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「山全体が神域ゆえに~長野市・戸隠神社旧奥院」

宝光社、火之御子社、中社、九頭龍社、奥社(旧奥院)の五つを配する戸隠神社は10世紀から11世紀にかけて創建されたものですが、九頭龍社と奥社は紀元前とも言われています。
平安時代には天台密教と真言密教、そして神道が習合し、神仏混淆の戸隠十三谷三千坊と呼ばれる修験道の聖地となりました。
天台・真言両宗の法論闘争が繰り返されて来ましたが、江戸時代に入り、寛永寺の末寺と なることで「戸隠山領」が成立し、修験道場から門前町に変わっていきました。
明治時代、神仏分離令、修験宗廃止令によって廃仏毀釈が起き、神社として独立していきました。(戸隠山顕光寺から戸隠神社に)
ここ奥社は神話で言う天岩戸が戸隠山とされています。

隋神門を抜けると杉並木、奥院まで続いています!

長野市内から一番遠くの奥社は、まっすぐ伸びた2キロほどの参道の途中に赤い山門「隋神門」があり、その奥に立ち並んでいる杉並木が荘厳さを見せてくれます。本殿内部には「本窟」「宝窟」と言われる非公開の窟があり、その神秘さは苦労して歩いてきた 甲斐があったと感じる神域であります。
深呼吸すると、その神々しい兆しに触れることが出来ると思います。

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