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喉から手が出るほど

 志茂田ともるに呼び出されて、喫茶店へと向かう。電話の様子から、どうもただ事ではなさそうだ。
 喫茶店のドアをくぐると、窓際の席に志茂田と、あちら向きに座るもう1人を見つける。どうやら、桑田孝夫らしい。
「何かあったの?」わたしはテーブルについた。
「ああ、来てくれましたか、むぅにぃ君」と志茂田。以外にも落ち着いた様子でである。
「おはよう、桑田――」桑田を見て、驚いた。喉仏の辺りから、にょきっと手が生えているのだ。「どうしたの、それっ?」
「あなたをお呼びしたのはほかでもない、実はこのことでして」志茂田が押し殺したように言う。我慢できなくなり、プッと吹き出した。
 桑田はムッとした顔をし、「第3の手」を盛んに振って抗議する。

「なんなの、桑田。文句なら、口で言えばいいじゃん」不思議に思ってわたしは言った。
「それがですね、むぅにぃ君。彼はいま、口がきけないのですよ」代わりに志茂田が答える。
「口がきけないって、どういうこと?」
「ご覧なさい、桑田君を。まさに、『喉から手が出た』状態でしょう? 声帯の代わりに、上腕二頭筋から先の腕がついているのですよ」
 声は出ずとも、ぷんすか文句を言っている様子は伝わってきた。拳をこさえて振り上げる。その度に、喉もとに力こぶができた。一応、口をパクパクさせるが音はせず、代わりに、指を開いたり閉じたりと忙しい。

「あれは、なんの真似?」隣の志茂田に聞く。
「手話ですよ。腕が生え、口がきけなくなると同時に、習得したらしいのです」志茂田が言う。「いまのは、『覚えていろよ、くそったれ。声が出るようになったら、これまでの分、さんざん罵ってやるからな』という意味ですね」
 無口になっても、相変わらずのやかましさは変わらない。
「でも、なんでこんな姿になっちゃったの?」わたしは桑田に向かって尋ねた。
 桑田はのど元で腕をせわしなく動かす。
「『うるせえ、お前には関係ねえ』だそうです」と志茂田。
「ふーん、そう。じゃ、帰ろうっかなぁ」わたしは立ち上がりかけた。

「まあ、お待ちなさい」わたしの肩をつかんで、座り直させる志茂田。「むぅにぃ君、わたしが訳を教えて差し上げますよ。桑田君はですね、ある物が欲しくて欲しくて、たまらなかったのです」
「ある物?」
 桑田はむすっとそっぽを向いている。
「そうです。桑田君にとって、それこそどうしても手に入れたい物です」
「だったら、買えばいいのに。それとも、すごく高い物なの?」
「お金があれば解決する、とも限りませんよ。現に、あなたはタダで手にしたではありませんか」志茂田は言った。
「えっ?」思わず声が出る。桑田も驚いた顔をして向き直った。

「そら、あなたはついこの間、携帯のストラップを変えたでしょう?」
「あ、これ?」わたしはポケットから携帯を取り出す。ぶら下がっているのは、テレビ・アニメ「2人でプリクラ」のフィギアだ。チョコレートを買ったら付いてきたオマケである。
 桑田の目がストラップに釘付けとなる。
「むぅにぃ君にとってはただのオマケでも、欲しい者には、それこそ『喉から手が出る』レア・コレクションなのですよ」
「へー、こんなのが……」まじまじとフィギアを見つめる。「あ、もしかして、桑田、これが欲しかったんだ。だったら、あげるよ。別にお気に入り、ってほどじゃなかったし」

 携帯からストラップを外すと、桑田に差し出す。「第3の手」が手話で聞いてくる。
「『いいのか? あとで返せっつったってダメだぞっ』そう、言っています」志茂田が通訳をした。
「子供じゃあるまいし、そんなこと言わないよ」わたしは呆れる。
 桑田は泣きだすんじゃないかというほど喜んで、「プリクラ」のフィギアを受け取った。
 喉から生えていた腕が、しゅるしゅると音を立てて引っ込んでいく。
「あ゛ーっ、あ゛ーっ……」桑田は喉をさすりながら声を出した。いくらかガラガラしているが、ようやくいつもの声が戻った。

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