ピアノが連れてきた思い出
昨日、息子が3歳になりました。
昨年から、息子の誕生日には夫婦で休みを取って、みんなで過ごすようにしています。1歳の誕生日は私は仕事で出張で、息子を連れて行きました。あの頃は大変だったなぁ。と懐かしい気持ちです。
3歳にもなれば、記憶に残るだろうから物のプレゼントより思い出を!と、農園体験できるコテージを見つけて、そこを予約していました。温泉もビュッフェもあって、大人も楽しめそう!と勇んで予約したのですが、緊急事態宣言の延長を受け、施設の大半が一時閉鎖になるとの連絡が・・。かなりしょんぼりしてしまい、予約をキャンセル。日常+αくらいの過ごし方に切り替えました。
でも多分、息子にはこっちの方が嬉しいんだろうな。
いつもは「乗らないよ〜!」と言われて指をくわえて眺めていた公園の有料の乗り物にも乗せてあげたし(コロナだし平日だし、貸し切り状態)。係のおじさんに誕生日だということが知れると、小さなおもちゃをくれたり、息子は「今日が誕生日なんだ」というのをひしひし感じていたと思います。
誕生日に合わせた訳でもなかったのですが、昨日は実家のピアノを我が家へ迎えるという大イベントもありました。
さらに、夕方には3歳になると打てる予防接種も打ちに行きました。
ピアノの到着は時間が読めずずっとそわそわしていないといけない状態でしたが、全てがうまく噛み合い、息子と私たちのお昼寝時間も確保できて、予約したケーキも取りに行けて、予防接種にも余裕で行けて、夕飯もゆっくり食べて、ケーキのろうそくも消せて・・。それはそれはパーフェクトな一日でした。
そして・・息子を早めに寝かせて、ピアノを眺めていたら・・
30年以上、実家を見つめてきたんだなぁ。としみじみ。
ピアノを買った時の心境とか、風水を気にしてリフォームしたこととか、12年前の大改装のこととか。亡くなったおばあちゃんおじいちゃん、父親、姉のこと。ぜーんぶ走馬灯のように、思い出されました。走馬灯のようにってこういう感じね?と思うほど。
夫に、思い出す度に逐一話していましたが、間に合わず話がどんどん飛躍するので呆れられました。
でも、なんかこう・・・つながりそうでつながらない。あの時の気持ちと今の気持ちがつながっているような、そうでもないような。
さらに掘り下げてじっくり考えてみたら、ハッと気が付くこともありそうな気配がしましたが、まぁいいや・・寝よう。と床に就きました。
意味深な夢でも見るのかと思いましたが、その日の疲れのため爆睡できて、スッキリな朝を迎えました。
朝起きるとやっぱり(当然ですが)ピアノがあって、すごくいい響きで、部屋にすでに馴染んでいるのを見て、あぁ、ここに来たかったんだ、と確信しました。
階下への騒音も気になるし、挨拶しに行かなくちゃ・・気が重いけど。
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