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転校生がやって来た

 5年3組に今日、転校生がやって来るという。
「どんな子だろうね」隣の席の桑田孝夫に話しかけた。
「転校生ってのは、たいてい2つのパターンと決まってんだ」桑田は知ったふうな顔をする。「1つは勉強がやたらとできて、くそ生意気な奴」
「うんうん。もう1つは?」
「植木鉢の下のナメクジみてえに、じとっとした暗い奴だな」
「生意気か暗いか、どっちかかぁ」わたしはがっかりした。もっとも、これは桑田が勝手に出した結論に過ぎないのだが。
「まあ、そうしょぼくれるなって。くそ生意気な奴は、てめえのばかさ加減に遅かれ早かれ気づいて、紆余曲折の末、クラスの仲間と打ち解けるもんなんだ」

「そういうものなの?」何も知らないわたしは、素直に信じた。
「ああ、そうだぜ。そうなんだよ」桑田は鼻の穴を広げてふんぞり返る。
「それじゃ、ナメクジはどうなるの? やっぱり、だんだんと明るくなって、人気者になるとか?」そうあればいいなぁ、と期待しつつ聞いた。
「いや、ナメクジはなかなか時間がかかるな。まずは、いきなり日に当てないことだ。それと塩っ気もだめな。これ基本だから」
「あの、桑田。それって、本物のナメクジのこと言ってる?」こちらの言っていることが通じていないのか、と不安になる。
「ばか、転校生の話をしてんじゃねえか。ネクラってのはな、やたらとかまっちゃいけねえんだ。わかるか? 向こうから心を開いてくるのをだな、じっと辛抱して待つわけよ」
「ふーん、骨が折れそうだね」先行きが思いやられる。どうか、そんな生徒が来ませんように、と心の中で祈った。
「ナメクジに骨なんかあっかよ」桑田は、フンッと鼻を鳴らす。

 教室に先生が入ってきた。戸は開けっ放しのままだ。
「見ろよ、むぅにぃ。廊下に転校生を待たせてあるんだぜ」桑田がこっそりと教えてくれる。
 ああ、そうか。だから、戸を閉めないんだ。
「おはよう、みんな」先生が教壇からわたし達に声をかける。「さて、知ってる人もいるようだけど、実は今日、このクラスに新しい仲間が加わります」
「なっ」また桑田。
 先生は、開いたままの戸に向かって呼びかけた。「さ、中へ入りなさい……」
「はいっ――」妙にドスの利いた声がして、体格のいい男が鴨居をくぐる。全身、上も下も黒の背広、黒いワイシャツ、黒いネクタイ、まるで葬式帰りのような格好だ。
 けれど、わたし達の誰1人としてそうは思わなかった。短く刈り込んだ髪、頬に走る古キズ、極めつけは真っ黒で目許がまるでわからないサングラス。

「おいおい、どこからどう見たって、ありゃあ『その筋の者』じゃねえかよ」こいつは面白いことになりそうだ、そんな口調で桑田が言う。
「紹介しますね。こちらが、今度転校してきた櫻井庄助君です。さ、櫻井君、そんなところで恥ずかしがってないで、先生の隣においで」
 櫻井君は、両手を前でもじもじさせながら、慎ましく先生の横に立つ。
「き、今日からみなさんと一緒に勉強させてもらいます、櫻井庄助です。ど、どうぞ、よろしくお願いします」そう言って、ぺこりとおじぎをした。

「なんだ、ふつうじゃねえか。ちっ、期待させやがって」桑田にとって、期待外れだった模様。
「でも、よかった。なんだか怖そうな子だなぁ、って思ったんだ」わたしは胸をなで下ろす。「ね、ね、桑田。あの子、さっきのパターンだと、どっちになる?」
「うーん、そうだな。なりはごっついけど、暗そうな奴だ」
「じゃあ、ナメクジかぁ」確か、日に当てちゃいけないんだったっけ。
「それじゃあ、櫻井君。後ろから3番目の空いてる席、そこに座ってくれますか」先生は、桑田の前の席を指差す。
「あ、はい……」櫻井君は、顔をまっ赤にさせながらおずおずと歩いてきた。みんなの注目を集めていることが、とても恥ずかしいらしい。紅潮すると、頬のキズが白く浮いて、ますます目立つ。
「奴にとっちゃ、ここは花道なんだぜ。ウブだよなっ」桑田がこそっと耳うちをする。

 櫻井君は体が大きいので、前の席に座ると、黒板があらかた隠れてしまった。
「おや、これは困りましたね」先生もすぐに気がつく。「この時間だけは、後ろの人、ちょっと我慢していてくださいね。休み時間に、席順を替えますから」
 桑田は、さっそく櫻井君の背中を、シャープペンシルの先で突ついた。
「なあ、お前んちって、やっぱアレなんだろ? 教えてくれよ、組の名前をよう」
「ちょっと、桑田。やめなって。転校してきたばかりなんだからさ」わたしは気の毒に思って止める。
 櫻井君は振り返らず、うつむいたままぼそぼそと答えた。
「ぼ、ぼくんち、ただのきんぴら屋だよ。きんぴらって知ってるだろ? ゴボウを油で炒めたお総菜さ。前にいた町じゃ、うまいって評判だったんだから」

 チェッ、と桑田はまた舌を鳴らす。
「つくづく、つまらねえ奴だ。せめて、親が網走で服役中、とかだったらなあっ。だいたいがお前、そのほっぺたのキズ、似合いすぎだっつうの」
「えっ、ほっぺのキズだって? そんなのあったっけかなー」頬をさすりながら振り返ったとたん、ポロリと「キズ」が落ちた。
「あ、櫻井君の1本キズが落ちちゃった!」わたしはびっくりし、授業中だと言うことを忘れて叫んでしまう。
 櫻井君はその「キズ」を拾い上げ、ちょっと迷ったあげく、ぱくんと食べた。
「ああ、うまいなあ。これ、今朝、父ちゃんの手伝いしててくっついた、きんぴらごぼうだよ」
「つまんねえ。ほんっと、つまんねえ。ますます、ただの転校生になっちまったなあ!」
 桑田がまた愚痴る。

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