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「死ぬ準備」して長生きする

「死ぬ準備」は妻が死んだ20年前から書き始めた。カタチは日誌だったりメモだったり。時には哲学的思索の結果だったり。小説だったり。この原稿は10年前の原稿である。書いた媒体はヤフーブログ。一昨年なくなった。儲からないとすぐ処分するのがヤフー流である。書いた記事の大半は失われた。幸運に生き残った記事もある。これがそうだ。

そんなことから私もヤフー経由では何も買わなくなった。解約が面倒で残したままのものもある。BBだ。月額三百円。何のメリットもない。ただ毟り取られるだけ。総額で7万円以上になる。ああ、惜しかった。

これは、たまたまコピーして仕舞いこんできたから生き残った。記事のタイトルは「何の準備もしないで死ぬのは卑怯だ」期日は2011年10月22日。以下はその続きである。


ー状況は相変わらず厳しい。生きるとはそういうことだ。人間社会は複雑怪奇である。制度やシステムが複雑に絡み合っている。その中で生きる。そのこと自体厄介だ。でも此処でしか人間は生きられない。

金や権力を持つものと持たないものでは、子孫に大きな差ができる。知識や情報を持つものと持たないものでも同じである。今後はますますその傾向が強くなるだろう。

人間社会では金が全てだ。そう思いたくなかったし、そう思わないで生きてきたが結果的はそうなった。これが七十余年掛けて獲得したた結論である。


日本の諺にも「金が敵の世の中」がある。アメリカでは、A man’s wealth is his enemy(富はその人の敵である)と言うのだそうである。そうだろう。敬虔なピューリタンとしてアメリカを開いた人たちも、最初は労働の尊さと神への感謝を持ち合わせたはずである。

しかしいつの頃からか金オンリーの社会になった。ならず者や食い詰め者がアメリカに雪崩れ込んだからだ。金によって作られて社会は金によって滅ぶだろう。

また株が暴騰している。儲かる。儲かる。

でも幻想である。金は万能だ。何にも交換できる。だから便利だ。金を嫌悪する奴は、たぶん金に恨みのある人間だろう。そのとおり。私にも金に恨みは数々御座った。

資産家ならお抱えの弁護士もいるし、資産管理の為の信託銀行もついている。しかしゆとりのない普通の人間にはそんなものはない。またその必要もない。だから何もしなくて良いのか。

そんなことはない。むしろ貧しい人こそ残さねばならない。残す資産がないなら、せめて思いくらい残そう。

なにをどう書くんだ?なんでもいい。思いついたことを書けばいい。ノートやメモでいい。デジタル音声録音でいい。やがて芳醇な酒に変わるだろう?何の準備もしないで、呆気なく逝ってしまうのは困る。残された家族が迷惑する。

まして中小企業経営者なら、身内での保証のやりとりや、帳面に記入されていない親子間での金銭貸借もあるだろう。

もし倒産したら。亭主が死んで金融機関が来て、奥さんが連帯保証人になってます、なんて言われたら? 法律的な知識もない。何の準備もしていない奥さんなら死ぬだろう。子供が迷惑する。

そうさせないためにも事前にも準備しておく。書き残しておく。借金はいくらあるか。返済は如何すればいいか。手に負えなかったら素早く相続放棄しろ。破産でもいい。税理士に頼め。友人の誰それに相談しろ。電話番号はこれだ。夜逃げの仕方も書いておこう。

まさかの場合には、これを読んでね。場所は此処だよ。ここ。何回も話しておこう。それが「死ぬ準備」だ。

格好なんかどうでもいい。体裁不問。だから通り一遍の遺言ではない。実行指南書で愛情のしるしだ。遺される遺族に対する熱い思いである。

遺された家族が慌てないで済むための指図書でもある。或いは地図である。そんな家族への思いこそ「死ぬ準備」だ。生き抜く手だてだ。

しかし、そんな思いもすんなり理解されるとは限らない。そうまでして遺した思いや書き込みでも、素直に家族に伝わるとは限らない。そのような情報によって、却って混乱する場合もあるだろう。逆に恨みを買う場合もある。

中小企業経営者の場合、金融機関の対応は極めて陰険冷酷である。もし社長であるあなたが死んだら、すかさず、奥様は、このように連帯保証人として名を連ねていますとたたみ掛けてくるだろう。

そういえばそんな記憶もあるが、まさかこんな形で提示されるとは思ってみなかった。金融機関に、改まって書類を読まされた遺族は混乱する。

時間を掛けて読み込んだところで、結果は同じ。金融機関は、すべての状況を承知で、いかなる場合にも金融機関が損することのないように準備をしている。国も同じだ。どっちも冷酷さが身上だ。一部の上級国民だけが得をする。役得である。市役所でも同じ。公務員の対象は公務員、その他大勢は単なるゴミである。

遺族に、すこしでも元気に対応して貰いたいと願うなら、普段からその為の訓練をしておくことだ。それが「死ぬ準備」である。

急いで弁護士探しても無駄だ。問題が起きてから法律書を読んでも間に合わない。おまけに弁護士は着手金を要求する。いい加減な弁護士もいる。そんな時は市役所や法テラスに相談する。

アンチョコである。最低限度の金はかかる。でも月賦にしてくれる。そのための公的な相談である。そんなことも書いておこう。あるいは話しておこう。大変さには違いないが、背負って生きる勇気が湧いてくる。その為の「死ぬ準備」である。

さいきんは、遺言書などの実用書が氾濫している。それらは大方無味乾燥な法律用語によって飾り立てられている。確かに法律は、最終的な解決の拠り所ではあるが、遺族に生きる勇気までは起こしてくれない。むしろ家族への熱い思いの方が、遺された家族には助けになる。

付き合っている金融機関が幾つもあったら、たぶん彼らはハゲタカのように群れをなして舞い降りるだろう。混乱や死は彼らの餌場だ。彼らは死肉を好む。美味しいし儲かる。

ハゲタカの収斂先がユダヤ国際金融である。各国の中央銀行を通じて彼らは死肉を漁る。おぞましい風景である。

形式的なことや、実用書的なことは役に立たない。むしろ普段から用意してある「死ぬ準備」がいい。

くどいが、「死ぬ準備」は普段から書いておこう。何も起きなかったらただの日記にかわる。あの時はこうだった。よく頑張ったな。子供への指導書にもなるだろう。

起業当初は何が起きるかわからない。起業家だけではない。一般人も、冒険家や、単身赴任者、海外旅行の多いビジネスマンにとっても同じである。

住居にしろ教育にしろローンを組まなければならない。目に見えない負債がどんどん嵩んでゆく。万が一不測の事態がおきたら、どの程度の負債が遺されるか、その負債をどう整理するか、その場合には、どんな心積もりが必要か。そための準備をしておく。これが必須な時代になった。騙されるな。企業の宣伝文句に。ほとんどが嘘である。

だから万一の事態に備えて、細かく書き残しておこう。話し合っておこう。照れくさいだろうが頑張れ!一家の柱だろ。親父だろ。家族はそんな話を嫌うだろう。縁起でもないと不機嫌になる。

でも死ぬ準備は要る。人間は間違いなく老いる。死ぬ。始めあるものは必ず終わる。いつ終わるか、だけの問題だ。

そんな思いでこの記事を書いた。書いて忘れていた。偶然出てきた。10年前の思いが蘇る。言うは易いが行うは簡単じゃない。だから圧倒的に多くの不幸がこの世には転がっている。一見華やかな都会の夜は、実は、不幸の吹き溜まりなのだ。だから暗い。

でも歩け。トンネルの出口は必ずある。

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小説の背景は、東京大空襲、疎開、田舎での苛め、家庭内差別、脱出願望、ちゃぶ台一個・リンゴ箱式箪笥と煎餅布団、結婚指輪はカーテンの輪っか、戦後混乱期、昭和三十年代暮色など、今の人が知らない風景です。

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満85歳。台湾生まれ台湾育ち。さいごの軍国少年世代。戦後引き揚げの日本国籍者です。耐え難きを耐え、忍び難きを忍び頑張った。その日本も世界の底辺になりつつある。まだ墜ちるだろう。再再興のヒントは?老人の知恵と警告と提言を・・・どぞ。