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飛び込む絵本

 行きつけの書店はとっても広い。散歩がてらによく寄る。
 今日は童心に返って、絵本のコーナーを見て回った。
 平積みから、1冊だけビニール袋に包まれた絵本を見つける。
「なんだろう、これだけ」タイトルは「飛び込む絵本」と書かれ、表紙には赤ずきんやシンデレラなどのイラストが描かれていた。
「780円かぁ。ちょっと面白そうだから、買ってみよう」わたしは、迷わず手に取ると、「飛び込む絵本」をレジへ持っていく。

 自宅に戻ると、さっそく包装を解いた。目次には、赤ずきん、シンデレラ、ヘンゼルとグレーテルなど、お馴染みの童話が並んでいる。
 最初のページをめくると、急に目の前がぐるぐると回り出し、気がついたら森の中にいた。
「ははあ、ここは絵本の中だな。だから『飛び込む絵本』なのか」そう合点する。
 目次ではたしか、最初は赤ずきんだったはずだった。見渡してみると、木々の間から小屋が見える。
「あれが例のおばあさんの家だな。物語通りだとすると、いまごろおばあさんはオオカミのお腹の中かも」まんまとすり替わって、ベッドで赤ずきんを待っているはずだ。

 わたしは小屋に近づき、窓から中をそっと覗き込む。
 惨憺たる有様だった。至る所に血が飛び散り、部屋は荒れ放題。
「考えてみればそうだよね。大きな獣に襲われたんだから、こうなるよ」
 窓から離れ、少し後ずさりする。
 ペラリと音がして、1ページ分だけ時間が巻き戻った。場面は、オオカミが小屋の様子をうかがっているところだ。
 どうやら、わたしが1歩下がると1ページ前に戻るらしい。
「じゃあ、横歩きなら――」カニのように足を左へ運んでみた。ページの巻き戻りは起こらない。「思った通りっ! 物語の改ざんもできるかもしれないぞ」
 オオカミに気付かれないように、横歩きのままこっそりと小屋の裏に回った。

「どなたかね?」中からおばあさんの声がする。よかった、まだ無事だ。
 前進すれば物語も進むが、後退すればページは戻るのだ。
「こんにちは。むぅにぃという者です。もうすぐ、ここに大きなオオカミがやって来ますよ。武器の用意をしておいたほうがいいです」わたしは忠告する。
「オオカミめ、またやって来おるのか。今度こそは容赦せんぞ。さいわい、じい様の鉄砲があるからな。見ておれよ、反対に退治してくれるわい」
 わたしは小屋を後にした。程なくして、パーンという鉄砲の音がし、キャインーンという断末魔が耳に届く。
 あらすじはちょっと変わってしまったけれど、とりあえず、めでたし、めでたしだ。

 ハッと気がつくと、わたしは絵本を持って座っていた。絵の中では、銃に撃たれて倒れているオオカミの姿があった。

「もっと、ハッピーな話がいいなぁ」わたしはシンデレラのページをめくる。例によって、目の前がぐるぐると回り出し、次の瞬間には宮殿の中だった。
 誰も彼も美しい服装をして、ざわざわと私話をかわしている。広場の中央には台座が置いてあり、有名なガラスの靴がポツンと置かれていた。
「これから、靴の持ち主を探すイベントだね」わたしは察する。
 すると、後ろから誰かがわたしの裾を引っ張った。
「お前さん、よそから来なすったろう? 服装ですぐにピンときたわい」わたしの腰くらいの背丈しかない小人だ。「どうせ物語の顛末などとっくにわかっとるんじゃろう? だったら、どうじゃな。ガラスの靴を作るところを見ていかんかね」

 考えてみれば、ガラスの靴とて、誰かが作ったものには違いない。
「実を言うとな、あのガラスの靴は、脱げた衝撃でヒビが入ってしまっての。新しいのを、もう片方作らなくてはなんのじゃよ」
「じゃあ、作るところを見せてください」わたしは小人に頼んだ。
「よっしゃ。ついてきなされ」
 小人に導かれ、王宮の外へと出る。離れた場所に鍛冶屋があるのだった。
 小人は鍛冶屋のドアを開けるなりがなり声を上げる。
「どうじゃっ、ガラス玉は溶けたか!」
「へい、親方。この通り、ドロドロでさあ」
 小人の親方はわたしの方を向き直り、
「さあ、これからガラスの靴を作るぞ。よーく見とれ」と言った。

 鉄の箱には砂がぎっちりと詰められている。
「おまえさん、この砂に片足を入れてくれんか。そうじゃ、右足じゃ。靴も靴下も脱ぐんじゃぞ」小人に頼まれ、わたしは裸足になった右足を砂に突っ込んだ。
「何するんですか?」砂はサラサラで、少しひんやりとしていた。
「ガラスの鋳型を作るんじゃよ。シンデレラ姫と足のサイズがおんなじだと、わしゃ一目見てわかったわい。じっとしておれよ、砂が固まるまでしばらくかかるでの」小人は、足の周辺の砂をポンポンと叩きながら形を整え始める。
 靴の型ができあがり、わたしはすぽんっと足を抜いた。
「きれいにできました?」心配になって聞く。
「ああ、うまくできた。おまえさんのおかげで助かったわい。壊れたガラスの靴を銅直すか、すっかり困り果てておったのじゃ。物語を中断させて、シンデレラ姫から足型を取るわきゃいかんからのお!」そう言うと、カッカッカッと陽気に笑うのだった。

 小人立ちはぐつぐつと煮えたぎったガラスを柄杓にすくい、型に流し込む。じゅっと音がして、焼けた臭いと煙が立ち込める。
「ここからが肝心じゃ。中を空洞にしてやらにゃあいかん」親方は鉄の筒を口にくわえ、型の中に息を吹き込んだ。同時に、鉄の棒をくいっくいっと動かしていく。
 ガラスが冷めて固まる前に、靴の形に整えているのだろう。まだ砂に埋もれているので中の様子はわからないが、素早く正確な動きだというのはわかる。
「よーうし、できたぞ。あとは冷え切るのを待つんじゃ。それから、回りの砂を崩していく。そうすりゃあ完成じゃ!」小人は額の汗を手の甲で拭い、大きく息をついた。

 絵本では語られることはないが、シンデレラが履いた「あのガラスの靴」は、わたしの足型で作られたものなのだ。

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