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和菓子屋にて

 貯金も使い果たし、ここ数日は水で飢えをしのいでいる。
「もう、だめかも。最期はせめて、人の迷惑にならないところで……」そんなことを思いながら、町を歩いていた。

 和菓子屋の前を通りかかると、蒸し立ての餡この甘い匂いがしてくる。ぐう~っとお腹の虫が鳴り、思わず立ち止まった。
 ふらふらとショー・ウィンドウに寄って、中をのぞき込む。練り切り、大福、饅頭、どれもおいしそう。
 空腹すぎて、胃がしんしんと痛い。膝はかたかたと笑う。1歩も動きたくなかった。

 店の奥に座っていたおばあさんがわたしに気づき、よっこいしょと立ち上がる。不審者だと思われたのだろうか。無理もない。物欲しそうな様子で、店のガラス戸に手をついているのだから。
 わたしはいそいそと店を離れた。できるだけ早くその場を立ち去ろうとするのだが、自分の足ながら、まるで棒杭のように言うことを聞かない。

 数軒ばかり行ったところで、背後から声がかかる。和菓子屋のおばあさんだ。
「ちょいと、あなた。戻ってらっしゃいな」
 わたしは気づかないふりをする。ちらっと、(警官を呼ばれ、交番にやっかいになれば、食べ物がもらえるかもしれない)とも考えた。
 けれど、最後の一線で自身のプライドが許さないのだった。

「お待ちなさいったら」おばあさんは早足で追ってきた。草履の擦れる音はたちまち、わたしに追いついてしまう。
 おばあさんはわたしの腕を力強く握った。「はぁ……やっとこさ、つかまえたっ」
 わたしは観念し、
「すみませんでした、勝手にのぞきんだりして。あんまり、おいしそうだったから、つい」
「だったら、食べていきなさいよ。和菓子なんてものはね、見るだけのもんじゃないんだよ。腹に収めてこそのもんだ」

「あいにく、お金がないんです。今度、お金があるときに、きっと立ち寄らせてもらいますから」交番に突き出される心配はなさそうだ。わたしは一礼して、再び歩きだそうと向きを変える。
「おや、まあ!」おばあさんは呆れたような声をあげた。「あんた、うちの入り口の貼り紙を見落としたんだねっ? もう1度戻って、よおく見るがいいよ。ほら、早くっ」

 おばあさんに引っ張られながら、わたしは和菓子屋の前へと戻った。 
 なるほど、ガラス戸に大きく貼り紙がしてある。急いで書いたようなマジックの文字で。

〈本日、和菓子が無料で食べ放題!〉。

 こんなに目立つのに、なぜさっきは気づかなかったのだろう。
「わたしが適当に見つくろってあげるからね。さ、奥にあがって、ちゃぶ台の前に座ってな」

 ちゃぶ台に次々と和菓子が運ばれてきた。久しぶりの食べ物を前に、わたしはなんだかくらくらとしてきた。
「いただきます」腹を満たしたいという無意識の行動か、真っ先に手を伸ばしたのはあんころ餅だった。
 お茶とあんころ餅を交互に口へと運び、やっと人心地がついたところで、今度はもなか、羊かん、らくがんと、食べ続ける。

 満腹になると、さっきまで心の隅々にまではびこっていた悲壮感が、きれいさっぱり消えていた。
「柏餅も食べていきなさい」おばあさんはそう言って、また皿を持ってきた。
 その柏餅は、柏の葉っぱではなく、1万円札に包まれていた。
 わたしは驚いて、おばあさんの顔を見つめる。もしかしたら、わたしの祖母かと思ったのだ。
 
 おばあさんは、そんなわたしの心中を察したらしく、静かに首を横に振る。
 まるで、「わたしはあなたの祖母なんかじゃありませんよ。あなた方みんなのおばあさんなのさ」
 そう言われている気がしてならなかった。

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