セクマイなりの2


さて、前回の記事では私たちがどういう理由で結婚という「ツール」を使って自由を手に入れたかを書きました。

今回の記事では、何故私が「愛を与えられる」余裕があったのかをお教えします。

これは私でもよくわかってないのですが、皆さんは「バブみ」という言葉をご存知ですか?
知らない人は是非調べてみてください。面白いですよ。
どうやら私は旦那曰く「バブみ」が物凄いらしいです。まったく理由がわかりません笑
母性的、とでも言うのでしょうか。その感情が私に余裕を与えているみたいです。私は私を母性的だと思った事は一度もないのですが。

私はいつも人に優しくあろうと自分なりに努力してきましたが、どんなに尽くしても縁の切れ目ができて、裏切られます。
勿論、優しさを返してくれる人もいます。だけど、貸した金と優しさは返ってはこないのです。
その人の悪い部分もその人を構成するひとつのポイントだと思っているので、裏切られた事に関してはそれほど哀しくはありません。
でも、旦那は違います。優しくしたらその分優しくしてくれます。これは旦那の魅力のひとつだろうと私は考えます。

私といる時の旦那は甘えん坊の、まるで子供です。
ですが子供でいることで精神の安定を図っている様に見受けられます。
私に愛され、愛を与えられる事で自己肯定感を高めているのかもしれません。(この辺は旦那に直に聞いたことが無いので憶測ですが…)
そんな私は、彼をめいいっぱい構い倒します。ハグして「大好きだよー!!」と伝えます。そうすると旦那は満足したように自分の作業を始めます。

しかし、私には性愛が無いので、旦那が肉体的に求めてきたら、拒否すると思います。
それを「愛じゃない」という人が少なからずいる事を、私は知っています。それでも私は旦那に触れる事を選びます。何故なら旦那も、性愛としてではなく、子供が親に甘えるように私に甘えてくるからです。彼が欲しいのは性愛ではなく、純粋な「愛」そのものだと思います。


―…と言う感じで、うちは他所とは少し違うけど唯一無二の結婚生活を送っています。ふたりの時間は穏やかに流れます。
勿論、分かり合えない事もあります。例えば結婚約2年目の私は子供が欲しかったので何回も何回も話し合いました。(結果、子供は生まない事になりました。この部分はもう納得しています。ふたりの「子供」の面倒を見るスキルは私には備わっていません笑)
ですが、分かり合えない事は分かり合えないままでもいいと思うのです。
6年一緒にいて気づいたのは「私はこの人の事を100%理解することはできない」という事です。
というか、100%理解できない=その人の事を本気で愛していない、ではないと思います。
分からない事があるなら、そのままにするのも、追及するのも大して変わりません。
あるのは「分からない事がある」これだけです。
どう調理してもその人の自由です。
イタリア料理にしてもインド料理にしても懐石料理にしても、魚は魚です(わかりにくい!)

魚は食べやすいように調理して美味しい人生を送りましょう。

以上、moneの結婚生活とセクシャルマイノリティについてでした。
セクマイについては今後も更に突っ込んだ話をそのうち書きます。旦那の事はもう話しません笑

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