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人生をリカバリーする力が上がるエネルギーライン

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人生は、いつだって後悔や、やり残した事の方が多い。

それらをリカバリーする力が欲しいと思った事は、ありませんか?

そして人生をリカバリーした神が日本にはいます。

それは諏訪大社に現在、鎮座する「建御名方たけみなかた)」です。

有名な出雲の国譲り(戦争)の際に、大国主の御子であった建御名方は国譲り(敗戦)と共に敗走をし流れついた場所が信州は諏訪の地。

その場所で大いに崇められ諏訪神社は、今では全国に25.000社を数える一大信仰の中心にいる神です。

また、出雲地方では現在では出雲国一宮・出雲大社ばかりが有名ですが本来の一宮は和歌山の有名な熊野大社の元宮である島根の「出雲国一宮・熊野大社」です。

熊野大社の祭神である素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、大国主の父親で、建御名方の祖父です。

出雲国を創建した神。

その神の場所から、今回のエネルギーラインは始まります。

さて、見てもらうと分かる通り長大なエネルギーラインです。

島根県の熊野大社から始まり、長野県の諏訪大社、そして茨城県の大洗にある磯前神社(いそさきじんじゃ)まで。

出雲から諏訪までは、建御名方が通した道(ライン)です。

そして、そこからなぜか茨城に延びているライン。

茨城が常陸国 (ひたちのくに)と呼ばれる、もっと前。

北関東は当時の中央政権から見て、出雲と同じく鬼と呼ばれた人達が住む場所・・・未開の地でした。

それは、言い変えれば出雲を滅ぼした中央政権の力の及ばない場所。

そこに出雲から諏訪までたどり着いた人間の一部がさらに足を延ばし移り住んだ場所が茨城県大洗です。

磯前神社の創建は856年となっていて、その年に「神磯の鳥居」がある場所に神が降り立ったのを機として創建されたとされていますが元々、出雲から流れてきた人たちが祭祀していた場所に神社を立てる事を許された年と言うのが正解です。

磯前神社の祭神は大国主の別名「大己貴命(おおむなちのみこと)」です。

流れ着いた人たちの世代的に、一出雲で使えていた王は大国主ですから納得できます。

そして、ほぼ同年代の867年になって正式に出雲大社も「出雲国一宮」となりました。

実際は、正式に一宮になる前から話などは動いていたでしょうから磯前神社創建と同時期と見て間違いがないです。

神社が出来た事によって、このエネルギーラインが出雲のエネルギーラインである事がわかりやすくなりました。

出雲国を創った男「素戔嗚尊」、そして諏訪大社本宮の現在の向きではなく旧社殿の向く位置は熊野の方角でしたから、あきらかに熊野大社を意識して作られた諏訪大社。

そして、磯前神社の本質である「神磯の鳥居」が向く方角もまた諏訪大社であり、熊野大社なのです。

そして、このラインのエネルギーがあったからこそ建御名方は諏訪を治め、日本中に霊的シンボルである諏訪神社を25.000社という数が建ち。一大信仰の中心となったのです。

これが、このエネルギーラインのシンボル「熊野大社」「諏訪大社」「磯前神社」を巡礼する事によって手に入れられる力です。

一つずつ、旅行がてら足を運んでみるのも良いかもしれませんね。


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夢我一全

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