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ゼンマイのネジを広う

 早朝のベランダから見下ろすと、何やら怪しい影。
「アライグマかな? いや、違う。人みたいだ。それにしちゃ、ずいぶんと小さく見えるけど」手摺りから身を乗り出して、じっと観察してみた。
 茶色い三角帽子を目深にかぶり、みのそっくりな茶色いジャケットで体をパンパンに膨らませている。
 辺りをキョロキョロと見回し、いかにも挙動が不審だ。よく見ると、手にはコンビニ袋をぶら下げている。体が小さいので、引きずっている、と言った方が正しいかもしれない。
「あのコンビニ袋はブンブンのだ。この近くには1軒しかないから、きっと、そこで買ったに違いない」
 見ていると、通りの向こうのブロック塀の、崩れた隙間へと身をくぐらせ姿を消した。
 
 面白いことが始まりそうだ、そんな直感に心を踊らされる。急いで着替え、部屋を飛び出していった。
 ブロック塀の前まで駆けてきて、様子をうかがう。
「この穴を入っていったんだな」中腰になって覗き込む。ネコくらいなら、容易に抜けていけるほどの幅だった。塀の向こうは1軒屋だったが、わたしの知る限り、ここ何年も空き家である。
 こっそり塀を乗り越えちゃおうかな、という考えも浮かんだが、もしも近所の人に見つかったら大変だ。
「やっぱ、動物だったのかな。2本足で歩いてるように見えたんだけど」
 引き返そうとした時、地面の上に鈍い色をした金属部品を見つける。拾い上げると、真鍮製のネジだった。
「これって、ゼンマイを巻くのに使うやつみたい」巻き手の部分がアゲハチョウの形をしている。かすかに温もりが感じられた。いまし方まで、誰かのポケットに収まっていたかのような。

「きっと、さっきの小人が落としていったんだ。この使い込み具合からすると、よほど大事な物なんだろうな。どうしよう、交番へ届けたって、引き取りに来そうもないしなぁ」わたしは、その場に立ちすくんで考えてしまう。
 ふいに思いついた。
「そうだ。コンビニで買い物をしてたんだから、また来るはず。店員に預かってもらおう」
 わたしはコンビニに足を向ける。

 店に入ると、そのままレジへ向かった。
「おはようございます」わたしがあいさつをすると、店員もにこっと笑顔を作る。
「いらっしゃいませ。おはようございます」
「あの、つかぬことをお伺いしますが、こちらにみの虫みたいな小さな人が来ませんでしたか?」
 店員は微笑みを引っ込めた。
「えっと……。さ、さあ、なんのことでしょう」明らかにごまかそうとしている。
「さっき見かけたんです。そこの、古い空き家で見失いましたけど」
「そうですか」あきらめたように声を落とす店員。「あの方は、地底に住むノームなんです。ですが、お客様には違いありません。人目に触れると、何かにつけ面倒なので、内密にするよう、言いつかっていまして」

「ノームって、あのノームですか?」本来ならびっくりするところなのだろうが、実際に姿を見ているせいか、さほどでもない。むしろ、ああ、やっぱり、という心の声すら聞こえる。
「そうそう、絵本に描かれているあの妖精です。もっとも、本人は自分達を『ネイティブ地球人』などと称していますが。なんでも、人類が現れるはるか昔から、この世界で暮らしていたらしいんです」
「へえっ」今度はさすがに驚いた。
 もしかしたら、もともとは地上に住んでいたのかもしれない。環境の変化、あるいは人類の出現などによって、次第に地底へと追いやられ、現在に至るのだろう。
「できれば、彼らをそっとして置いてあげて欲しいのですが」店員が懇願する。

「あ、もちろんです」わたしは慌てて言った。「実は、ノームが落としていったらしい物を拾ったんです。今度、買い物に寄った時にでも、渡してもらえればと思って」
 わたしはゼンマイのネジを手渡す。
「この細工の手際。間違いありませんね。彼らの技ですよ。そりゃあ、見事なものでしてね。ぼくも前に1度、身に付けている腕輪を見せてもらったことがあるんです。ほんと、うっとりするようなレリーフでしたっけ」
「よかった。それじゃ、お願いします。ノームによろしく言っておいて下さい」
 わたしはコンビニをあとにした。

 翌日の朝、いつものように、ポストから新聞を取る。一緒にハガキ大の紙がついてきて、はらりと落ちた。
「何だろう?」屈んで拾う。
 それはノームからの手紙だった。

 〔昨日は、ありがとうございました。
 あの「ネジ」は、本当に重要なものだったのです。それをうっかり落としてしまうとは、われながら実に情けない!
 拾って下すったのがあなた様で幸いでした。そして、行きつけのコンビニに届けて下すったことに、感謝、感謝、感謝! 何度言ったとしても足りることはありませぬ。
 あなた様にはお話し申し上げましょう、あの「ネジ」のことを。
 われわれの住むこの地球がゼンマイ仕掛けで動いていることはご存じでありましょう。自転をするのも、太陽の周りを回り続けるのも、すべては中心にある、大きなゼンマイのおかげ。
 何を隠そう、それを巻くのに必要なのが、あの「ネジ」だったのです。
 昨日はちょうど、ゼンマイが切れる日でした。慌てて巻こうとしましたが、時すでに遅く、鍵はわがポケットからこぼれ落ち、どこぞへと消えておりました。
 さて、困った。やれ、困った。そう思い悩んだ末、一縷の望みを求め、コンビニへと足を運んでみたのです。
 すると、奇蹟が起きました! 
 「ネジ」が届いている、と言うではありませんか! そのときのわが安堵、あなた様には想像もつきますまい。
 わたしは大急ぎで地の底へと取って返し、つい先ほど、来年の分まで、すっかり巻いてしまいました。
 いや、間一髪でした。もう1秒ばかり遅れていたら、自転がピタリと止まってしまうところだったのですよ。考えてもごらんなさい。クルマでも人でも、いきなり停止したならばどうなるかということを!
 ですが、これでもう大丈夫。ひとえに、あなた様のおかげです。
 
 わがノームの友、むぅにぃ殿へ〕

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