら、おれの意識は遠ざかっていった。

夢幻泡影のごとく

 という夢をみたんだ。とでも言いたげに、おれは目を覚ました。また道路に寝転がっていた。さっきの夢は一体なんなんだ?夢にしちゃみょうにリアルだったし、いまだに車が近づいてくる恐怖心を覚えている。そして事実として、いまだにおれはベロベロに酔ったままだ。ああ、このめいてい感が心地よい。冬の寒気がほてった体をさらっていくのもよい。かといって、こんなところに寝転がったままでは往来の邪魔になるだろう。おれはなんとか体を起こし上げて、帰り道へと歩き出した。

 そんなおれを、じぃっと見つめるねこがいた。三色のぶち模様を顔にたたえたそいつの存在に気がつくのに、おれは数秒の時間を要した。彼は背をねこのように丸めて、目を皿のようにして。おれは、なぜだかそのねこの存在がとても気になって、同じように見つめ返してみた。その瞬間、ねこはくるりと体をひるがえして、どこともなく歩き出した。

終わり

飛び入り参加させて頂きます、ねこです。よろしくおねがいいたします。

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