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怪人3面相

 いつも電車で乗り合わせるそのおじさんは、みんなから「怪人3面相」と呼ばれていた。
 下町線入谷行きにぎりぎりセーフで乗り込むと、今日も怪人3面相と会う。席が空いているのに、ドア近くの吊革にぶら下がっていた。ここがこのおじさんの定位置なのだ。
「おはようございます、怪人3面相さん」わたしは笑顔で声をかける。
「やあ、おはよう。今日も元気だね。どれ、朝の占いをしてあげよう」おじさんはそう言うと、帽子を取って自分の頭を空いているほうの手で回し始めた。
 言い忘れたが、この人の顔は、三面観音のようについているのだった。

 頭は、首を回転軸にして勢いよく回る。回りながらもしゃべり続けるので、扇風機に向かってしゃべっている時のように、アワワワーッとエフェクトがついて聞こえた。
「さあ、好きなところで声をかけてっ!」怪人3面相が叫んだ。
「ストーップ!」わたしは言った。おじさんの顔が、ピタッと止まる。
「デデデ、デーンッ!」ザブングル・加藤の顔だった。「うーっ、悔しいですっ! 本日の運勢はイマイチッ」
「あうっ、しまったなー。もうちょい、タイミングをずらせばよかった」確かに悔しかった。
 でも、昨日はキアヌ・リーブスだったし、まあいいか。幸運は、そう毎日続いたりしないものだ。
 怪人3面相は、再び帽子を深々とかぶる。知らなければ、まさか顔が3つもあるなんて思わない。

 ところで、わたしは怪人3面相の「3番目」の顔をまだ知らなかった。知り合いは何度か当たっていると言うのだが、どういうわけか、わたしだけザブングル・加藤とキアヌ・リーブスばかりである。
「その『3番目』の顔って、誰に似てた? イケメン? それともぶさいく?」電車が同じクラスメイトが見たと聞き、わたしはしつこく聞いた。
「うーん、わたしの知らない人だった。芸能人じゃないんじゃない? どこにでもいる、ふつうのオヤジって感じ」
 なんとも漠然とした答えだった。せめて、「目許は大野智、鼻筋は福山雅治かな」くらいは例えて欲しかった。これじゃ、かえって欲求不満になってしまう。

 家に帰ってからも、もんもんと想像していたものだから、夕食の味噌汁をうっかりこぼしてしまった。
「ほら、やった」母が、それ見たことかと言わんばかりに口をすぼめる。「今日はなんだか、ぼーっとしてると思ってたのよ。そのうち、きっとおみおつけをこぼすぞ、って」
「どうした、むぅにぃ。何か心配事か?」そう言いつつ、少しも心配などしてなさそうな顔の父。むしろ、面白がっているのではとさえ思う。
「電車でさ、怪人3面相っていう、ちょっと変わったおじさんがいるんだよね。顔が、前と後ろと横に、こう3つもあるんだよ」
「ほう?」
「朝、面占いをしてくれるんだけど、これまでのところ、まだ2面しか見たことがなくて」わたしは説明した。

「ははーん、するとあれか。お前は、『3番目』の顔が気になって、気になって、仕方がないんだな?」
 さすが父である。
「おとうさんも、家を出るのちょっとだけ遅らせれば会えるよ。面白いんだ。あのね、ザブングル・加藤とキアヌ・リーブスの顔なんだから」そんな父の顔は平凡で、それこそ「どこにでもいるオヤジ」という表現がピッタリだった。
「ふふ、そろそろお前にも明かすときが来たようだね。実は、むぅにぃが乗る電車に先回りして、いつも待ってたんだ」
 父は箸を置くと、頭を両手で回し始めた。

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