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刺し墨 後編

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 子らに、墨を刺している以外の墨師の毎日は、ふらりとしたものであった。

ただ、ただ、あちらこちらに歩いて行っては、ずっと景色を眺めているかと思えば、時には、街の遊家に立ち寄っていた。

この墨師の様子は、罪を隠したような所がなく、普通の者ではないと言う事が十分に見てとれたが、柔らかい物腰に端正な色のある様子から遊女達がりょうさんと呼び、惚れあっていた。

初めの頃は、この墨師同じ女を抱くことをしなかった。けれど、その事が、遊女達に墨師の心をつかもうと刺し墨をねだる者、断れば指を切ると言い張る者が絶えず、その事で墨師は遊家の主達から言われ、           

「この俺に選べと言うのか」と口にしても、

別に不服はないようで、墨師は一人の女を選ぶようになった。

それは、それで問題もなくはなかったが、見た目には落ち着いたものであった。

墨師が遊家に顔を出すと、女は、恋女房のように、いそいそと部屋に決まりきった様子で入る。

墨師の今の女は三度目で、前二人のうち一人は池に浮かび、一人は部屋で首をくくって亡くなり、その都度墨師は、間を置く事なく女を相手にする。                 

遊家の主達は、墨師に人恋の情などな無い事は見て取れようにと、顔を苦くしていた。

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墨師の部屋に、子が息を深くして座っていた。墨師もまた、息を一つする。        

罪のない顔だと、罪のない、いい顔だと思う。それは、いつもの事である。        

いつものことではあるのだけれども.... 。  

娼家に来る子は、一目見て紋が決まる子もいれば、中々と決まらない子もいる。今、目の前にいる子は主と談義を重ね、ようやっと紋が決まり、刺し墨をする事となった子供が、部屋にいた。                   

いつもならと墨師は思う。         

どういう訳からか、子の緊張が墨師に伝わった事が墨師の緊張になり、墨師は自分の緊張を解き放つかのように息を一つ二つとし、意を捨てたかのように子に着物を脱ぐように言ったが、薬を飲んでから間がありすぎたのか、子は体が痺れて動かないでいた。          

墨師は、子に言い聞かしながら着物を取り、冷たい布団の上に腹ばいに体を下ろした。

子は、自分の体が痺れて動かないのが、墨師が自分の着物を取り抱き上げたのを、墨師の手肌の感触が鈍いように思うのと、妙な浮遊感の感触を不思議なように思い、子は墨師の影を背中に感じると構えてものが背中に上った。   

墨師は、どの子からも背中から取り掛かり、いつもと同じように、右手で首を軽く押さえ、左手ですっと一回背を撫で、墨の一刺しに入った。                   

針の一刺しは、子に痛いように広がったと思わせる。思うだけで本当かどうかわからない。針は痛いと言う事と、一刺し、一刺しと生まれ来る皮膚に刺さる感覚は、子の痺れた体の皮膚鈍い感覚しかみせないのであるが、針の抜き差しと言う緊張が苦痛を与えるのか、子に汗を滲ませる。

それは悲鳴にならない声を見るようなもので、墨師には毎度のことで、気にならないと言う訳ではないが、しだいに針の一刺しは、次の一刺しとなり、止められなくなっていった。

親の跡のある子は泣かないなと思った。   

まず、間引き屋はしない。ちはやも、来た頃、無数に酷い跡が見てとれた。

ここ娼家に来るま迄に残っていると言う事は、相当なものであったろうと見てとれる。

そういう子は遅い墨入れとなる。

この子は、紋が決まらない事もあって、遅くなりすぎたと思った。遅くなりすぎた、いつもそう思うと、思い出すものがあった。

自分が子供だった時に見た、あの子の目。忘れられないあの目。           

住まいは長屋だった。           

いつも近所の子と遊んでいた。       

でも、その子とは遊んだ事はなかった。   

その子の家は、母一人子一人で、その子は毎日ではなかったが、母親によく叩かれていた。 

近くの家の者が止めに入っていたが、翌日の朝から子供を叩いたり、縛ったりと当たり散らしが酷かった。               

狭い長屋である。薄い壁である。音や声は、大きく響く。

そうなると、大人達は目を合わせ、長屋に一つ、鬼一つと言っていた。     

その子が縛られると言う事が、幾日も続くと言う事はなかった。夜には解かれるけれど、その子には、それで終わると言うわけではない。 

ある日、いつもなら向かい合った長屋の道には人がいて騒がしいのに、その日は誰もいなく静かだった。後で知った事であったが、近くの神社で急な手伝いで出て行っていったようだった。そんな静かな長屋の通りは少し不気味に思いながら歩いていた時、あの女の子の家の前まで来た時、勝手口の格子に目がいき、誰もいない静けさから、ちょうど台になる樽にそーっと乗って中を覗いた。造りが同じ部屋の中を見る間もなく、女の子と目があった。

女の子は手足を縛られ、ぎゅっと固く閉じられた口に、黒く大きな目に、自分が驚いた。  

それは親が怖い、母が怖い。自分の親がそうしたと見られるのが怖いといったような、そんな

もの渦を巻いたように、自分に広がった。  

その瞬間、自分は音を立てぬように飛びのいていた。そして、一生懸命走った。自分が見た事で、あの子が叩かれないようにと思った。  

それから、たまにあの女の子が一人で外にいるのを目にする度、もっている菓子を上げたいと思っても、側にいきたいと思っても、一度もそうする事はなかった。また、墨師は大人達が、やっぱり年のわりには小さいと言っていたのも思い出していた。             

そんな事が頭にありながらも、刺しは正確で墨師は最近自分の刺しが、変わってきたのではと思いながらも、その子の洗ったような清い皮膚に白銀(しぎん)の色を操りて、天に飾りて透かしみる正辺(せいへん)のある紋を入れ、体には蜘蛛をいれずに桜の花びらを赤くひとつ、切り込んだ。                 

そして、どの子も、湯に入れば紋は浮くが、朱に染まった濡れた皮膚に映る蜘蛛の糸は、雨のついた清いような独特な色香をみせていた。

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 もう昼になろうとする頃、客用の離れから着心地無く着た着物の袖裾から手足を乱したように、ちはやが出て来た。

開いた障子から昨日の晩の様子が覗くのは、そう珍しい事ではなく、使われた道具が見えるのも、それ自体どうと言う事は無いのだけれど、やはり、それは手で目を覆いたくなるようなもので、皮膚の赤い痛みばっかりが目立つ。

ちはやは、離れた所に墨師がいるのをみて、走りだして平たく転ぶ。

転んでは、手に痛いと言う顔をする。 

手にしていた包みは開いて、菓子は散っている。                   

色とりどりの花を模した小さな米菓である。 

その菓子は、座敷にと用意される菓子で、たいがいの客は口にしない。

又、客の中には、今日の子にと、別に菓子を持って来る者もいたり、それは子供の口にと運ばれる。

大体は、座敷や床で口にするが、まだ上がらぬ子にと持って出てくる時もあって、その菓子は散っている。

手は赤くなっていて、ちはやの見る目には小指には赤いものがないと思う。

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その日も、朝から雨が降っていた。

昨日からの続き雨で、ここ連日そうであった。

又、客足もなく、子らは人心地ついている所があったが、外に出れぬと言う事に、少々の退屈さを見せていた。

 主は、この雨の中、小用で街まで出かけていた。

それも済み、籠で帰ってきてはいたが、気分で少し手前で降り、娼家迄の道を傘をさし歩いていた。

今は冬に差し掛かった頃で寒いというのにと思いながら、娼家が見える所まで来ると格子の開き戸の所でしゃがんでいる子を見つけた。冬の寒さは凍(し)みて痛いと言うのにと思い、怪しみ最初主は、うちの子かと思ったが、様子が違う。

近く迄来ると、主は間を置き一巡するかのように、その子を見た。その子は、髪が濃く長く、目上で切られた前髪が目色(めいろ)をより強く見せているなと思うのと、濡れた体であるから当然傘もなく、そして裸足であるにもかかわらず、黒い毛皮をつけていた。      

主は熊の皮だなと思った。

また、その毛皮が、その子に似合っていた。

でも、それは不思議な似合い方で、皮膚につくような黒い毛皮が、その子を守るかのように見えていた。     

その子は、主を見ても喋らない。

主が、話しかけても喋ろうとはしないが、目色のある目を、主の方に向けた。       

主は、誰が置いていったんだろうと思った。 

ここ娼家は、そういう事が、年に何回か無い訳ではない。                

そんな事がない訳ではないが、親が来て、話をつけ置き去ると言った塩梅なので(金を受け取る為に)、不思議であった。主は、      

「立ちなさい。濡れた体でこんな所にいては風邪を引く、中に入りなさい」と言い、

腕を取ると濡れた体がずしりと重たかった。 

戸口を開け、中の者を呼ぼうとすると、女の子が立っていた。              

女は、主に目を向け、こちらに来てその子の前でしゃがみ、何事か囁くように顔を近くした。

そして、手で髪や頬についた雨を取るかのようにふれ、女は濡れるのも構わず、その子を抱き上げ中へと入っていくの、主は止めようもなく、ただ見ていた。

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 連日の降り止まぬ雨は、段々と白く煙るかのように降り、墨師は主がもう帰ってきているだろうと、雨の中を歩いていた。       

娼家迄来ると、急にぎゅっと集まった匂いに驚き周りを見たが、それは瞬時の事で、もう回りにはその匂いはなく、でも墨師は知った匂いに、何の匂いであるが思い出せないまま、娼家に入っていった。

墨師は、主に声をかけると同じに、つい部屋の襖を開けてしまい、驚いた。       

主の背や声や腕や肩に、無数の黒い蛇に。  

主の目が、墨師に飛んでいた。      

「見られたか」と普段に無い主の太い声は響き、雨で濡れた着物の着替えに、背を向けていたの墨師の方に向きなおり、続けた。   

「これは、この墨は、ここの者は知らん。無論、客も馴染みの者も、ここに関わる者、皆知らん。いや、一人は知っているか」と言う、主のひと呼吸ごとに動く、無数の蛇のざわつく気迫に、墨師は圧倒されながら、隙のない無頼な刺しに、自分はこれの一つもと思っていると、

「これは、親父が彫った」と主の言(げん)に、墨師は目を張った。           

「なら、何故」と言った。        

「俺は、彫れるだけで描けない」と主は言い、腕の蛇を撫でた。            

「この蛇のおかげで、どこへ行っても、どんな奴にも、一目置かれた。俺は、それだけの事は何もしていないと言うのに、そう人に見られる。まぁ、それで色々な事をするようになった。座ったらどうだ」           

墨師は、主に言われるままに、腰を落ち着けるように座りながら、考えていた。あの紋は、主が勧めたと。墨師を遮るように、主は言った。

「あの子、俺の子だ」           

墨師は、何故とも、何でとも、声が出ないでいた。                   

「この歳になっても、決まった女を一人も持つ事はなかった。その中の一人があれを生んだようだ。ある機会に、あれが赤ん坊の時見る事もあったが、その時のあれが自分の娘だと言う事を知るよしもなかったが、まぁ後でそんな事を人から聞く事があってな」

「・・・ 」墨師は、何も言えないでいた。

「間引き屋の言う素性で、こんな所に来たかと思った。男ばかりの中で育った事もあってか、女って言うのは、犯るばかりだったから、どう扱っていいのかわからん」と主には、いつもの意を正したような品の良さが無く、あるのは黒い蛇の性(しょう)だけであった。

 主の、そんな様にせきを切ったかのように墨師は言った。

「だからと言って、座に上げたのか。枷までつけて」

「客には、よくない趣向だ」

「あの紋を入れれば、買われると分かっていたのだろう。どうなるか分かっていたのだろう」と言うと、知らずに主は口を薄くつむり口端を上げ、言った。

「あれは、生きるだろう」

墨師は、答える事が出来なかった。

それが、墨師の足を知らぬうちに立たせていた。

そして、分かってはいても聞いていた。

「親父さんは、どうしてる」

「もう、昔に灰になった。あんたの絵を見たとき、親父と同じに描くなと思った」

「同じに」

「ああ、似てる。親父は荒く、お前さんは繊細で、一見似ているように見えないが似てる。あんたはそうは思わないかもしれないが」

 墨師は、思った事を口にできないまま、出ようと落と襖を開けた時、主が念を押すように言った。

「その道でしか生きられない者には、その道で生きるような刺しをしてやるのが本当だ」

墨師が部屋を出て行くと、主は、墨師との話しと雨の音に、昔を思い出していた。

 自分が物心ついた時から、兄達皆に墨がついていた。一番上の兄は暗雲、二番目の兄は火炎、もう一人の兄は、これがどうしても思い出せない。

この兄は、自分と歳が近くあったが、ある日いなくなった。帰って来ない兄に、上の兄達や母は心配していたが、親父は知ったような顔をしていた。

その後、死体が見つかったような話もなく、行方知れずのままであった。

「いまだにか、死んでいたとしても不思議ではないのにな」

 主は上げた顔を、又、下に伏せた。

 そして、自分は末で、あの頃には自分だけがなかったと思った。 

ある日、親父が、

「彫るぞ、いいか」と言った時、自分は頷いた。

その日は、朝から雨が降っていた。

腹這いになった耳によく響いた。開いた戸から覗く雨が涼しかった。

そう思っていると親父が背を撫でた。

それは、今までにない撫で方で、気が安らぐのと同時に不思議な思いで会ったのはつかの間で、親父の刺しは最初から皮膚を裂くようなものであった。

が、自分は声を出さず、動かなかった。

不思議と止めてほしいとも言わなかった。

今考えても、親父は、どうやっていたのだろうと思う。どう見ても、他の墨師の絵紋と変わりがない。

ただ画風が違うだけだ。

その画風が違うだけで、刺しなのにあの裂くような痛みは、あの痛さは通常の刺しの痛さなのかと、あの痛さを比べてみてはと思った事もあるが、体にけちをつけるようで、できなかった。

 雨の降り止まぬ事が、主に次々と思い出させていた。それはあずまにと起きた時の事のように思う。

気が付くと自分は立っていた。

雨が降る中、母の声が響き、立ち上がった少しの目眩に暗さの後、母の抱きつくように抱きとめる腕、そして母の息がふれ、何かを言っていたが、よく聞き取れなかった。

それは、今も心残りで聞き返しておけばよかったと思う。

ただ、幼いながらもこれだけは分かった。

自分の背に触れる母の手が、言っていた。

私には止められないのだと、許してくれと。母の女としての親父に対する恋が、自分には近くでしかわからないのだと、あの時感じた。

そして、幼いながらも母に恋をした。

でも、それは今考えると、恋と言うものを知ったように思ったと思う。

あの時は、それがどちらのものか区別がつかなかったのだと。幼い自分には。

近所の子にも、どこかしらに刺し墨があった。親父が金を出して、彫っていたようだった。

皆、貧しかった。

あそこは、あの長屋はどこも貧しかった。

どんなからくりをしていたかは、分からない。そんな金があったようにも思わない、親父は酒を飲まなかった。母が、たまにはと言っていた様に思う。親父の飲んだ所をみたことはなかった。

それに、母の背には緋文字があった。

背一面に、赤く深く切り込んだ墨が、赤い影絵のように見えていた。何が書いてあったか知らないし、分からない。一度も聞いた事はない。

ただ彫ったのは無意識に親父だと思った。

そして、それをそう勝手に呼んでいた。

緋文字と。

兄弟、誰も墨師にはならなかった。

親父は兄弟一様に彫り方は教えてくれたが、強要は何一つしなかった。

確か、誰かが来たときにこう言ったのだ。

「なりたい者がなればいい」と、年を経た今でも、あれは本心なのだろうと思う。

主は、自分を見つめながら考えていた。

不思議でならなかった。それは、いつも考えている事ではあったけど、もう今では疑念でしかなかった。何故、自分はあの女を置いているのかと。

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林をざぁと抜ける音が二つする。

急いだ足であった。

気が急いでいた。

自分が何をしたか十分にわかっていた。

自分一人が、この子を連れ出したからといって、何が変わるわけではない。ないが..... 。

墨師の引く手は、早かった。

男には急いだ足ではあるが、子には走るようなもので、子の小さく走る息は、紋を浮かせていた。それは散らし紋であった。

ちはやには、墨師の掴む手が痛いが、ちはやも強く掴んでいた。

その二人に風が絡み、雨がが打ち付けていた。

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主は、話をつけるべく女を部屋に呼んで話をしている時、「如意後生」と不意に、頭に響くその言葉に驚いた時には、もう娼家のあちらこちらで火手が上がっていた。

主と女のいる部屋にもきな臭い匂いに、主は急いで隣の部屋を開けた。

けれど、既に隣の部屋は火がついていて、空いている障子から見える庭のその様子に主は驚いていた。

不思議な日であった。

連日の雨でありながら、赤々と燃え広がる勢いが早いのではと主は思いながら、主は女と話をしているその時、何処かで火がついたと思った。

音がしたわけではない。

匂いがしたわけではない。

意識の何処かでそう思った。

が、気にかけないでいた。

何故、そう思ったのか不思議であったからで、でも、それは本当であった。

そして、今、火のつきは早いにしては、子の声がしないと思った。

女がつけたのかもと思ったが、女は自分と話をしていた。

そこ迄、思った時、主は女の方に振り返った。

女が立つと炎が増し、四辺(あた)りに一つ、一つ、ついて行くかのように見えた。

女は、閉じた襖を開けて奥に進んだ。

火の中を。

その時、主の中で女と火がつながった。

そして、あれは「如意後生」だと。

母の背はそれだと思った。

あの刻まれた緋文字と。

が、気づくと、主の袖に火がついていた。

払うより、脱いだほうがとした時、ぎゅっと集まった獣の匂いがし、女の側に毛皮を着たあの女の子がいた。

その女の子の顔には、子を逃がしたぞと言う顔があった。

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燃えたものは落ちていた。娼家の続き棟も残らずと焼け落ちていた。

雨であったのにもかかわらず、人々はよく燃えたと。雨だからこそ、木々に山に移らなかったのだとも言った。

小降りと止まぬ雨のもつ色の柔らかさに、まだ燻る火の匂いがあるのにかかわらず、幾日かたった焼け後のように思わせた。

その後、焼けた娼家の数が合わない死体に不思議を思ってみても、子らや稲荷様を見かける事もなく、人々の間では稲荷様が隠してしまわれたと言われたりもし、この焼け跡に同じ娼家が、建つ事はなかった。

                終


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