差別を知らない僕らの差別との向き合い方


婚活パーティで知り合った中国人の男性と食事をしてきた友達が、「アネモネはこーゆー考え方嫌いかもしれないけど」と前置きしてから「食べ方や箸の使い方が汚くて、中国の人とは付き合えないなと思った」と話してくれた。

こーゆー考え方嫌いかもしれないけど、というのは、私が日頃から出身国などで差別する人、偏見を持つ人がきらいだと話しているのを受けてだとすぐわかったが、私は彼女の考えのどこが悪いのかうまく説明できず、「まあ食べ方の違いって気になるよね」と曖昧な同意をしてその話は終わった。

今、黒人差別撤廃運動が盛り上がりを見せているが、そもそも差別って何だろうというのを説明できる人は少ないんじゃなかろうか。

私もこの説明に自信はないけれど、私の中では差別とは「その人の努力じゃ変えられないことが理由で不当な扱いをすること」という理解になっている。
その人の努力じゃ変えられないこと、というのが性別であり、出身国であり、肌の色であり、好きになる対象であり、もっといえば親の収入とか、年齢とか、生まれるだけでついてくる様々なステータスやラベルで、それが不当と本人も気がつかないうちに不当な扱いを受けてることって結構いろいろあると思う。

つまり、友人が私の「嫌いな考え方」かもしれないけどと言ったのは「中国人とは付き合えない」の部分で、出身地で人を選別して弾くような物言いを指し、私が曖昧に同意したのは「食べ方が汚い人とは付き合えない」の部分であったということだ。中国に生まれることはその人の能動的選択ではない、でも食べ方は訓練でどうにだってなる。変えるも変えないもその人の問題でその人の周りの人の問題だ。

中国に生まれることと食べ方が見過ごせないほど汚いのは別の問題だよと、その場で簡潔に説明できなかったのは私の中で偏見とはなにか、差別とはなにか、という定義づけが揺らいでいたからだなと思って、この文章を書いてみている次第である。

日本には差別はないという人がいる。#BLMのハッシュタグを掲げ黒人差別撤廃を訴える人の中にも実際に周囲に黒人と呼ばれる人はいないという人も少なくないんじゃないかなと思う。差別をなくそうと叫ぶ人の多くは、自分は差別的な行動を絶対に取らないと信じていると思う。そしてあなたは差別されたことがありますか?と聞かれたときにもnoと答える人が多いんじゃないかと思う。これは全部私のことである。

でも、私達の日常には小さな差別や偏見が溢れている。自分達も無意識的に偏見に満ちた思考、そして行動をとっている。そしてとられてもいる。だって偏見に満ちた情報にたくさん触れてそういう情報をもとに思考してるんだもん、仕方ないよね。
でも、個人の持ってるステータス、出自とか性別とか、沢山のラベルと、その人が取る行動や思考は、つながってるようで繋がってないってこと。統計学的に有意な結果があったとしても、自分の隣にいる誰かに当てはめるにはちょっとかなり乱暴だってこと、そろそろ共通認識として持ったほうがいいなと思う。

日本人は差別を「知らなさすぎる」と思うから、#blmが流行った今こそ私達は差別ってそもそもなんだろう?ってとこに立ち返って考えなきゃいけないのかなと私は考えている。差別ってなにかよくわからないまま、差別をやめよう!と叫んでるような気が、ふとしてしまったのだ。

そして周りの人に対する行動から、友達との会話から、説明できるようでできない行動を、偏見に満ちた発言をちょっとだけ減らせたら、世界はすこし前進するのかなと。

 By annemonne.