セクマイとわたし
こんにちはmoneです。
今日は私の人生にセクマイがどれほど影響を与えたかを書きたいと思います。
まず、私がセクシャルマイノリティを知ったのはつい最近です。
私は今の旦那と交際しており、性行為ができないことも承諾してもらっていました。
思春期でもない、ましてやセクマイにあった恋人探しをする事も無かったので
正直自分がセクマイだとしてもなんの支障もありませんでした。
ただ、ここで立ちはだかる敵、それは「過去」です。
保育園~小学生低学年まで、私には義父がいました(今の義父とは別人)
義父は妹には優しかったのに私は暴力を振るわれ、そこで性的被害にもあっていました。
詳しいことは割愛します。
お父さんは、男の人は私がいい子じゃ無かったから殴るんだ。そう思っていました。
幸い、その義父と母はすぐに離婚し、私は暴力から逃げる事ができました。
思春期真っ盛りの高校生の頃、私はとあるクラスメイトと付き合っていました。
その人はとても優しくて、こんなに優しい男の人もいるんだ。私はそう思いました。
「うちで遊ぼう」
そう言われてわたしは頷きました。人生初デートです。
しかし、そこで行われた事も、性行為の強要。
結果、性行為は未遂に終わり、私は彼の家から飛び出しました。
彼とはその後一切、高校を卒業するまでコンタクトを取りませんでした。
私はまた、男の人を信じられなくなりました。
思春期だから仕方ない。そう思えるほど私は成熟していません。
ただただ義父の事がフラッシュバックし、私は眠れなくなり、社会人になった頃、私は親に隠れてメンタルクリニックへ通い眠剤を処方していただいていました。
自分が女だから、男じゃないからなめられてるんだと感じた私は髪の毛をバッサリ切り、すっぴんで過ごすことにしました。(そして私は後にノンバイナリーという言葉をしります)
男にされたことはそれだけではありません。
ストーカー、下着泥棒、電話での自慰行為の強要、過度なスキンシップ、ナンパなど…
私がもう少し気をつけていれば防げたであろう事ばかりですが、私だけが悪いとは到底思えません。
ですが、私は自分が「搾取される側」だと言うことからずっと目を背けてきました。
そんな時に見かけたもの、それがセクシャルマイノリティという言葉とノンセクシャルという言葉。
私は少しの勇気と共にその扉を開きます。
そうして、Twitterで出会うセクマイの人々に、すーっと心が癒されていくのを感じました。
男の人でも、性行為をしない人がいる事
生涯独身を貫く人がいる事
自分が感じた感情は正しかった、認められるべきものだった事
全て、フォロワーさんが教えてくれました。
この場を借りて御礼申し上げます。
私を性の呪縛から解放してくれてありがとうございます。
私は過去から解放されました。
男に搾取される私はもういない。
私は「わたし」を生きていいんだ。
そう感じました。
そして知った「ノンバイナリージェンダー」という言葉にしっくりきました。
男でも女でもありノンバイナリー。これって要するに「男女の境目はない」って事ですよね。
私は自分の感じた経験を、Twitterを通してこれからも発信していきたいと思います。
これからもよろしくお願いします。
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