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「その始まりは江戸時代から~中央区・銀座四丁目交差点」

銀座四丁目交差点は、ネオルネサンス様式の和光本館など、日本を代表するランドマークが建ち並ぶいわゆる「銀座」の中心地です。
 
徳川幕府が開府すると、もともと海の中であったこの場所は埋め立てられ、整備されました。現在は、中央通りと晴海通りが交差する場所ですが、江戸時代、既に15m幅の大通りでした。交差点南側の鳩居堂前は、公示地価が日本一の場所でもあり、「銀ブラ」と言われるように日本の観光スポットの中でも群を抜いた存在でもあります。
 
明治時代を迎えると道路幅は2倍の30mとなり、1970年から中央通りは、歩行者天国も実施されています。
 
商業地域の中心である「銀座」は、娯楽の中心地でもあり、この風景は、松本清張さんの「黒革の手帳」を彷彿させます。
全国各地にある「銀座」も東京の銀座と同じようにその地域の繁華街の総称となっていますが、1612年に駿府(静岡市)から銀貨幣の鋳造所をこの地に移したことによって、「銀座」の名前が定着したものです。
 
バブル期、座って数万円というクラブに連れて行ってもらったこともありましたね。
「今は昔・・・」ですが!

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