「戦ふ少国民」

私も戦う少国民だった。

高等科を終了した少年が少年航空学校に合格して、国民学校(台湾。北港)の全校生が校門前に並んで見送った。私も少年航空学校志願だった。特攻隊に憧れた。

台湾・北港の陸海軍併用飛行基地からは頻繁に戦闘機が飛び立ようになった。
みな台湾沖海戦の戦果に沸き立っていたが、実は大本営発表はガセだった。航空母艦2、戦艦1撃沈など、真っ赤な大嘘、でも誰も大本営を信じていた。

そんな時代だった。

満85歳。台湾生まれ台湾育ち。さいごの軍国少年世代。戦後引き揚げの日本国籍者です。耐え難きを耐え、忍び難きを忍び頑張った。その日本も世界の底辺になりつつある。まだ墜ちるだろう。再再興のヒントは?老人の知恵と警告と提言を・・・どぞ。