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物質主義からの脱却は突然に

母からメールがきた。
来月の大阪マラソンで私の弟が出るからその時にランチでもどうか、と弟が言っている。
とのこと。

うーん、、いつも思うけどそれ、弟から私に直接連絡くれたらよくない?
私たちもう中年だよ?(40歳と42歳・・とほほ)
と返事。

あの子は黙っちゃうタイプだから・・・と母。

いや、ポイントがずれてるよ、お母さんが居なくなったら疎遠になっちゃうよ?このままだと。あの子から連絡するように促して欲しいな。これからは。

と返事。

うん、でも、それはあなたの言い方がきついからだよ、と母。

それは認めるけど、弟は全然返事もしてくれないし、会話を続けようともしてくれないから、言い捨てるような言い方にはなるよ?そりゃ。

と返事。

でもねぇ、あの子、パワハラ受けてた時なんか、まるでお父さんみたいだったわよ(父は52歳で自死により他界)。と母。

そうですか・・・。

返事できず。

結局、会話にならないのは母も弟も同じで、弟は母にそっくりだ、と私は感じたのだった。。

その二人が今までずーっと一緒に住んでるんだから、そりゃ共依存にもなりますよね。

私はコミュニケーション力が異様に高い夫と常に一緒にいるので、弟や母のように会話が成り立たない人といる環境にはもう戻れない。
今年はお正月も会っていない。でももう会わなくていい、とも思う。というか、会いたい、と思えない。

でもそれは自然なことで、会話ができないのに会いたいはずはなくて、別に自分や母と弟を責める気も起こらない。

私はもう会いたくない。

この会話は今朝のメールでのやり取りだけど、ほんと、その直前まで、母が死んだら遺産も欲しいし、弟ともコミュニケーション取っておかないと、と考えていた。

でも、この会話でそれが全くなくなった。。

遺産って・・・私そんなこと思ってたんだね、とも気付いた。
遺産相続がないと、自分の息子に財産を残せない、とか考えていたのだった。
それって、まさに物質主義社会の刷り込みだよね。

これからの世界、望んだ通りの人生を送れるし、それに必要なお金は自然と手に入るって、あちこちから聞いていたのに、まだまだ物質主義の考え方が私の中にあったんだなぁと気付いた。

だから別に遺産もいらないし、それがなくても私たちは望む未来を手に入れられるんだった。忘れてた。

だから、大阪マラソンの時にランチする、とか、弟が本当に望むのなら、弟から連絡くれたらいいし、こっちが店探して、それを母に連絡して、、、とかそんな煩わしいことは、私はもうしない。
ご馳走したって、「美味しい」の一言も言えないような人は、たとえ弟でも一緒にいたくないのだ。

なんか、そんな感じで踏ん切りついた一件でした。

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