日本刀にまつわる不思議な話
刀が祟るという事はないと思うが、日本刀は見る者の意識に強い影響を与えるのは確かだ。
刀に興味がない人でも博物館で日本刀を見ると引き込まれるような気がすると言うし、そもそも芸術には人の意識を日常とは別の次元に導くという目的がある。また近年、光の点滅が脳に影響を与え、気分が悪くなったり癲癇の発作を起こしたりする事例が知られるようになった。古くは催眠術において、宝石や万華鏡のようなキラキラ光る物体を長時間見つめていると顕在意識の働きが弱まり、潜在意識が優位になるという事がよく知られていた。催眠術で人を暗示を掛けるのはこの手法を用いたものだし、呪い師が水晶玉を見つめて未来を予言するのはこの原理によって自分の潜在意識を幻覚や幻想として見ているのである。日本刀の鑑賞は刀身上の微細な働きを刻々と目で追う作業なので、上記の作用に似た何らかの影響が脳に与えられても不思議ではない。
普通はそれが清々しい感動として認識されるのだろうが、人によっては、あるいは刀によっては別の感情を生じさせるかもしれない。
例えば、杉田善昭刀匠の作品は、刃紋が生き物のように躍動し、人知を超えた力を感じさせた。見ていると胸の中に冒険心が湧き起こり、これがあれば火星にでも行けると思わせるものだった。常に自己の限界を超えて向上する若者の気概に合致する刀と言える。
現在私が持っている刀の中には、虎かライオンと対峙しているような緊迫感のあるものもある。生半可な気持ちでは見る気になれない。美しさを顕わしつつも、獣のような狂暴性が内在しているのを感じる。私はその刀を見る度に、油断するな、常に真剣勝負で物事に臨め、と諭されているような気がする。自己の行動に責任が伴う年齢の者には必須の心掛けだろう。
このように年齢によって刀の好みが変わるという事はよくある。
歳を取ると短刀に惹かれるという話も聞く。
ある刀剣商は「年寄りが長い刀は重くて持てないと言って短刀に買い換えに来るんですよ。情けねえなあ。」と嘲笑していたが、年配者が短刀を好むのは体力的な理由だけではないだろう。短刀には短刀の魅力があるし、自分の命数が迫って来ると、刀より短刀の方が身近に感じるのかもしれない。
勿論刀を見てどう感じるかは人によって違う。だが明らかに悪い影響を与える刀はある。
ある刀を手に入れてから急に怒りっぽくなったとか、生活が破綻したという話はよく聞くし、私自身そういう人を何人か見聞きしている。
ある刀剣商は、商品として仕入れた刀が気に入り、拵を作って自分の愛刀にした。
それは良いのだが、以来その人は大言壮語するようになり、妄想に取り憑かれて犯罪者になってしまった。
私はその人の愛刀を見た事がある。新刀の上作ではあるが同銘中では地味な出来だった。その地味な出来がその人には実用的な魅力と映ったようだ。
彼は自分の愛刀が他の刀と比べて実用的に優れていると感じて楽しんでいた。
更に病膏肓に入り、よく斬れるという評判の現代刀匠に物斬り用の刀を作らせ、それよりも自分の愛刀の方が上だと感じる所までのめり込んでいった。
それだけならまだ問題なかったのだが、次第に性格が暴力的になり、奇矯な言動が目立つようになった。そして行動を抑制できなくなり、一線を越えてしまったのである。
私が持っていた刀にも潜在意識のダークサイドに働き掛ける刀があった。
時代の上がる美濃伝の古刀で、青黒く澄んだ地鉄に焼き刃が白く冴え、関映りが立つ上物だった。
しかしその刀を見ていると何故か昔の嫌な記憶が甦ったり、他人の不愉快な言動が気になって仕方なくなるのである。結局その刀は半年もしない内に手放した。
あの刀は私にとって妖刀だった。
やたら人を斬りたくなるといった類の、世間の人々が想像し勝ちなアナーキーな妖刀ではなく、特定の誰かに復讐したい、仕返ししたいという、人間なら多かれ少なかれ誰もが持っている暗い感情に囁き掛けるような刀だった。
暗い感情を刺激する刀は手放した方が良い。
妖刀は悪女と同じだ。
憑かれると魅力的に見えてしまう。
それが恐い。
こうした話は知り合いの研ぎ師からも聞いた事がある。
一般に、研いでいると楽しくなって来る刀と、徒労感が残る刀があるそうだが、ある刀を研いだ時、酷く不吉な気分になったという。だが持ち主はその刀を大変気に入っており、守り刀にするから最上の研ぎを掛けてくれと言っていた。そこで研ぎ上げて持ち主に刀を返す時、「守り刀にするならお祓いした方が良いですよ」と言い添えた。しかし持ち主は迷信だと思って取り合わなかった。
偶然だろうが、その三ヵ月後に持ち主は死んだ。それまで元気だったのに喫茶店でコーヒーを飲んでいたら心臓麻痺で急死したそうだ。まだ30代だった。
上記の話とはやや異なるが、刀と接していると不可思議な現象に出遭う事がある。
私がこれまでに所持した刀で、不可思議な現象を引き起こす刀が二振りあった。
一振りは直綱極めの無銘の古刀。もう一振りは現代刀の相州伝の傑作。
これらを鑑賞した後、何故か手の平や手の甲の皮が薄く切れているのである。爪に刃物を当てたような傷が付いている事もあった。
最初は油を拭き取る時、うっかり刀身に触れてしまったのだろうと思っていたが、油を拭かずに見てもそういう事があった。あまりに頻発するのでその内不思議にも思わなくなっていた。
これらの刀には嫌な感じどころか良い刀という感じしか受けなかったので、この不可思議な現象は刀そのものが持つ力の現れであったと解釈している。非常に丁寧に作られた、いわゆる「真面目な刀」だった。
この二振りは数年間所持した後、別の刀を買う時に下取りに出した。以来そのような現象は起きていない。
今は誰が持っているのだろう。良い刀なので大切にして貰いたい。
あなたの貴重な時間をいただき、ありがとうございました。楽しめたら寸志を!