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ふうがわりなサイン会

 友達の志茂田ともるは、ああ見えてけっこうミーハーだ。
「どうか、お願いしますよ、むぅにぃ君。今度の日曜、休出になってしまいましてね、代わりにサイン会へ行っていただけないでしょうか」
「サイン会って、誰の?」わたしは聞いた。
「しょこたんと二宮君のに決まってるじゃあ、ありませんか」まるで当然のように言う。
「二宮金次郎?」ちょっとからかってみた。
「ばかなことをいわないでください」いつもは冷静なくせに、趣味の話となるとこうだ。

「ごめん、わかってるって。嵐の二宮和也でしょ? それにしても、へんてこりんな取り合わせだよね、このサイン会って」
「そうでしょうか? あの2人こそ、お似合いじゃありませんか、むぅにぃ君」心の底からそう思っているらしい。
「で、どこなの、その会場は?」
「後楽園ですよ。入場すれば、具体的な場所まで案内してもらえますから」

 そんなわけで、後楽園にやって来た。
「あの、中川翔子のサイン会って、どちらですか?」受け付けで尋ねる。
「はい、それでしたら、あちらのお化け屋敷でございます」
「えっ? お化け屋敷なんかでやるんですか」思わず聞き返してしまった。
「はい、入場券をお買い求めのうえ、お入りください」
 やだなぁ。子供の頃から苦手なんだけど……。

 それでも、入るより仕方がない。真っ白なままの色紙なんて持って帰ったら、志茂田になんて言われるかわからない。

 チケット代600円を払い、わたしはお化け屋敷へと入っていった。入り口からして、すでに真っ暗。ヒュ~ドロドロ~、っとお馴染みの効果音が5.1chで鳴り響く。
「人をおどかす商売なんて、絶対、ろくなもんじゃない」つい、ブツブツと洩らしてしまう。「さっさとサインをもらって帰ろう」
 バンッ! と廊下の壁がどんでん返しになって、いきなりゾンビが現れた。
「はいーっ?!」脊椎反射で後ろに飛びすさる。明らかに作り物とわかる出来の悪いゾンビだったけれど、薄暗い中、緑色の照明の下で対面してみれば、その効果は絶大だった。

 わたしは涙目のまま、さらに進んでいく。
(何も現れませんように、何も現れませんようにっ)心の中で唱えるが、ここはお化け屋敷である。何も出なかったら、それこそ客からクレームが来るだろう。
 墓場へやって来た。LEDの火の玉がふらふらと宙に浮いていた。卒塔婆の陰からは、片目の腫れ上がった白い服の女が、しきりに「おいで、おいで」と手招きをしてくる。

 その傍らを、わたしは呼吸を整えつつ通り過ぎた。さっきのゾンビで多少の免疫が付いたようだ。
 ふいに扉の前へと出る。なんの変哲もない、ステンレスの取っ手が付いていた。プレートには「事務室」とだけ書いてある。
「スタッフ・ルームかな。でも、1本道だったはずだし」
 取っ手を回すと、ドアがすっと開いた。蛍光灯の光がまぶしい。

「失礼します……」声をかけて、中へと入る。
 スチール製の机とイスが置いてあるだけで、人影はなかった。ここが終着だとでもいうのだろうか。
 
 そのとき、どこからともなく気味の悪い声が聞こえてきた。
「……ギザ……ギザ……」
「誰っ?! どこっ?」言い知れぬ恐怖がわたしを包み込む。机の下に隠れているのかと覗いてみるが、何も見当たらない。
「ギザ……ギザ……」
 上かっ! わたしは天井に顔を仰いだ。
 ヤモリのように貼り付いたしょこたんが、こちらを見てニタリと笑う。「トゥットゥル~ッ!」

「きゃあああっ!」
 色紙どころか、頭の中まで真っ白になったわたしは、出口に向かって、一目散に逃げ出していた。

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