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虹ってどんなの?

 よく晴れた暖かい午後、志茂田ともると中央公園を散歩している。
「陽が出てると暖かいね」朝は吹いていた風も収まり、上着を着ていると汗ばむほどだった。
「ええ、本当に」と志茂田。「わたしは、この季節がとても好きなんですよ。夏場は、どうもだめです。暑ければ脱げばいい、と言いますが、皮までは脱げませんからね」
「そりゃあね。寒ければ着込めばいいんだし」わたしも同意する。
「それに、ほら。ごらんなさい、公園の木を。緑あふれる様子も素晴らしいのですが、すっかり裸にされたポプラは風情があるじゃありませんか」
 整然と立ち並んで、ずっと向こうの噴水広場まで続いていた。
「ほうきみたいだね」
「きっと、巨人のほうきなのでしょう」志茂田にしては珍しく、メルヘンチックなことを言う。

 その並木道を、踏み鳴らす枯れ葉の音も心地よく歩く。噴水広場のベンチには、幼稚園くらいの女の子とおばあさんが仲良く座っていた。
「ここの噴水な、いまは冬だから止まっているが、夏場は盛んに水が噴き出していてなあ」そう、女の子に話して聞かせている。
「知ってるっ! 噴水って、水の音がザーザーするんだよねっ」
「うんうん、そうだよ。そりゃあとても涼しげでな。いやあ、今時分じゃ、寒いな。でも、夏にはとっても気分のいいもんでなあ」
「噴水のこと、もっと聞かせて、おばあちゃん」
「おうおう。お日さんが照ってるとな、たまーに虹が見えたりするんだ。きれいなんだぞお」
 すると女の子は首をかしげ、
「虹ってどんなもの? どんなふうにきれいなの?」
 おばあさんはハッとしたように口をつぐみ、困った顔で黙り込む。
 どうやら、女の子は目が見えないらしかった。

「ねえ、おばあちゃん。虹って、触れるの? 匂いとかする?」
「そうだねえ――」しわくちゃの顔をますますくしゃくしゃにして、うーんと考え込んでいる。「触ることはできそうにないねえ。ただ、そこにあるだけさね。けれど、たくさんの色がついててな、噴水の中でぼーっと浮かんで見えるのさ」
「ふーん。わたし、『いろ』のことは点字の絵本で読んだことがあるよ。触っても区別はできないけれど、でもでも、ぱっとわかるんだって。あーあ、『目が見える』ってどんなだろう。いつか見えるようにならないかなぁっ」
 おばあさんは、悲しそうに首を振った。この手の話題には触れないよう、日頃から気をつけていたのだろう。それを、うっかり口にしてしまった。そんな後悔と自責の念がありありと見て取れる。

「ねえ、志茂田。あの子……」少し離れたところで、わたし達は様子をうかがっていた。
「ええ、生まれつき目に障害があるようですね」
「じゃあ、虹なんて、いくら説明しても教えられっこないじゃん。せめて、音みたいに聞かせてあげられたらなぁ」
「七色の音色などと、音を色に例えることはありますよね。まあ、実際に7つも色が見えるわけではないようですよ。せいぜい、5つほどでしょうか」
 確かに志茂田の言うとおりだった。前に、虹の色を数えてみたことがある。七色あるはずだ、そう思って目をこらすが、移り変わる色が微妙すぎてわからない。はっきりしているのは4色、せいぜいがんばって、5色だった。

 志茂田が2人の座るベンチへ歩み寄っていく。
「どうするつもり?」後ろから声をかけた。
「さあ、わたしにもわかりません」頼りないことを言う割りには、断固とした口調である。
「こんにちは。いい陽気ですねえ」志茂田はおばあさんにお辞儀をした。
「どうも、こんにちは。ほんと、今日は暖かです」おばあさんもにこやかに応対する。
 志茂田は女の子の前にかがむと、優しく声をかけた。
「こんにちは、お嬢ちゃん」
 女の子は顔をまっすぐ向け、精一杯の笑顔を作る。
「こんにちはっ」

 志茂田は女の子の隣に腰掛けた。
「さっき、虹のことを話していたようですが」
 女の子の代わりに、おばあさんが答える。
「実はこの子、生まれたときから目が不自由でね。あたしったら、うっかり、虹のことなんか言っちまったんですよ。聞かれたって、説明できっこないのにねえ」
「虹がどんなもの……ですか」志茂田は目をつぶった。「子どもの時分、まだ虹を見たことがなかったわたしは、聞いた話だけでそれを想像してみたことがあるのですよ」
「へえっ。それで、想像はつきましたかね?」おばあさんは興味津々、聞き返した。
「ええ、わたしなりに」志茂田は女の子の手を取り、すうーっと宙で滑らせる。「指でこう、弧を描きます。それから、広げた手を横にして顔の前に置くのです」
「どうなるの、どうなるのっ?」夢中になって続きをせがむ女の子。小さな手を、自分の顔の前に掲げる。まるで、まぶしい光から覆うかのように。

「ここからが大事なんですよ」志茂田は、ややもったいぶった口調で説明を始めた。「指1本ずつに名前を付けるんです。5つ、全部にですよ」
「えー、指って名前あるんだよ。親指でしょ、人差し指でしょ……」もう片方の手で、掲げたほうの指をつまんでいく。
「その通りです。ですが、別の名前を付けてあげるのですよ。親指には『あお』、人差し指には『みどり』。順に、『きいろ』、『だいだい』、おしまいは『あか』……という具合にね」
「えーと、あおでしょ、みどりでしょ。次、なんだっけ?」
「じゃあ、みんなで覚えましょうか。さ、おばあさん、それにむぅにぃ君も一緒に」
 志茂田のあとに続いて、わたし達4人は声を合わせた。
「親指あお、人差し指みどり、中指きいろ、薬指だいだい、小指あか」

 節を付けて歌うように繰り返したおかげで、女の子はすっかり覚えてしまった。
「親指あお~、人差し指みどり~、中指きいろっ、薬指だい~だい、小指あ~か」1人で、楽しそうに口ずさんでいる。
「そーら、お嬢ちゃん。それが虹です。あなただけの虹ができました」

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